リアリズムと防衛ブログ

防衛ってそういうことだったのかブログ。国際関係論や安全保障論について、本の感想などを書いています。

戦争はなぜ起こるか4 時刻表と第一次世界大戦

「戦争はなぜ起こるか」はテイラーという有名な史家が書いた著作です。原題は「HOW WARS BEGIN」。中身はタイトルの通り、戦争がいかに開始されるかを書いています。フランス革命戦争から冷戦までの主だった戦争を取り上げています。

この本は読み物としても面白く、多くの示唆を与えてくれます。戦争の原因は百万通りもあるとしても、その中で「錯誤」と「不合理」が含まれないものは一つもないようです。

前回の普仏戦争の記事では、ビスマルクを取り上げました。ビスマルクは戦争を政治の手段として見事に制御しました。ところが今回の第一次世界大戦では、戦争の論理が政治を動かし、ヨーロッパ全域を空前の大戦争に追いやりました。軍事は政治の道具であるはずなのに、いつの間にか主客転倒して、政治が軍事の論理に流されてしまったのです。

わけのわからない戦争

ロイド・ジョージ
一次大戦の当事者の一人であるロイド・ジョージは「我々はみな、混乱のうちに戦争に突入した」と述べています。この戦争の原因について詳細に検討していると、それだけでブログの記事どころか論文が10本もできてしまい、しかも結論はでないでしょう。また、それだけ仔細に論ずる知識は私にはありません。

そこでこのエントリでは細部はスルーし、テイラーの本に従って、開戦直前からの概要だけ紹介します。この本でテイラーがしている説明では、軍事技術的な都合がすべてを振り回したとされています。つまりは鉄道の時刻表が、数千万人を殺したのです。

開戦までの経緯

1 オーストリア皇太子がセルビアで暗殺される

サラエボ事件
順を追って説明しましょう。

直接のきっかけは暗殺事件です。セルビアを訪問したオーストリア=ハンガリー帝国の皇太子が殺されました。サラエボ事件です。

皇子を殺されたオーストリアは、その責任をセルビア政府に負わせました。帝国の威信と安全のため、セルビアにガツンとかましてやるべきでした。この間、老大国の行動らしく、オーストリア国内で逡巡や混乱があるのですが割愛します。

とまれ、同盟国ドイツの支持を得た上で、オーストリアはセルビアに宣戦布告します。戦争の始まりです。しかしこの時点ではオーストリアとセルビア間の戦いに過ぎませんでした。

2 ロシアがセルビア支持のために動員

困ったのはロシアです。ロシアは色々な都合があって、セルビアがオーストリアに呑み込まれるのが不満でした。だからセルビア支持の立場でした。

そこでセルビア支持を打ち出し、オーストリアを脅しつけるため、「総動員」をかけることにしました。

「動員」は重要なキーワードです。訓練を受けた一般市民を招集し、兵隊に仕立て上げることです。市民たちは徴兵制によって以前に訓練を受け、普段は民間人として普通に働いています。ですがいざというときは召集されるとたちまち兵隊となります。

オーストリアとセルビアの戦争に対してセルビア支持を打ち出すため、ロシアは動員をかけました。訓練を受けた市民たちに対し召集をかけたのです。ですがロシアは戦争をするつもりはありませんでした。

戦争の準備をしようとしたのではなく、単になんらかの脅威を与えたかったのである。すなわち、動員はポーズに過ぎなかったのである。
p135

ところがロシアの動員をきっかけとして、事態は思わぬ方向に向かいます。

3 なぜかドイツがベルギーに攻め込む


ドイツがロシアとフランスに宣戦を布告しました。そしてドイツ軍は中立国ベルギーに侵攻し、フランスになだれ込みました。それに対してイギリスがドイツに宣戦します。

世界大戦の始まりです。ですが、なんでこんなことになったのでしょう?

これまでの出来事はセルビア、オーストリア、ロシアの中で起こっていました。ところがここに至り、ドイツ・フランス・ベルギー・イギリスへと戦争が一気に飛び火しました。いかにも唐突です。「ロシアが動員したので、ドイツはフランスに攻め込む」では、まったく非論理的に見えます。

この謎な展開、その鍵を握っていたのは「時刻表」です。

戦争計画が鉄道に依存していた


当時の戦争は「動員」によってなりたっています。動員をやって大軍をそろえないと戦争に勝てないからです。そして動員は鉄道によって成り立っていました。

つまりは、戦争が鉄道に依存していたのです。

…そして、鉄道というものは時刻表に基づいて運行されるものなのだ。

すべての動員計画は数ヶ月あるいは何年も前から分刻みで策定されており、変更は不可能だった。一方面の計画修正は、他のあらゆる方面においても動員計画を頓挫させてしまうのだ。…当時、動員計画に少しでも変更を加えることは、次の時刻表が完了するまでには…少なくとも六ヶ月を要することを意味していたのである。
p134

一度「動員する」と決めたら変更がきかない戦争計画。この束縛がドイツを全面戦争に駆り立てます。

ドイツの事情

当時の地図
ドイツは東西を仮想敵にはさまれていました。東のロシア、西のフランスです。戦争になれば東西の敵と戦わねばならなりませんが、東西に兵力を分散させれば負けてしまいます。

そこでドイツの考えた戦争計画は、こうです。

まずほとんど全ての兵力を西に振り向けて速攻をかける。フランスを速やかに打倒します。フランスを倒すと、今度は全軍で速やかに東にとって返す。そして今度はロシアと戦う、というわけ。

2対1では不利だが、1対1の2連戦ならば勝ち目はある。そんな曲芸のような戦争計画が、ドイツの唯一のよりどころでした。

この計画のポイントは、ロシアが襲ってくる前にフランスを倒してしまうことです。西に全力を振り向けている間に、手薄な東側をロシアに突破されたのでは話になりません。

こんな計画でも実行できると思われたのは、ロシアはインフラが整っていないので動員が遅いからです。よってロシアの動員が完了する前にフランスを下すことは可能だ、と考えられていました。

動員の連鎖

当時の軍服
ところが…そのロシアが、誰より先に動員をかけてしまいました。前述の通り、オーストリアに軽い脅しをかけるためです。

ですがロシアが動員を開始したことで、ドイツの戦争計画にスイッチが入ってしまいます。「まずフランスを討ち、取って返してロシアを…」という時間の余裕は、ロシアが動員を終えるまでの隙を突く予定でした。そのロシアが動員を完了してしまえば、ドイツの戦争計画は始める前に破綻します。

よって、ロシアが動員を開始したからには、その完了までに、何としてもフランスを撃破せねばならない…さもないと全ての計画が台無しです。ならば道は一つ。計画通りに始めるしかないのです。

こうしたことの背景にはそれ以上の深い思慮はなされていなかった。技術的なこと以外は何ひとつ重きをおかれていなかった。ロシアが動員するなら戦争を始めなければならぬ――それだけであった。
p139

そしてドイツは時刻表通りに動き出します。まずロシアに宣戦を布告。ただちに総動員をかけ、軍主力を西へ驀進させたのです。

フランス軍機がニュルンベルグを爆撃したという話を捏造して、それを口実にフランスに宣戦布告しました。フランスに恨みがあったから戦争を仕掛けたわけではありません。ただそれが軍事的に必要だ――と、そう計画に書いてあったからです。鉄道に載せられた兵士たちは一路西へ、まず中立国ベルギーに攻め入り、そのままパリを目指して突き進みます。

こうして、鉄道時刻表が主な原因となって戦争が起こったのであった。
p142

軍事の論理が政治を振り回した

モルトケ 当時のドイツ軍のトップ
ここまでで分かる通り、この戦争を起こしたのは政治家や国民ではなく、将軍たちでさえなく、戦争計画そのものです。さらに小さくいえば動員を定めた時刻表です。つまりは小さな軍事技術的問題が、当時最も大きな戦争を起こしたのです。

本来、「戦争は異なる手段をもってする政治の継続である」はずです。この言葉を残したクラウゼヴィッツはドイツの軍人です。それにこの数十年前、ビスマルク時代のドイツは、政治が巧みに軍事を道具として使い、大きな成果を挙げています。

ですが一次大戦のとき、ドイツは軍隊の論理がほかの全てを無視し、国家を大戦争に蹴りこみました。ドイツは「軍隊が国家を持っている」と揶揄されるほど、軍部が強い発言力を持っていました。そして曲芸のような綱渡りを達成するため、戦争計画は変更しがたいまでに硬直化していました。さらには鉄道への依存。これらの要素があわさり、戦争をせねばならなくなりました。

本来、軍事は政治の道具です。しかしこの場合は逆に、政治が軍事の道具となりました。動員がはじまって以降、軍事の論理がすべてを超越し、国家を振り回してしまったのです。

軍隊も振り回された側?

とはいえテイラーによれば、暴走して国家を戦争に押しやったように見えるドイツ軍でさえ、最初から戦争をする気だったわけではないといいます。

一九一四年七月の一ヶ月にわたるドイツ陸軍情報部の記録を調査したものがいるのである。…記録によれば、ヴィルヘルム二世とオーストリア特使の会合があった七月五日には、軍情報部は戦争が迫っているといういかなる予告も受け取っていない。

さらに七月丸一ヶ月間、ドイツ軍情報部の特別な活動は何ひとつとして記録に残っていない。…戦争の準備などまったく行われていなかった。…記録が示すところからは、完全な平和状態にある国を想像するしかあるまい。
p129-130

つまりは軍隊もまた、軍事の論理に振り回されて、いきなり戦争のレールに乗せられたようです。

そのゴーサインを出したのは、動員を決定したのは指導者たちです。その決定によって軍は慌てて動き出し、そして連鎖反応を呼びます。引き起こした結果に比べて、動員の決定はあまりに簡単になされました。

指導者の軍事的無知

「わしが決める。総動員じゃ」

ロシア皇帝ニコライ2世
ロシアはセルビア支持を明確にするため動員を検討しました。これは悩ましい問題でした。オーストリア方面に動員をかければ、ドイツ方面が無防備になります。かといって動員を行わなければロシアは手をつかねて情勢を傍観することになってしまい、影響力をもてません。両方面に対処するには総動員しかないのですが、それでは本当に戦争を起こしてしまうかもしれません。(実際にそうなったように)

この決断はロシア皇帝(ツァー)によってなされました。

参謀長はツァーの面前で軽率にも「難しすぎて決めかねることでありましょう」と言ってしまった。ツァーはこのうえなく気の弱い人物であったが、これに刺激されて、「わしが決める。総動員じゃ」と言った。

ツァーの日記によれば、彼はこの決定を下してから戸外に出て、暖かい日射しを心地よく感じ海水浴に行った。日記は動員のことにはひと言も触れていない。
p135-136

ロシアはオーストリアに多少の圧力をかけるために動員をしたので、戦争をするつもりはありませんでした。それにしても、皇帝の決定は軽々しいにも程があります。

ヴィルヘルムには軍事面に関する詳しい知識はまったくなかった

ヴィルヘルム2世
ロシアの動員を受けて、大戦を開始したのはドイツです。その決定を下したのはドイツ皇帝ヴィルヘルム2世です。

ヴィルヘルム(皇帝)もベートマン(大臣)も、有力な将軍には誰ひとりとして相談を持ち掛けなかった。また彼らは、参謀本部に問い合わせ「今が戦争開始に適当な時期だろうか。開戦までにどのくらい時間が必要か」と尋ねることもなかった。さらに、ヴィルヘルムはこれまで一度たりともそうした事柄について知らされたことはなかったのである。ヴィルヘルムには軍事面に関する詳しい知識はまったくなかった。
p127-128

このように軍事に無知で軽率な指導者たちの決断が、大戦の最初のスイッチでした。

大戦は錯誤の集積

戦争を起こした人々

塹壕戦の様子
この連載ではかつて何度も、指導者や国民が戦争をはじめた例をあげました。「フランス革命戦争」では、無責任な革命政治家たちの政府が「まさか戦争にはなるまい」と思って威嚇的なことを言っているうちに、本当に戦争になってしまった例を挙げました。「クリミア戦争」ではマスメディアと国民が、平和を望んでいる政府をムリヤリに戦争へ押しやった例を見ました。それらの例では軍事的知見や戦略眼をもたない人びとが戦争を始めました。

この第一次大戦では、軍隊が、軍事の論理だけをもって国家を戦争に押しやっているように見えます。実際、ドイツの戦争計画は外交努力や国際関係をムシした視野の狭いものでした。軍事的にみても、フランス攻めで一つでも失敗すればロシア側への反転が間に合わなくなるという、精密すぎて使えない計画だったといいます。

ではドイツの軍部が無能で、かつ強力だったのが悪いのでしょうか? それもあります。ドイツ軍が分際をわきまえ、よろしく政府の統制に服す立場にあれば。あるいは軍事だけでなく政治要因にも配慮した広い視野をもっていれば。事は少しは違ったでしょう。

ですがそれが全てとは言い切れません。動員決定は、軍事の論理を制御できない無策な指導者たちによってなされました。ドイツ軍がたてた余裕のない戦争計画も、ドイツ政府の誤った国家戦略が原因です。

無謀な国家戦略が、無謀な戦争計画を生んだ

ビスマルク時代のドイツは同時に二カ国を敵にすることはありませんでした。しかしドイツ皇帝ヴィルヘルムは同時に東西に敵を持つという愚かな国家戦略を採りました。*1

そんな無謀な国家戦略のもとでは、軍隊の立てる戦略も余裕のないものにならざるを得ません。国家戦略の不利を軍事戦略で補おうとした結果、曲芸のような危うい戦争計画ができてしまいました。政府の不合理によって軍隊がそれ以上に不合理になったのです。

多くの錯誤で出来上がった戦争計画は、一度スイッチが押されれば絶対に止まらない、大戦への急行列車と化しました。発車したなら、後は時刻表にそって行けるところまで行くだけです。

列車に乗せられて戦争に向かう兵士たちは「クリスマスまでには戦争が終わり、家に帰れるさ」と思っていました。そしてそれだけは、時刻表通りにはいかなかったのです。

テイラーはこのエッセイをこうまとめています。

すべての列強は戦争の抑止、それも強大な軍備による抑止に依拠していた。たしかにかつてはそれがうまくいっていた。だが、この第一次世界大戦の場合には、軍備に基づく抑制が働かなかったわけである。

そしてこれは、これからも再び起こりうることなのである。
p146

*1:彼は意図的にそうしたのではなく、イギリスによってそういう状況に陥れられたと考えていました。ですが明らかにヴィルヘルムの無定見な外交がドイツから味方を減らし、敵を増やしています。