リアリズムと防衛ブログ

防衛ってそういうことだったのかブログ。国際関係論や安全保障論について、本の感想などを書いています。

「国家の次」の条件

今は新しい中世だと言われている。国家だけが国際政治の主体だった時代が終わったからだ。

テロ組織、NGO、影響力のある個人、多国籍企業。そんな非国家主体が国際政治の中で存在感を強めている。これはちょうど教会やギルドといった国家以外の組織が幅をきかせていた中世のようなものだ。

今、国家は相対化されている。


だから2000年頃…911テロの前には、こんな言説があった。曰く、国家なんか意味はなくなる、というのだ。ところがその後、911テロを経て、国家の役割は縮小するどころか、ますます健在だ。

これには理由がある。

NGO,多国籍企業といった主体は、時に国家を動かすほどの力を持っている。しかし、人々に安全を提供することはできない。テロや、各種の脅威に対して、人々の命を守ることができる主体ではない。

これが、国家が相対化されながらも、なお最も重要な主体であり続けている理由だ。

ジョン・ハーツは「歴史を通じて、人類に最良の防御と安全とを提供し得る単位こそが、常にその時々における基本的政治単位となった」と説いている。(John H. Herz "The Rise and Demise of the Terrirorial State", Jamaes N. Rosenaued., International Politics and Foreign PoLicy , New York, Free Press , 1961 PP.80-6.)

テロの時代に入り、新たな脅威が出現すると、そこから人々の身を守ってくれるものは、昔ながらの国家しかない、ということだ。

仮に国家に替わるものが現れるとすれば、国家よりもより効率的に防御と安全を提供できる組織だろう。

この意味で私はEUの将来を楽観することができずにいる。