リアリズムと防衛ブログ

防衛ってそういうことだったのかブログ。国際関係論や安全保障論について、本の感想などを書いています。

ネバー・アゲイン・レゾルーション(二度と繰り返さない決意)

手痛い失敗経験はその後の行動に大きく影響します。そして「二度とこんなことは繰り返すまい」と思うのですが、そんな決意が報われるとは限らないのが、この世のままならないところです。個人であれ国家であれ。

 

リアリズムに従えば、日本は軍事大国になるはずだった

高度経済成長を遂げた日本は、その経済力を本格的に軍事力に転化し、ふたたび軍事大国となって、核武装も検討し、アメリカから独自の行動をとりはじめるだろう、と見られていました。
 
そのように観測していたのは、リアリズム学派の国際政治学者たちです。国際政治学のリアリズムは、ざっくり言うと、国家は軍事力を中心とする力を高めることに執着する等、力に重きを置いた仮定に基づく見方です。
 
なお、口語でいうリアリズム、現実をありのままに捉えているかどうかとか等とは殆ど関係がありません(国際政治学徒だってカントくらいは聞きかじっているのですし)。だからリアリズムという言い方に違和感があるなら、パワー・ポリティクス学派とでも読み替えて理解すればいいでしょう。
 
このような見方からすると、世界二位(当時)の経済力を得た日本は、さらに自国の影響力を高めるため、軍事力も世界二位…とはいかずとも、大幅に増強するのが自然です。そうすればソ連の脅威にもある程度まで自力で対応できて安全が高まるし、アメリカとの同盟に依存せず、好きな行動を取れる余地が大きく広がります。リアリズムの大家の一人であるケネス・ウォルツは、80年代に、日本が核武装に走る可能性までも指摘していました。
 
しかし、実際にはそうはなりませんでした。日本はその経済力を、ごく控え目にしか軍事力に向けなかったので、建設した軍事力は質的にはそれなりでも、量的にはごく小規模なものでした。その中身も特徴的で、自国が戦場化したときのことしか考えない、国土での防衛に特化したものでした。
 
こうして日本は巨大な経済力と軍事力を併せ持って他国に大きな影響を与える国、すなわち大国には、敢えてなりませんでした。経済大国とは、経済以外は大国ではない、ということです。
 

ネバー・アゲイン・レゾリューション

日本がこのような選択をした理由は、国内要因にものとめないと、説明がつきません。リアリストのいうような力の論理よりも、歴史体験から生まれた規範の方が強かったのです。
たとえば、日本が太平洋戦争から学んだ一つが国家目標達成の手段として軍事力や軍事組織に頼らない、ということであり、これをD・ボブロウは、戦後日本の「二度と繰り返さない決意(ネバーアゲインレゾリューション)」の一つと呼んでいる。(安全保障の国際政治学 p322)
このため日本は軍事力に基づく影響力や政策の自由度、自力で得られる安全などを諦めるかわりに、力をもつことの誘惑や危険からある程度自由でいられました。
 

二度と繰り返してはならない(何を?)

戦争の歴史から、二度と繰り返してはならない、という思いを抱くのは日本だけではありません。中国もそうです。しかし、どんな教訓を得るかは、国によって異なります。
 
毛沢東は,1949年の中国人民政治協商会読第1回全体会議における開幕の演説で「......どのような帝国主義者にも再び我々の国土を侵略させてはならない......我々は強大な空軍と海軍を保有しなければならない(......不允許任何帝国主義者再来我們的国土.....而且有一個強大的空軍和一個強大的海軍)」と指摘し,1953年には「わが国の海岸線は長大であり,帝国主義は中国に海軍がないことを侮り,百年以上にわたり帝国主義は我が国を侵略してきた。その多くは海上から来たものである(我們国家的海岸線視長,帝国主義就是欺負我僧没有海軍,一百多年免帝国主義侵略我臥大都是従海上乗的)」と軍艦の上で演説しました。
 
中国には、アヘン戦争以来、延々と列強に植民地化され、日本にまで侵略を受けた悲惨な記憶があります。二度とそんなことを繰り返さないよう、侵略者に負けない強大な軍備を持とう、と決意しました。
 
現在、強大化した中国は惜しみなく軍備に金を使い、国土防衛から攻守兼備、沿岸防御から外洋進出に進んでいます。小規模な武力衝突を繰り返し、勢力を拡大してきました。そのことが近隣国に大きな脅威を与えています。
 

狼と羊、羹と膾

共通のできごとから「二度と繰り返すまい」と決意したとしても、国によって得た教訓は異なります。
 
いじめた側といじめられた側では、同じ出来事もずいぶん違った記憶になる道理です。侵略をして反省した側は「二度とあんなことはすまい」と消極的になり、侵略された側は「二度とあんなことはされまい」と積極的になるわけです。
 
そのために、国際政治の歴史の中では、あるときは羊のように餌食にされた国が、後には一変して狼のように振る舞い、そのことがかえって敵を増やしたりします。その逆だってあり得るでしょう。
 
高坂正堯は「歴史から学ぶことは必要だが、しかし、難しい。というのは、単純な類推は、多くの場合、正しい教訓を与えないからである」と書いています。
 
歴史の教訓とはソフトウェアであり、動作条件が備わっています。ある時代の環境から得られた教訓は、現代の環境にそのまま当てはめても、正常に機能しないのです。
 
歴史に学ぶということは、過去の出来事を「二度と繰り返すまいと決意」するだけでなく、その前提と条件をよく分析し、現代に適用するための知的努力をすることです。
 
さもないと、熱いスープで火傷したからといって冷たい酢の物を吹いて冷まそうとしたり、狼を恐れるあまり自らが狼と化してしまったりするでしょう。
 

参考文献  

 

安全保障の国際政治学 -- 焦りと傲り 第二版

安全保障の国際政治学 -- 焦りと傲り 第二版

マサダ―ヘロデスの宮殿と熱心党最後の拠点 (1975年)

マサダ―ヘロデスの宮殿と熱心党最後の拠点 (1975年)