シラーの戯曲「ヴァレンシュタイン」を読みました。戯曲というのは、舞台演劇の台本のこと。小説と違い、セリフの他は状況説明のト書きだけで書かれていて、地の文というものがありません。この作品は歴史劇で、三十年戦争時代のドイツに実在した将軍ヴァレンシュタインのエピソードをもとに創作されたものです。
蜚鳥尽きて良弓蔵せられ、狡兎死して走狗煮らる
中国の故事成語にこういうのがあります。「飛ぶ鳥をみんな射てしまうと、いくら良い弓でも蔵の中にしまわれてしまう。ウサギをみんな狩りつくしてしまえば、用済みの猟犬は煮て食べられてしまう」と。
手強い獲物、外敵といったものがいる場合には、強い軍隊を率いる有能な将軍が国の頼りです。しかし外敵をやっつけた後には、君主にとって、その有能な部下こそが最大の危険要素となります。
今度は君主たる自分を倒してとってかわるのではないか。部下自身にそのつもりがなくても、まわりの者が焚きつけるのではないか。そんな目で見ていると、部下のあらゆる行動が「怪しい」と思えてくる。部下は部下で「さては俺を排除するつもりか」と感じ、自分の身を守るために軍隊を集めるなどの備えをせざるをえません。それを見た君主は「それみたことか、やはり反乱を企んでいる!」と確信し、行動にうってでます。
セリフで見る三十年戦争のはじまり
このようにして能臣を殺した君主、殺された部下は数知れません。西洋において典型的な例といえるのが「ボヘミアの傭兵隊長」と呼ばれる男、ヴァレンシュタインです。ヴァレンシュタインは三十年戦争において活躍しました。
三十年戦争はいまのドイツ、当時の神聖ローマ帝国で行われた戦争です。今風にいえば、帝国内で内戦をやっていたところに、周辺国が我も我もと軍事介入してきて、泥沼の長期戦になった、という感じです。
三十年もひとつ国内で戦争をしていたものですから、街は焼かれる、畑は奪われる、人はさらわれたり殺されたする。故郷を追われた人は食い詰めるから、傭兵にでもならなって、奪ったり殺したりする側にまわらないと食べていけない。こうして悪循環が生まれ、国中がめちゃくちゃになりました。
このおぞましい悪循環を、ヴァレンシュタイン旗下の将軍の一人イゾラーニは、作中でこう言っています。
イゾラーニ 戦争が戦争を育てるのです。百姓たちが破産すれば、皇帝はますますたくさんの兵士を集められますよ。(p93)
何でこんな戦争が起こったのでしょう? はじまりは、ハプスブルグ家のフェルディナンド2世が神聖ローマ皇帝となり、帝国内のカトリック化と帝権の強化を強力に推し進めたことです。ルドルフ2世がだした、プロテスタントにも信仰の自由を認める勅許を取り消したことで、大きな反発を招きました。
これに対しボヘミアのプロテスタント達は、フリードリヒ伯爵を王位に擁立して、分離独立をはかりました。しかしフリードリヒは皇帝軍に敗れ、他国に逃亡します。シラーはこれをボヘミアの名もない市民の口をかりて、こう語らせています。
ワイン係主任 これは、わたくしたちがルドルフ皇帝に無理やり書かせた、ボヘミア人のための特許状です。羊皮紙に書かれた、何ものにも代えがたい貴重な文書で、新教徒に対しても、旧教徒に対するのと同様、自由に鐘を鳴らし、公然と賛美歌を歌う権利を保障するものです。ところが、フェルディナンド2世皇帝の治世が始まってからというもの、それも終わりを告げ、プファルツのフリードリヒ伯爵が主権と領土を失ったあのプラハの会戦以来、わたくしたち新教徒は、説教壇も祭壇も持たず、わが同胞は故郷に背を向けることを余儀なくされたのにひきかえ、例の特許状は、皇帝みずからハサミでずたずたに切り刻んでしまいました。(p205)
こうして三十年戦争の前半は、カトリックの有利、皇帝の勝利で終わりました。戦勝の勢いにのって、皇帝はますます思い切った帝権の強化に乗り出します。
両英雄の対決
危機感をもった周辺諸国は、ドイツに強大なカトリックの帝権が成立するのを妨害するため、次々と軍事介入を実施します。
わけても恐ろしく強かったのが、スウェーデン王グスタフ・アドルフ。軍事改革と猛訓練によって、強力な軍隊を率いていました。グスタフ・アドルフは、ドイツに侵入して皇帝側の名将ティリーを破ると、主要な都市を次々と陥落させます。
ティリー亡き後、皇帝が頼みにせざるを得なかったのがヴァレンシュタインです。成り上がり者の彼は、比類ない大軍を組織して、皇帝の敵を次々に打ち破った実績がありました。1万、2万といった規模が軍の相場であるところに、10万を超える大軍を仕立て上げるアイデアと能力を持っていました。領地を経営して富ませるのもうまかったといいますから、何であれ組織というものを作ったり、動かしたりするのに長じていたのでしょう。
舞台の第1部で、名もなき狙撃兵はフリートラント公ことヴァレンシュタインについて、こう語ります。
フリートラント公は、八年だか九年前、皇帝陛下のために一大軍団を編成なさった折・・・最初は一万二千だけでいいって話だった。ところがヴァレンシュタインさまはこう仰った。「そんな軍団じゃ養い切れません。でも、私なら六万人を集めましょう。そして、その六万人を餓死させない自信があります」ってな。俺たちがヴァレンシュタイン党になったのはこうした経緯さ。(p59)
魔法のような手腕で大軍を仕立て、みごとに運営してしまうヴァレンシュタインは、皇帝にとって最後の頼みの綱でした。当時を回顧し、作中のヴァレンシュタインはこう言っています。
ヴァレンシュタイン かつてわしは、たった一人でも、貴様ら(皇帝陣営)には一軍団にも匹敵していたのだ。貴様らの軍団は、スウェーデン軍を前にして壊滅状態だったじゃないか。レヒでは、貴様らの最後の頼みだったティリの奴が戦死した。例のスウェーデン王グスタフ2世は、怒涛のごとくバイエルンを席巻し、皇帝は、ヴィーンの宮廷に籠って震えあがるしか策はなかった。兵隊どもを雇うには金が要った。何しろ、群衆というものは欲でしか動かんものだからな。そして、困った時の神頼みというやつで、またわしに眼が向いた・・・空っぽだった陣営に人間を集めるよう頼まれたわけさ。わしはそれをやり遂げた。再び太鼓が連打され、わしの名は戦の神の名のごとく世界中をかけめぐった。(p365-366)
嫌疑と権勢
ヴァレンシュタインはグスタフ・アドルフの攻勢をよく防ぎ、ついに恐るべき敵手を戦死させます。しかしその後、皇帝の家臣クヴェステンベルクはヴァレンシュタインへの懸念をあらわにします。
クヴェステンベルク われわれは、あの暴君に軍の指揮権を委ね、あの男にこれほどの権力をもたせてしまったわけだが、われわれの眼はいったいどこについていたのだろう? あの悪の化身のような男にとっては、誘惑が強すぎたのだ。だが、もっとまっとうな男でも、こういう誘惑には屈してしまったかもしれんがな。・・・軍というこの恐るべき道具が、あらゆる人間の中でもいちばん向こう見ずな男に、盲目的に服従し、ひれ伏しているのだ。(p101-102)
ヴァレンシュタインがこのように嫌疑を受けたのは、大軍を維持するために彼が実施した軍税制度が領主たちに不評であった等の実際的な理由もあるでしょうが、同時に、強すぎる指揮権を手放さなかった彼の態度も見過ごせません。彼より位の高い貴族や高官が何と言おうが、やりたいようにやらせてもらう、という態度を貫きました。
ヴァレンシュタイン 私がこれまで司令職を引き受けてきたについては、絶対の条件があった。そしてその第一は、誰一人、たとえ陛下であろうとも、こと軍にかんしては、私の不利になるようなことは言ってはならんということった。私の名誉と命を賭けて、この私が結果責任を負わねばならんとすれば、私はフリーハンドを持たねばならん。何があのスウェーデン王のグスタフを、この地上における抗う者なき無敵の男にしたか? それはつまり、あいつが自分の軍隊に王者として君臨していたからに他ならん。ところで、王者らしい王者は、自分と比肩し得る者によってしか打ち倒された例がない。(p154)
指揮系統に横槍がはいらず、前線の将軍にすべてが委ねられているのだから、軍事的には合理的です。しかしこうして、恐るべき侵略軍を率いる王者グスタフに対抗したヴァレンシュタインは、やはり恐るべき大軍に強固な指揮権をもつ、もう一人の王者のような権力者になりおおせました。皇帝は、恐るべき怪物をやっつけようとして、自分の手元にもう一匹の怪物を育ててしまったように感じたでしょう。
没落
ヴァレンシュタインがどこまで栄達を望んでいたのか、本当に皇帝に謀反を起こそうとしていたのかは定かではありませんが、野心に不足していなかったことだけは確です。作中のヴァレンシュタイン夫人は、夫のことをこう評しています。
公爵夫人 ・・・あなたという人は、いつも建てることだけを考えていらして、それが雲まで届いてもまだ建てることをやめず、眼もくらむほど揺れている建物は狭い敷地では支えきれないってこと、ちっともお考えになりませんのね。(p345)
この言葉どおり、ヴァレンシュタインは足元をすくわれます。
この史劇は、ヴァレンシュタインの権勢が絶頂に達しつつも皇帝と仲違いをし始めた時点にはじまり、皇帝の陰謀によって彼の部下たちが次々に裏切りをたくらむ中盤を経て、ついにヴァレンシュタインが暗殺されるところで終わります。
ヴァレンシュタインの人生の最盛期は、宿敵たるグスタフ・アドルフと戦っていたころだったでしょう。その時期を描けば、両英雄が智勇を尽くして決戦する勇壮な話になったでしょう。ですがこの史劇で描かれているのは、最盛期を過ぎた人生のたそがれです。権勢を手にした者が、それゆえに迷いを見せ、嫉妬を受け、ついに地位から転落する流れの中に、英雄も逃れられない人間の妙味というものがあるように思え、面白く読めました。