リアリズムと防衛を学ぶ

本の感想などを書いています。

妥協のやりかたを間違えた尖閣問題のこれから

 引き続き、尖閣諸島沖での衝突事件から始まった一連の外交問題についてです。

 先の記事で触れたように、今回の件はもともと武力衝突に発展する可能性が極めて低い、外交案件でした。よって日本側が妥協し、船長の身柄を中国に返すことは、どこかの時点でやらざるをえなかったでしょう。

 しかし身柄を返す事前準備が不足し、かつタイミングが悪く、しかも形式がまずかったことは日本の失点であり、中国にとってはラッキーな拾い物となったでしょう。中国は今回の件を布石として尖閣諸島の領有問題でゆっくりと押すことが可能になります。そのやり方については南シナ海で起こったことが参考になるでしょう。

なぜ衝突事件がここまで大騒ぎになったのか

 今回の事件については「尖閣諸島沖での日中対立について」で触れましたが、再度確認しておきましょう。

 今回の騒動は、尖閣諸島の沖で中国の漁船が違法操業をおこなったことから始まりました。海上保安庁の巡視船が退去を勧告したのですが、中国漁船は退去せず、それどころか巡視船と衝突しました。漁船の方から当たってきたようです。この衝突事件が起こったのが9月7日午前のこと。漁船の船長は公務執行妨害で逮捕され、取り調べを受けました。中国政府はこれに猛反発し、日本で拘留されている船長を無条件で解放するよう要求してきました。

 なぜ漁船と巡視船の衝突事故からこのようにヒートアップするかというと、衝突の場所が問題だからです。現場は『尖閣諸島』の沖合いでした。尖閣諸島は日本の領土なのですが、中国は「古来からの中国領だ」と主張しています。

 もし尖閣が日本領ならば現場は日本領海ですから、海保の行為は正当です。「日本の領海へ中国の漁船が勝手に入ってきて、不法に漁をしようとし、それを注意した巡視船に体当たりしてきた」のですから、まったくとんでもない漁船である、ということになります。

 しかし、もし尖閣が中国領だと考えると、事態はまったく違って見えます。これでは「中国の漁船が中国の領海で漁をしていたら、日本の巡視船が入ってきて、中国の漁船を連れ去った」となり、日本はなんという非道なことをするのだ、中国に対する侮辱だ、ということになって善悪逆転です。

 このようなわけで衝突事故によって「いったい、尖閣諸島は日本の領土なのか、中国の領土なのか」という問題に火がつきました。

 そして先日、日本は船長を中国に送り返しました。検察の判断で起訴を見送った、という形です。検察は判断理由として日中関係を考慮したと述べています。

紛争の可能性は極めて低かった

 中国は今回、かなり強硬なことを言って、いろいろな手段で日本に圧力をかけてきました。しかしその一方、中国軍に目立った動きはみられませんでした。中国側はもともとこの件を外交レベルで終結させるつもりであり、武力衝突にまでエスカレートさせる意図がなかったのです。中国海軍少将の発言からもこれは明らかです。(サーチナ 9/19)

楊毅海軍少将は、中国の反応が政治面に止まり、いまだ軍事的行動に出ていないことは、事態の収拾がつかなくなることを考慮して、日本に与えられた猶予である。日本は情勢を正しく判断し、日中の戦略的互恵関係から適切に事態を処理することが、結局は日本自身のためになるとしている。

中国の海軍少将:軍事未介入は日本に与えられた猶予(2) 2010/09/19(日) 10:51:43 [サーチナ]

 この発言に見られるように、中国としても今回は軍を前面に出さず、外交交渉で妥協点をみつけて騒動を終わらせる腹づもりでいたとみていいでしょう。

圧力をかけた中国、譲り方をまちがえた日本

中国は軍ではなく外交や経済で日本に圧力をかけ、妥協を迫りました。これについて元外交官の茂田氏はこう分析されています。

閣僚級接触の停止、レア・アースの対日輸出の9月20日以降の事実上差し止め、日本への観光の抑制、青年その他の民間交流の停止など、対日圧力を加えてきた。温首相は、更なる報復を行うとニューヨークで述べた。更に日本人4名を軍事施設立ち入りの嫌疑で逮捕勾留した。


理不尽な、常軌を逸した対日圧力である。


こういう行為には、報償を与えてはならない。こういう圧力に屈することは、将来に大きな禍根を残す。中国は、日本は圧力をかければどうにでもなる国と考えることになる。それは正常な日中関係を築くことにならない。外交と言う見地からは、好ましくない決定と言わざるを得ない。


……短期的な利益のために妥協をすることは長期的な不利益につながることがある。

尖閣諸島問題(その3) - 国際情報センター - Yahoo!ブログ

 茂田氏の書かれているように、中国に圧力に屈した形での妥協は、さらなる圧力を将来に招くことになります。そこで中国のメンツに配慮しつつも、日本側の「領有権問題では譲らないぞ」という明確な態度を伝える形での妥協が望ましいところでした。

 妥協の形式はいろいろと考えられます。ひとつには29日の拘留期限まで取り調べを引き延ばし、期限切れだから強制送還する方法です。あるいはもっと早期に釈放して「逮捕した」という実績だけ残して終幕にするか、あるいはもう少し強硬に起訴までいくか、です。これについては元外務官僚で今は衆議院議員の緒方林太郎氏が書いておられます。

 処分保留で釈放にするなら、もっと早い段階で恩着せがましくやるべきでしたね。「国慶節もありますから、まあ、人道的見地ということで・・・」ということを精一杯恩着せがましく言った上でやるという選択肢はあったはずです。決してそれがいいとは思いませんが、処分保留であればそれしかなかったはずです。

[あるいは]*1……起訴した後、すぐに裁判をして執行猶予付きの有罪くらいで収まるようにして、中国に送り返せるようにすれば良かったのです(なお、私は司法に介入する意図はありません)。

尖閣諸島(その2)|治大国若烹小鮮 ― おがた林太郎ブログ


 同じ船長を返すにしても、こういった手段をとれば日本側のメッセージをクリアに伝えられたでしょう。早期に何らかの名目で釈放しておけば「逮捕した」という実績だけは残りますし、事態は長引きません。起訴までいってから送還したなら、事態は長期化するものの「尖閣は日本の司法が管轄している」ことが極めて明確になります。

 ところが、実際に日本が船長を送り返すと決めたタイミングは非常にまずいものだったでしょう。引き続き緒方氏のブログから引用します。

結局、一番「圧力が効いた」と中国に思わせるタイミングで処分保留にしたわけです。これは最悪ですね。

尖閣諸島(その2)|治大国若烹小鮮 ― おがた林太郎ブログ

 深夜に大使呼び出されて船員と船を返還し、四人の日本人が拘束・禁輸措置らの圧力がかかった直後に釈放決定と、二回にわたって圧力に屈した形です。

 なお付け加えておきますが、ここで問題なのは、屈したこと事態ではありません。低姿勢でいる方が有利ならばいくらでもそうすべきですし、そういう場合もあります。しかしこの場合、前後の状況や南シナ海での情勢から判断して、屈したことで不利になります。

生かせなかった「釈放」カード

 日本政府としては、船長が釈放されれば中国側はすぐに矛を収めるだろう、と楽観視していたようです(9/27 読売)。

 船長釈放を発表した24日、首相官邸には楽観論が満ちていた。政府筋は「中国の反発は一気にしぼむはず」と語り、首相側近は「この先の中国の動きを見て評価してほしい」と自信たっぷりだった。

 だが、事実上の「政治決断」は外務省幹部らにも事前に相談されていなかったため、結果的に「首相らは中国側と落としどころを調整せず、根拠なく事態が収拾すると楽観していた可能性が高い」(外務省関係者)との見方も出ている。

お知らせ : YOMIURI ONLINE(読売新聞)


 確かに中国はもともとこの件を外交交渉で収めるつもりですから、いずれ矛を収めてくるでしょう。船長釈放はそのきっかけになりえるカードでした。ただしそれは「これを落とし所にするということで」と中国側に調整し、納得させた上での釈放です。船長を取り返した中国側は、この際だからもう少し押しておく、という選択をしたようです。(9/25 読売)

 執拗(しつよう)なまでの外交圧力をかけてくる中国側には「菅政権にさらに揺さぶりをかければ、一層の譲歩を引き出せる」(外交筋)との読みがある。

お知らせ : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 もっとも、今回の一件に話を限るならば、やはりあまり長期化しないかもしれません。中国の今回の狙いはそう大きなものではなく、どちらかといえば先々のためのテストや布石のためと考えられるためです。

これからの展開は南シナ海に見える


 ただし今回の件が収まったとしても、中国は尖閣諸島の領有権問題でより強気に押してくるようになり、ことあるごとに、少しずつ実効支配を固め、日本側の領有権を有名無実にしようとするでしょう。

 島の領有権を手に入れ、海洋権益を広げるとき、中国のやり方にはある程度のパターンがあります。まず漁船を送り込み、次に漁業監視船をだし、そのあとに軍艦を送り込み……という風に、徐々に実効支配を進めていくやり方です。

 これは南シナ海で昔から見られます。パラセル(西沙)諸島については前述しましたが、同じく南シナ海にある南沙諸島についても同様です。

 1992年米軍がフィリピンから撤退したのを見届けたように、95年には南沙諸島東方に所在するミスチーフ礁に漁民避難目的と称して施設を構築。


フィリピン政府は主権の侵害であると抗議したものの、中国海軍の方が優勢であり、中国は抗議を無視して中国艦艇や海洋調査船を派遣。強引に建設作業を行い、鉄筋コンクリートの建物、大型船舶が停泊可能な岸壁及びヘリポート等を建設して実効支配を確立している。

尖閣諸島の次は、沖縄領有に照準合わす中国 上海万博後に軍事行動に出る危険性も (3/6)

 90年代前半、フィリピンは自国領だと考えていたミスチープ礁に、中国の施設を建設しはじめました。その後、フィリピンは負けじとしばしば不法操業する中国漁民を拿捕しましたが、97年4月には同海域に7隻の中国軍艦艇があらわれるなど、中国海軍の進出が進みました。

 中国政府はミスチーフ礁の施設を「漁民の避難施設」だと説明しましたが、当時フィリピンの国防大臣であったメルカド氏によれば「恒久的な軍事プレゼンスを目的とした施設であることは明白である。……中国は徐々に侵略を進めている」(東南アジア月報 1998年8月号 p106)ということです。

 南シナ海においてそうしてきたのと同様、東シナ海においても中国はチャンスがあれば徐々に海洋権益の拡張を狙ってくるでしょう。

一歩、また一歩

 「まず漁船、次に漁業監視船」と書きましたが、その兆候はすでにある、とみてよいかもしれません。9月27日の読売新聞では次のように報道しています。

尖閣諸島(中国名・釣魚島)沖の日本領海内で起きた中国漁船衝突事件を受けて、中国政府が、同諸島近海で、漁業監視船による自国漁船の護衛とパトロールを常態化させる方針を固めたことが27日、わかった。

お知らせ : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 今回の問題のように、外交問題はどちらか、または双方が妥協しないことには解決できません。ですからどこかで妥協するのは自然なことです。しかしそこにもやり方の巧拙があります。今回、日本側は妥協の仕方を誤った結果、中国側のさらなる前進にGOサインを出してしまったとみていいでしょう。それは徐々に、ゆっくりと進んでいきます。

この記事の参考文献

*1:[]内は文脈を明示するために補足したもの。原文にはなし