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リアリズムと防衛ブログ

防衛ってそういうことだったのかブログ。国際関係論や安全保障論について、本の感想などを書いています。

インフラとしての安全保障

防衛入門

 大和総研のウェブサイトに安全保障について述べたコラムがありました。企業の経済活動と、国家や軍事力による安全保障との関わりについて、大和総研の中里氏が書いたものです。

安全保障はもっとも基本的なインフラ

 経済活動の土台には安全保障が欠かせないが、それはあまり意識されない、と中里氏は論じています。

安全保障を含む広義のインフラは大前提として、経済学的な考察の対象外とされることがしばしば起こるが、現実の経済活動では様々な影響を及ぼす。


……安定した秩序が構築され、治安が良好であるからこそ、正常な経済活動が営まれる。このことは、世界の紛争地域では中長期の経済プロジェクトが頓挫してしまうことからも明らかであろう。


……少なくとも独立を維持できるだけの安全保障体制は構築しておくべきであり、自由で活発な経済活動もそうした安全保障というインフラの上に成立するものである。……安全保障という視座をおろそかにしてしまえば、経済発展についても先行きを見通せない。

経済における安全保障の視座 | コラム | 大和総研グループ | 中里 幸聖

 ここに述べられているように、当たり前のように行われている経済活動は、実は安全保障がうまくいって初めて成り立っているものです。経済活動には発電所や道路といった目に見えるインフラだけでなく、安全保証という目に見えないインフラも欠かせないものです。

軍隊ほど儲からないものはない。しかし…

 大昔のギリシャ人は、あるコトワザを残しています。「軍隊ほど儲からないものはない。しかし、軍隊がなければもっと儲からない」というのです。ギリシャ人たちは盛んに貿易をしたり、民主主義の発展させたりと繁栄しました。しかし巨大なペルシャ帝国が出現するとその繁栄は軍事的圧力によって度々脅かされました。無事に商売をし、自由に生きるために安全保障努力が必要なのは、紀元前の昔から現代まで変わらない事情です。
  
 なぜ安全保障にコストをかけないと平和が保てないかと言えば、この世界と人間に幾つかの根本的な欠陥があるためなのですが、これについてはまた別の記事の話題に致します。

 ともあれ、古代から現在まで「水と安全はタダではない」という事情は変わっていません。自由に生きること、思うように商売ができることは当たり前のように思えて、実はコストがかかっているのです。

「安全保障は酸素のようなもの」

 しかし私たちは普段そんなことはあまり考えません。安全は保たれているのが当たり前、という感覚になるからです。国土は平和なのが当たり前、輸出入は妨害されないのが当たり前。あまりにも基本的なところで、必要不可欠なものだから、かえって有り難味が湧かないのです。

 高名な国際政治学者のジョセフ・ナイは「安全保障は酸素のようなもの」だと述べています。もし酸素が無かったら人は生きていけません。しかし日常生活の中で「ああ、今日も酸素がある。ありがたいなあ」などと思っている人はいないでしょう。必要不可欠な酸素は、しかしあって当然のものだと思われているからです。

 人が酸素のありがたみを感じるのは、宇宙飛行士でなければ、海やプールで溺れかかって息苦しい思いした時ぐらいのもの。欠乏して初めて、それがいかに重要なものか気づきます。

 国際社会の安全保障も似たところがあります。生存や経済活動に欠かせないものですが、かえってそうであればこそ、あって当たり前だと思いがちです。

 しかしごく近年に起こったいくつかの出来事を見ても、平和と安全が決してあって当たり前のものではないと気づかされます。例えば2年前8月には南オセチア戦争があり、昨年春には北朝鮮による弾道ミサイル発射と核実験があり、今年の韓国哨戒艦の撃沈事件が起こりました。

 こういった出来事から察せられるように、世界的にみればもちろん、日本近辺においても、平和と安全は決して無条件にあるものではなく、維持に安定させる努力を必要としています。

お薦め文献

安全保障とは何か―脱・幻想の危機管理論 (平凡社新書 (004))
書評記事