リアリズムと防衛ブログ

防衛ってそういうことだったのかブログ。国際関係論や安全保障論について、本の感想などを書いています。

オリンピックと侵略とーウクライナ危機にみる世界の仕組み

ソチ・オリンピックにおいて、バイアスロン女子リレーでワリ・セメレンコ選手らのチームが金メダルに輝きました。だけど、彼女たちの国のオリンピック委員会の会長のコメントは「今は祝杯を挙げるようなときではない。」 彼らの国、ウクライナは動乱の渦中にあり、多くの犠牲者が出たばかりだったからです。さらには今、ウクライナという国家は分裂の危機にあります。 ウクライナのクリミア半島にロシア軍と思われる兵士が現れ、民間空港を一時占領するなど、暗躍しています。ウクライナのアワコフ内相は「これは軍事侵攻であり、占領だ。あらゆる国際条約に違反し、主権国家に対する直接的な挑発だ」とロシアを非難しました そこに見えるのは、21世紀になっても変わることのない、国益と暴力の世界です。

古典的な勢力圏を争い

グローバル化が進み、物流やインターネットで世界の市民がつながった今日では、国境や国家の意味が昔にくらべて希薄になりました。にも関わらず、ウクライナをめぐるロシアとEUの対立は、世界がいまだに根っこの部分では変わっていないことを思い出させます。いまだに国際社会の主要なプレイヤーは国家であり、その利益を最終的に擁護するものは軍事力だということを。 ロシアの意図について、軍事アナリスト小泉悠氏は端的にこう書かれています。

ウクライナの帰趨はロシアにとって死活的とも言える重要性を有する。クリミアの戦略的価値に限らず、人種的にも宗教的にもロシアに近く(というよりもウクライナこそがルーシの源流と考えられる)、政治・経済的にも重要なパートナー(たとえばウクライナは欧州向け天然ガスの通過国のひとつであり、工業面でも協力が盛ん)であるウクライナが自国の影響圏を離脱してしまう事態はなんとしても避けたい。(引用元

経済発展のためEUに入ろうとしたウクライナを、ロシア寄りの国として維持することはロシアにとって死活的な国益(vital interest)です。大国がある国を自国の勢力圏にとどめるため、経済力や軍事力を駆使する。古典的な勢力圏争いの構図です。 争いの焦点は、新政権が立ったウクライナの首都キエフから、南端のクリミア半島に移りつつあります。

クリミア半島の軍事的な重要性

f:id:zyesuta:20140813171038j:plain(ノボスチ紙より引用)

クリミアは、ウクライナで唯一ロシア系住民が大半を占める地域です。ウクライナの一部とはいえ、その民族性や歴史から自治共和国の地位を保ってきました。親ロシアの前政権が倒れて以降、クリミアは新政権に反発を強めています。また、クリミア半島は軍事的な要地でもあります。

 クリミア半島のセバストポリはロシアの租借地であり、ロシア海軍の黒海艦隊の母港です。この軍港を所有しているからこそ、ロシアは黒海、そして地中海へと艦隊を送り出すことができます。軍事力を送り出すということは、その地域に発言力をもてるということです。

例えば中東のシリア内戦に対してフランスとアメリカが軍事介入を検討したとき。ロシアはすかさず艦隊をシリアの沖合に派遣して、アメリカ艦隊と睨み合いました。シリアの政権は親ロシアなので米仏の軍事介入で政権が交代し、反ロシアになったら困るからです。この際、派遣されたロシア艦隊の主力となったのが、黒海艦隊です。

このようなロシアの強い反対により、アメリカは軍事介入を躊躇。やる気だけはあるが単独介入する軍事力は無いフランスも、アメリカが日和ったことにより断念。結局、シリア介入問題は外交上の手打ちがはかられ、ロシアは外交的に大勝利しました。

ロシアの外交手腕の冴えもさることながら、その背景となったのがセバストポリから展開される軍事力です。同港はロシアがその地域で大国として振る舞うための足場なのです。こんな要地を手放すわけがありません。例え軍事力を使っても。

国籍不詳の軍隊がセバストポリで活動開始

f:id:zyesuta:20140813171205j:plain(BBC)

BBCの報道によると、ウクライナ新政権は「ロシア軍がセバストポリで民間空港を占領した」と言っています。(BBC 2/28)空港を一時占拠していた国籍不詳の武力集団は、その後撤収したようです。他にもウクライナ海軍司令部を包囲した等、セバストポリのロシア軍がクリミア半島の要地をピンポイントに制圧しようとしているような動きが報じられています。

 

ロシアの通信社の報道では、ロシア政府はそれは「うちの軍隊じゃない」と言っています。(引用元:ロシア紙)しかし軍隊が宙から湧いて出ることはありません。装備・規模・規律などがまともな部隊ならば、民族主義の民兵だとは考えがたいところ。治安部隊が民兵に衣替えしたのでもなければ、ロシア軍と見るのが自然でしょう。

 

とはいえロシアとしては、建前上は「軍隊を派遣して一帯を占拠した」とは言えないでしょう。他国領内の空港などを軍隊で一時制圧するなんて、ウクライナの内相が言うように「軍事侵攻であり、占領」としか言いようがありません。(時事通信14/3/1「ウクライナ「ロシア軍事侵攻」非難」

 

ロシアはそれ以外にも、ウクライナに近い軍管区で大規模な演習を開始しています。演習中の軍隊は、実弾さえ持たせてやれば、早期に実戦に投入できます。演習場に向かうところ、進路をクリミアに変えればいいのです。もしウクライナ新政権がクリミアの分離主義を弾圧するなら、ロシアはクリミアの人々を「ロシア人」に認定し、「迫害された人々の人権を守れ」と人道的介入の名目で大軍を送り込める、ということです。

 

「我が国は軍事力を行使してでも、ウクライナを、セバストポリを手放さない。手を出してきたら、どうなるか分かってんだろうな?」という姿勢を、実力で雄弁に示しています。

21世紀、世界はまだ国益と軍事力で動いている

オリンピックが行われ、来月7日にはパラリンピックが開催されるソチ。軍事力を用いた国益の擁護、ダイレクトにいえば侵略行為が行われているセバストポリ。2つの都市の距離は700kmほど。東京ー岡山間くらいです。日常と動乱、平和と侵略の距離は、意外なほど近いようです。

 

国際政治学におけるリアリズム学派の巨人モーゲンソーは「政治的リアリズムが国際政治という風景を通って行く場合に、道案内の助けとなるおもな道標は、力によって定義される利益の概念である」と述べています。「国益を力によって守る」というのは国家の最も基本的な行動パターンであり、帝国主義全盛の19世紀も、グローバル化の21世紀も、基本的には変わりません。

 

ただ、昔は露骨にやっていたのを、今は表面上をとりつくろってやるだけです。それはそれで偉大な進歩とはいえ、いっこうに戦争はなくならないし、国家は武力を用いて自国の利益をはかることを止めません。

 

なぜなら、武力の行使にかわる解決手段がこの世に出現していないからです。 ハンナ・アーレントが書いているように「今日まで戦争が残っている主な理由は人類の内心の死への志向でもなく、抑制しがたい攻撃本能でもなく、……ただただ国家間の最終裁決者として戦争の代わりになるものが未だに政治の舞台に現れないという事実」(暴力について 1973 p95)によります。

 

だから名目を取り繕いつつ、帝国主義の時代のように、国益を守るために時として軍事力が使われます。 21世紀になっても、世界は国益と軍事力で動いています。

 

ふだんは平和色のカーペットが表面を覆っているから、誰も意識しないけれど。ひとたび動乱の嵐が来れば、布切れは簡単に吹き飛んで、利益をめぐる暴力の地表が表れます。この世界が本来どういう場所であるか、たまには思い出す必要があるのでしょう。

なぜなら嵐は、遠くで吹くとは限らないのですから。