リアリズムと防衛を学ぶ

本の感想などを書いています。

中国とアメリカは「海のナワバリ」を争う

 犬を飼ったことのある人なら、飼い犬が人様の犬に吠え掛かって、悩まされたことがあるはずです。散歩中に他の犬とすれ違うとき。あるいは他の犬が自宅前の道を通るときに。犬には縄張り意識があるので、「自分の縄張りに不審な侵入者が来た」となればワンワンと吠えて撃退しようとします。縄張り意識の強い犬ならば、見知らぬ人や犬が自宅のそばを通ると激しく吠え、今にも噛み付かんばかりに威嚇するでしょう。

 このような縄張り、「ここは自分の侵されざるテリトリーだ」という意識をもっているのは、犬だけではありません。人間にも「パーソナル・スペース」と呼ばれるものがあるそうです。自分の体のまわり、数十センチ周囲の空間です。満員電車の中でもない限り、顔が触れそうな距離まで見知らぬ人が近寄ってきたらビックリするでしょう。「何だ」と思って不快に感じるかもしれません。これも一種の縄張りのようなもので、親しくない人には自分のテリトリーに入られたくないのです。

 人間の集団である国家にも縄張り意識があります。代表的なものは国境線ですが、それだけではありません。法的には何も決まっていなくても「ここは自国のテリトリーだ」という意識があります。国家の縄張り争いは犬の縄張り争いよりずっと複雑ですが、本質的には似たようなもの。侵入者からテリトリーを守ります。話し合ってダメなら、にらみつける。にらんでもダメなら、吠える。吠えても侵入が止まないなら、牙の出番です。

 今回は二頭の犬ならぬ、二つの国が縄張り争いをする話です。国はアメリカと中国、場所は黄海。ちなみに日本は、二頭の犬がうなり声をあげている、そのご近所に位置します。

黄海での米韓軍事演習に中国が反対

 北朝鮮が韓国の哨戒艦を魚雷で沈め、数十人の韓国軍将兵を殺害したのが、哨戒艦”天安”撃沈事件です。平時に他国の軍艦へテロ攻撃を行うなど、まともな国のやることではありません。この事件への対抗措置として韓国とアメリカは合同軍事演習をおこないます。空母をふくむ約20隻の軍艦、ステルス戦闘機F22を含む約200機の軍用機、そして米韓あわせて約8000人の兵士が参加する、大きな演習です。米韓がもつ海空軍の強い力を見せつけることで、新たな凶行を抑止しようというわけです。

 しかしそれに対し、中国が猛反発しました。なぜなら演習の予定場所が中国のごく近く、黄海だからです(以下、毎日新聞7/8)。

韓国の哨戒艦沈没事件を受けて米韓が黄海で予定する合同軍事演習について、中国外務省の秦剛副報道局長は8日の定例会見で「外国軍艦船が黄海など中国の近海に入り、中国の安全保障上の利益を損なう活動を実施することに断固として反対する」と表明した。


 中国はこれまでも、中国紙で軍人が反対意見を表明するなど演習への反対姿勢を示してきたが、政府が正式に明確な反対を表明するのは今回が初めて。中国は哨戒艦沈没事件をきっかけに米国が中国近海で軍事的な存在感を増すことを強く警戒している。

毎日jp(毎日新聞)

黄海は朝鮮半島と中国のあいだの海です。首都のペキンにも近く、中国からすれば目と鼻の先、庭のような位置です。ここにアメリカの空母が入ってくると、その攻撃範囲はペキンをも覆うほど。これを嫌がっているのです。

「アメリカの空母は動く目標になる」

 この演習に対し、中国では政府と軍から反対意見がだされています。例えば中国軍のシンクタンクに勤める羅援少将の発言です(時事通信)。

18日付中国紙・広州日報によると、中国軍系の学術団体・軍事科学学会の副秘書長、羅援少将はこのほど、韓国哨戒艦沈没事件を受けて計画されている米韓合同軍事演習などを挙げ、「中国への敵意を含む行動には対抗措置が必要だ」との見解を示した。

時事ドットコム

 出演したテレビ番組で、米空母などが黄海に入れば「動くターゲットになる。双方の実力を知る好機となるだろう」とも発言したそうです。彼は以前から過激な物言いをすることで知られています。

 軍だけではなく政府からも正式に反対表明がありました。

米韓が黄海で予定する合同軍事演習について、中国外務省の秦剛副報道局長は8日の定例会見で「外国軍艦船が黄海など中国の近海に入り、中国の安全保障上の利益を損なう活動を実施することに断固として反対する」と表明した。

 中国はこれまでも、中国紙で軍人が反対意見を表明するなど演習への反対姿勢を示してきたが、政府が正式に明確な反対を表明するのは今回が初めて。中国は哨戒艦沈没事件をきっかけに米国が中国近海で軍事的な存在感を増すことを強く警戒している。

毎日jp(毎日新聞)

 中国は対抗措置とは明言しないものの、ごく最近、近くの海域で海軍演習を繰り返して行いました。

 とはいえ米韓合同演習は、別に中国を攻撃するものではないし、公式には北朝鮮への抑止を目的としています。北朝鮮を(名指しはしないものの)批判する国連安保理の決議も既にでています。にも関わらず中国がこのように強く反発するのは、国家的なプライドの問題にとどまらず、中国の軍事戦略に原因があります。

「接近阻止・領域拒否」の近海防衛

 中国海軍(PLAN)が構想していると言われる軍事戦略が「Anti-access / area-denial strategy(接近阻止・領域拒否 戦略)」です。アメリカ等と戦争になった際に、敵の海軍が沿岸まで近寄ってこられないよう、近海かより遠くで足止めする戦略です。古典的な機雷から新鋭の潜水艦、さらには対艦弾道ミサイルなんていう珍しい兵器までもを投入し、アメリカ海軍を足止めします。例えばある海域に中国の潜水艦が潜んでいたり、あるいは対艦弾道ミサイルの射程内だったりすれば、アメリカの空母艦隊はその海域に入るのに慎重になります。あるいは弾道ミサイルや爆撃によってグアムや沖縄の基地が打撃をうければ、戦力展開に遅れが生じるかもしれません。

 その軍事的目的は、以下の3つです。

1:アジアの特定の作戦領域に、アメリカと同盟国の軍が到着するのを遅らせる 

2:アメリカの軍事作戦を支える地域の重要な基地の使用を妨害するか、中断させる

3:アメリカの戦力投射アセット(空母や揚陸艦)を中国沿岸からできるだけ遠くに留めておく

 こうしてアメリカ艦隊の接近を阻止し、邪魔します。それによって中国本土を攻撃から守るとともに、中国が政治的目的(たとえば台湾の併合)を達成する時間を稼ぎ出します。「接近阻止・領域拒否」という呼び方はアメリカ軍の年次報告書で出された用語です。アメリカからみれば「我が艦隊が近寄るのを阻止しようとしている」と見えるわけです。

 これを中国からみれば、戦争になればアメリカの艦隊が庭先まで侵入してきて、我が国を襲う、目的を妨害する、だから近海で防ぐ、というわけです。中国海軍はかつて沿岸、沿海での防御を目指していました。しかし訒小平が指導者となり、彼に抜擢された劉華清が海軍司令に任命されたことから、より外洋での防御を目指すようになりました。近年では経済発展した沿岸都市、として排他的経済水域EEZ)の漁業や天然資源の権益を守るため、より遠くの海に進出して敵軍を防ぐ必要がでてきました。

 具体的には中国海岸線に沿った海、つまりは渤海、黄海、東シナ海、南シナ海を敵国にコントロールされるのを防ぎ、海洋権益を守ることを目指しています。今回、米韓軍が演習を予定していた黄海もまた、近海防御戦略の舞台となる場所です。東・南の両シナ海とくらべて首都北京に近く、中国の庭先というべき海です。ここに易々とアメリカ空母の侵入を許すのは沽券に関わる大問題です。また軍事的な情報保全からも問題がある、と羅援少将は示唆しています。中国の潜水艦が外洋にでるルートを探られでもしたら堪らない、というのです。

Towards the end of his online discussion, Luo lets on perhaps the real reason the PLA doesn’t want U.S. ships in the Yellow Sea: the ships powerful sonar and sensors can monitor and map the “hydro-geological conditions of China’s submarines’ channels out to sea.”

Chinese General Takes to Web Arguing Why U.S. Carrier Should Stay Out of the Yellow Sea | Defense Tech

中国に法的な正当性はあるか? EEZでの軍事活動と海の法

 ところでこの場合、中国にはアメリカ海軍の進入を拒否する正当な権利はあるのでしょうか? これは微妙なところです。なぜなら海洋の秩序を規定している「国連海洋法条約(UNCLOS)」において、解釈が分かれている問題だからです。

 公海の自由の原則からいえば、中国の反対は不当です。黄海は中国に近いとはいえ、領海12海里の外には公海です。公海では軍艦の自由な行動が許されています。とすればアメリカ・韓国の海軍が演習をやるのも自由です。

 ただし沿岸国は沿岸から200海里以内で排他的経済水域EEZ)を設定できます。公海とはいえ他国のEEZの中でも、偵察などの軍事行動が許されるかどうかは、意見が分かれています。アメリカ・イギリスなどはEEZであっても軍艦の行動については自由だ、と主張しています。それに対して中国らいくつかの国は「他国のEEZでの軍事活動には沿岸国の許可が必要」という解釈をとっています。中国の主張をとるならば、黄海の中国EEZにアメリカ海軍が勝手に入ってきて演習をしてはならない、ということになるでしょう。

 中国は09年春にも、黄海の中国EEZで活動していたアメリカ海軍の調査船ビクトリアスを妨害しています。同様に南シナ海らでも、アメリカ軍艦の中国EEZでの活動を妨害、または批判したりしてきました。これに対しアメリカは自由な公海で合法的に活動していただけだと反発しました。

参考:高峰康修の世直し政論:中国漁船、黄海で米海軍調査船に妨害行為―過去数カ月で5度目

 このように米中間で「EEZでの軍事活動」について法的解釈が分かれており、いまのところどっちが明らかに正しいとは言えないでしょう。もっとも中国自身は沖縄周辺において、日本のEEZで勝手に軍事的調査を幾度となく行っていますから、「他国EEZでの軍事活動には沿岸国の許可が必要」で一貫しているわけでもありません。

アメリカと中国の海をめぐる戦略的対立

 このようにみれば、今回の米韓合同演習についての対立は、今回限りのものではない、これからも同種の対立が幾度と無く起こりえることが分かります。両国の海洋戦略が対立しているからです。

 アメリカは強大な海軍を世界の海に展開し、必要に応じてユーラシア大陸に「海から(from the sea)」関与することで、自国にとって望ましい秩序を守ってきました。そのためにはユーラシア大陸周辺の要所要所に米軍基地があり、かつ米海軍の戦力が大陸国のそれを圧倒していて、妨げられないことが必要です。

 他方、中国の近海防御は、中国近海をアメリカ海軍でさえも接近困難な「中国の庭」にすることを目指しています。有事においては接近阻止・領域拒否戦略があり、平時においても排他的経済水域内では中国の許可なくして勝手な軍事活動ができないようにしたがっています。


 海から大陸に関与する能力を持ち続けたいアメリカ。

 少なくとも近海はアメリカにも手出しさせない縄張りにしたい中国。


 この二国の海洋をめぐる戦略は、究極的には両立し難いものです。中国海軍の外洋進出に伴って、この種の対立は少しずつ色濃く現れていくことでしょう。今回の米韓演習に対する中国の反発は、そのちょっとした表れに過ぎないとみるべきでしょう。

 今回、アメリカはひとまず中国に遠慮し、黄海での演習を先延ばししました(7/21日経)。米韓合同演習は今月25日から、ひとまずは黄海を避け、日本海で行われる予定です。しかし黄海での演習は先延ばしにしただけであり、数ヶ月中には実施されるでしょう。

 なお、今月末の米韓演習は、その名を「不屈の意志」と命名されています。対する中国が今月半ば、対抗措置と口には出さず、しかし近海で実施した演習は「交戦2010」だそうです。

この記事の参考文献