久しぶりに面白い歴史小説を読んだので、感想を書きます。
この小説の舞台は、ポーランドの首都ワルシャワ。主人公たちが生きる時代は1939年から1944年。それだけ聞いて「あ、これは・・・」と思った方は、この記事を最後まで読むまでもなく、本書を買うべきです。
1939年といえば、第二次世界大戦が始まった年。1944年はノルマンディー上陸作戦の年。この小説はWW2のどまんなかを書いています。
そして舞台はポーランド。よりによって。第二次世界大戦中のポーランド。開戦直後にドイツ軍に蹂躙され、独ソ両国により分割。終戦前にはソ連軍に引き潰され、そのまま東側陣営に組み込まれる悲運の国です。
中で最大の悲運に見舞われた場所を一つあげるなら、それが首都ワルシャワです。44年、ソ連軍がドイツ軍を破って近づいてくると、ワルシャワで市民たちが蜂起しました。内から蜂起軍が、外からソ連軍が呼応してドイツ軍を追い払おうという算段です。しかし頼みのソ連軍は、その猛進に急ブレーキをかけ、停止。市民たちはドイツ軍と血みどろの戦いの末に敗北し、街は廃墟となります。
そんな、どう足掻いてもハッピーエンドにはなりそうもない場所と時代の話です。
差別はどう起こるか
戦争、差別、人種といった難しいテーマを、著者は端的な筆致で描いていきます。その例をひとつ挙げるなら、差別です。ドイツに占領されたポーランドでは、ナチス式の人種政策が敷かれます。昨日までポーランド人であった人々が、人種により分断されます。
その中で主人公がユダヤ人女性を手助けしたとき、ポーランド人の女性がこう言います。
「信じて、私たちは反ユダヤ主義者なんかじゃない。あの人たちだってポーランド人だって思っているの。でも、彼女を見た時、まっさきに思ったのは、なぜここにいるのってことだった」(p191)
彼女はユダヤ人女性をほんのすこし助けることで、自分たちが巻き込まれることを恐れ、それをまっさきに考えてしまったことを恥じています。
差別は、差別者が多数を占めたから起こるのではありません。少数の差別者が、少数の被差別者を迫害し始めたときに、残った多数の者が自己保身に走ったから起こるのです。
本書はこのように、さまざまな時代の風景を端的に描写していきます。説教臭くはなく、過度に強調もせず、淡々と。奇をてらった小説的な表現が不要なのは、事実の方が異常だからです。
異邦人たちのアイデンティティ
ユダヤ人たちが国家を持たない少数者であったように、この物語の主な登場人物たちもみな少数者です。国家、人種、そして民族主義が最も台頭した時代に、自分が何者であるかに確信を持てない人々です。
なおこの設定、この舞台で、主人公は日本人です。
1944年のワルシャワで、日本人が何をするのでしょう? なぜそんな時、そんな場所に立っているのでしょう?
主人公に言わせれば、その答えの一端は、自分は日本人だから、というもの。なぜそれが答えになるのかは、読み進むうちに分かるでしょう。
どう足掻いても悲劇にしかならなそうな設定で始まる物語の週末は、涼やかなものでした。
今年、一番お勧めしたい物語です。