第1章 国連憲章と一般国際法上の自衛権(村瀬信也)
第2章 集団的自衛権と国際法(中谷和弘)
第3章 自衛権行使における必要性・均衡性原則(根元和幸)
第4章 自衛権と弾道ミサイル防衛の法的根拠
第5章 低水準敵対行為と自衛権
第6章 自衛の発動要件にとっての非国家的行為体の意味
第7章 自衛と域外法執行措置
第8章 自衛権行使と武力紛争法
第9章 自衛権と海上中立
第10章 憲法上の自衛権と国際法上の自衛権
本書の特色は、時代を先取りし、生々しい現実の問題について大胆に踏み込んで論じていることです。例えば、はじがきにはこうあります。
憲法9条の下では個別的自衛権しか認められないということを政府自ら不動の前提としてきたために、日米安保条約における共同防衛の根拠についても、日本側の個別的自衛権と米国側の集団的自衛権の同時行使といった不均衡な形でこれを説明せざるを得なかったし、同条約の下での具体的な支援の在り方についても、非戦闘地域、後方支援などの概念の遠洋によって米軍の武力行使と「一体化」して捉えられないよう努めてきた。もとよりこれらは、それぞれの時代における具体的な国際環境と政治状況の下で、憲法の理念と日米安保体制との整合性を確保しようという努力の結果でもあった。しかし、現代においては、次第にこうした擬制が現実との乖離の前に再検討を迫られる状況に立ち至ってきているようにも思われるのである。(pⅱ)
著者のいう「擬制と現実との乖離」の例として挙げられているのが、PKO等における「武力行使一体化」論についてです。
武力行使一体化論の文脈で最も深刻な誤りは、国連の平和維持ないし平和強制に関わる軍隊の活動へのわが国の参加について、これが往々あたかも集団的自衛権の行使と同視されるかのように捉えられてきたことである。しかし、言うまでもなく、国連憲章第7章の下で「平和に対する脅威、平和の破壊、侵略行為」に対してとられる国連の軍事的な措置は集団的安全保障を実現するための強制行動である、集団的自衛権の行使とは全く異なるものである。(pⅱ-ⅲ)
国内の議論においては、集団的安全保障も集団的自衛権も混同され、さらには憲法と国連憲章で禁じられている「武力の行使」が「武器の使用」と混同され、要するに「海外で鉄砲を撃ってはいけない」みたいな安易で間違った理解が形成されたこともありました。
その結果、紛争地帯にPKOを出すのに、持参させる機関銃は2挺では多過ぎるから1挺にすべきた、というようなマイクロな話が大まじめに議会で論じられたりしました。
話の土台になる用語や知識の点でボタンを掛け違えていると、そういう不思議な話に陥ってしまいます。その意味で、背景、基礎、歴史的経緯まで手広く、かつ現代の問題に鋭く切り込んでいる本書はとても勉強になる本だと思いました。