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リアリズムと防衛ブログ

防衛ってそういうことだったのかブログ。国際関係論や安全保障論について、本の感想などを書いています。

江畑謙介氏のメッセージ

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江畑謙介氏の訃報を耳にしてから、彼のご著書を読み直しました。すると気づくことがありました。著書の本文は冷静な分析で埋められていますが、前書きや後書きにだけほんのわずか、江畑氏が自身の思いが述べた部分がありました。それは故人が遺されたメッセージに思えます。

「目をそらしていても、平和と自由は得られないのではなかろうか?」


軍事評論家 江畑謙介が広く世に知られるようになったのは「湾岸戦争」です。この頃お書きになった本の後書きで、江畑氏はこう述べています。

不幸にして、世界はまだ「武力を使わずにすむ国際問題の解決」を完全に達成するにはほど遠い状態にある。「湾岸戦争」は、その現実をわれわれの前に見せつけた。武力の中心が兵器であり、軍隊である。それが何たるかを理解せずに軍備の縮小、廃棄は不可能である。



われわれはこの点についてあまりに無知ではなかったか?
 より理想に近づけるためには、その攻撃対象をしっかりと見据え、理解することが必要であろう。現実の世界はきわめて冷厳である。その実体から目をそらしていても、平和と自由は得られないのではなかろうか?


江畑謙介著 「新軍事考―湾岸戦争にみる武力の本質」p262より

戦後日本は過去の戦争を反省し、平和を追い求めてきました。それは立派なことでしたが、戦争や軍事について冷静に考えたり、知ることを拒否する悪癖も伴いました。戦争といえば「あの戦争」しかわからない、軍とつけば軍国主義者の戦前回帰に決まっている。だからと軍事や兵器なんて見ざる聞かざる学ばざる、で戦後日本社会はやってきました。

ですがそればかりではいけない。平和の理想を真剣に追求しようとするなら、かえって戦争や軍事について正しい知識が必要だ――NHKにカンヅメになって日本中に分析を発信しておられた時にも、江畑氏はそんな思いを抱いていらっしゃったのではないでしょうか? 単に生活のためではなく、ある種の使命感を、口にはされないまでも、秘めておられたのではなかったでしょうか。

もしそうなら、それは日本が平和を希求するにあたって欠くべからざる姿勢でした。

「平時に戦争を研究し、戦時に平和を説くのが知識人の役割だ」というのが、永井陽之助先生の言葉であるけれども、「平時に戦争を研究する」のを妨げ、「『戦時に平和を説く』どころか、誰かが勇ましいことを呼号するのを期待している」のが、この国の根強い旧弊ではないか。

平和のためにこそ、平時には必死になって戦争を研究しなければならないのである。

追悼 江畑謙介さん: 雪斎の随想録

この永井氏と雪斎殿の言葉には大いに首肯すべきものがあります。事実、私たちはかつて一度誤っているからです。

「軍事評論家を見て、日本もここまで民主主義が根付いたかと感動した」

湾岸戦争の時に江畑氏ら軍事評論家が注目をあびました。そして軍事評論家に対して、いわれない非難が向けられたといいます。いわく、彼らは戦争を面白がっている、と。軍事を全て毛嫌いしている方々から見れば、戦争マニアが喜んでいるように映ったのでしょう。

ですが故 司馬遼太郎氏は異なる感想を抱かれたそうです。

要約すると

「私はテレビでしゃべっている軍事評論家を見て、ああ日本もここまで民主主義が根付いたかと感動した」と述べていたのだ。

なぜか。
あまりにシンプルな話で、彼は自分の青春時代、つまり太平洋戦争前を思い出し

「私の生きたあの時代、同じように軍事評論家が存在し、在野の立場から冷静に日米の軍事力を計数的に比較し、それが世間の話題になっていたら、彼我の差をだれもが認識し、あのような戦争は無かったろう。軍事評論家の存在こそ、民主主義の証なのだ」
こう、述べたのでありました。

2009-10-14 - 見えない道場本舗

戦前の日本はなぜ馬鹿な戦いをしてしまったか、という強烈な問題意識が司馬氏にはありました。私たちはかつて多くの軍事的愚行を行ない、到底勝てるわけもない戦争に突入しました。そのとき冷静に、客観的に「無理なものは無理」と言う議論が通らず、軍部への批判が封殺され、暴走を許してしまったのです。

その反省から現代の自衛隊は文民統制のもとにあります。議会を通して国民がちゃんと自国の軍事力をコントロールしなさい、という制度なのです。そのためには正確な知識を得ることが必要です。

司馬氏はこのような観点から、民間人に客観的で冷静な軍事解説を得られるようになったことに感動を覚え、民主主義の成果を感じてらっしゃったようです。

「知ることは国民の権利であると同時に義務でもある」

正しい情報が民主主義を機能させる、という考えは、まさに江畑氏が強く信じてらっしゃったことです。江畑氏は軍事について、例えば自衛隊がどんな装備をもっているか等について、知ることを嫌い拒否する人に対し、意外なほど強い批判を浴びせています。

 民主主義国で、国民が、自分たちを守るべき組織として存在する軍隊(自衛隊)が、自分たちの税金でどんな装備を持ち、どんな訓練をしているのかを知らなければ(何もその装備や訓練の方法を肯定せよと言うのではない)いわゆる文民統制(シビリアン・コントロール)ができなくなる。


 軍隊が何を持ち、どんなことをしているのかに故意に目を瞑るなら、それは軍隊の独走を許し、自ら民主主義を否定するのに他ならない。知ることは国民の権利であると同時に義務でもあり…好き嫌いは別として、現実に目を瞑っては、決して良い世界はできない。


江畑謙介兵器の常識・非常識(上) p1-2

知ることは義務でもある、その放棄は民主主義の自己否定に他ならない。これは重い言葉です。

特に日本においてはそうです。私たちはかつて軍事力という道具の使い方を誤り、あまりにも大きな惨禍を内外に与えてしまったからです。かといってその反動で、私は知らぬとばかり無知と放任を決め込むのは文民統制と民主主義の放棄であり、より以上に無責任というべきです。

このような文は他の著書でも後書きに見出すことができます。おそらく江畑氏は「できるだけ多くの人が自衛隊やその他の客観的な知識を得て欲しい。それが日本の民主主義のためである」という明快な信念をもっておられたのではないでしょうか。私はそう思います。彼が解説のわかりやすさを重視し、マニアでなくても読める本を多数書いておられるのも、そのような考えによるものだったのかもしれません。

「これは民主主義にとって極めて危険な状態である」

江畑氏は多くの信頼を集めました。そのゆえんは、正確さと客観性にありました。なぜ江畑氏はそうも正確さにこだわっておられたのでしょう。そこには明確な使命感に裏打ちされたプロフェッショナリズムがあったように思われます。

日本では一流といわれる新聞社でさえ信じられないほど軍事について無知です。ごく最近でさえ装甲車のことを「戦車」と報道したり、軍艦が集まって演習しているのを「”戦艦”が多数集結して…」と書いた記者もおりました。江畑氏はこのような国民的軍事無知について強い危惧を覚えてらっしゃいました。

…残念ながら国民一般がもつ軍隊や兵器に関する知識は驚くほど少なく、したがって正確な情報を国民に提供すべきメディアの知識もまた貧弱で、多くの間違いや誤解に基づく情報が流されている。


あるいは国民の軍事に関する知識を故意に利用した情報操作のための、客観性に欠ける情報の流布が行われている。これは民主主義にとって極めて危険な状態である。


江畑謙介著「兵器の常識・非常識(上)」 p3-4

客観性に欠け、誤った軍事情報の蔓延を、江畑氏は強く危惧しておられたのです。

「それに対する回答は、読者個々の自由である」

それゆえに江畑氏は著書や解説において、客観的に書くことを強く意識しておられました。決してご自身の価値観や意見を読者に押し付けようとはなさいませんでした。意図せずにそうなってしまうことすら、できる限り避けようとしておられたのです。

そのため自分の価値観が入ってしまいやすい日本の安全保障問題について書かれる際には、特に気を使ってらっしゃいます。

私は…自分の価値観や、主義主張に基づく意見を発言せず、できるだけ客観中立にデータ、情報を提供することで、それを読んで、あるいは聞いてくださった方々がご自分の意見をまとめるに当たっての参考にして頂ければと思い、それをもって生業としていきたいと考えてきた。


したがって、一国民、納税者として、どうしても主観、価値観が入り込みやすく、客観的説明に徹しきれない日本の安全保障問題に対しては、直接触れることを避けてきた。


江畑謙介著 「日本の安全保障」あとがき p245

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そこで、日本の安全保障問題について書かれる際には「まず客観的な情報の提供をしておいてから、問題点の指摘と、代案の検討方法の参考を述べるように*1」するといった慎重な配慮をなさっています。

その上、それでも完全にご自身の見解を排除することは難しいと断った上で「それにたいする回答は、読者個々の自由である」と記しておられます。つまりは江畑氏は私たち一人一人に、有権者として、自分なりの考えを持って欲しかったのです。

そのために意見の押し付けを避けて客観的な参考資料を提示するスタイルを貫かれました。江畑氏の解説がいつも客観的なものに徹していたのは、このような信念に裏打ちされたプロ意識の結果だったのでしょう。

平和と民主主義のため、まずは知ること

以上のようにご著書を振り返りますと、私は江畑氏からの明確なメッセージに触れるような思いが致します。

 平和や自由といった理想を求め守るためには、戦争や軍事力の現実から目をそらしてはならないということ。むしろ現実を直視し、正しく知ることによって始めて理想を追求できるということ。

 日本が民主主義国家である以上、自国の軍事力について知ることは国民の権利であり、文民統制を果たすための義務でもあるということ。そのためにもまずは客観的で正確な情報を求め、それを踏まえて自分なりに考えることが大事だということ。

 ここには民主主義への揺るぎない信頼があります。そして客観的で正確な情報によってそれを機能させて欲しいという期待みてとれます。江畑氏が亡くなられた今、私たちはもう彼の新しい著書や解説に接することはできません。私は江畑氏にいつかお目にかかりたいものと念願しておりましたが、果たせずじまいになってしまいました。

まことに残念です。まだまだお元気で活躍して頂きたかった。彼は本物のプロフェッショナルであり、多くの人から尊敬され、必要とされた人でした。なればこそ遺された多くのご著作を大切に読み返し、故人のご偉功と願いを無に帰すことなく、未来に活かしていきたいものだと思います。

謹んで故人のご冥福をお祈りいたします。

*1:「日本の安全保障」p246