リアリズムと防衛を学ぶ

本の感想などを書いています。

分断の声、統合の歌

2019年2月24日には、2つの行事が予定されています。

東京では、天皇陛下御在位30年記念式典

沖縄では、辺野古移設又は新基地建設への賛否を問う県民投票

憲法で確認されている通り、天皇は日本の統合の象徴です。その天皇陛下の式典の日に対し、沖縄県知事が敢えて県民投票の日を合わせたのは、「沖縄は日本の一部としてきちんと扱われていない」という抗議をもっとも痛烈な形でぶつけたい思いがあるのでしょう。もっともそのメッセージが功を奏して普天間と辺野古の両基地が共に無くなる可能性は無きに等しいので、怒りの声は「やっぱり聞き届けられない」と言う落胆となって、かえって分断を深めるでしょう。

戦中、戦後を通じて多大な犠牲を強いられてきた沖縄県を、陛下は11回に渡って訪問されてきました。その中で、かつて沖縄への思いを作詞された歌を、今年の式典でアーティストの三浦大知さんが歌うそうです。彼は奄美大島にルーツをもち、沖縄県で育った方です。決して日本は沖縄を抑圧する他者ではなく、一体のものだという融和のメッセージがありありと感じられます。

本土側からのメッセージは、式典に限らず、今後も繰り返されるでしょう。米軍基地の返還促進や沖縄経済の振興などによって。

しかし、中国が台頭する向こう数十年の間、沖縄は軍事的な要衝であり続け、したがって沖縄の基地負担は軽減されことすれ、無くなることはほとんど考え難いことです。

仮に在沖米軍が完全撤退するとすれば、それは中国があまりにも強くなりすぎ、アメリカが琉球諸島を防衛ラインの外側に置いた場合です。万一そうなれば、かつてアチソン国務長官が防衛線から韓国を外した(ように誤解された)ときに、朝鮮半島で何が起きたか、我々は思い出すことになるでしょう。

かといって、このままでは沖縄の被抑圧感情は、分離主義を育てるでしょう。ある国家の中で、特定の地域に住む人たちが「我々は、違う」と考えた時に何が起きるか。そこへ善意の顔で近づいてくる人々は、善意に満ちた帝国主義者かもしれないと、我々は数年前のクリミアを思い出さねばなりません。

だからって、どうすればいいのか。

あるいは向こう30年の間、分離主義の生育を遅らせることができれば、中国と沖縄の人口動態が共に変化することに、希望をもってもいいでしょう。しかし、さらなる30年のなんと長いことか。

その間、抑圧の終わりを求める声を、融和の歌が押しとどめることができるのでしょうか。

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