第四次中東戦争は、エジプトを中心とするアラブ軍と、イスラエルとの戦争です。戦争はエジプト軍の奇襲作戦が大成功したところから始まりました。しかしイスラエル陸軍の反撃が成功すると、エジプト軍は一転して壊滅の危機に晒されます。
それなのにイスラエルの反撃には政治的な「待った」がかかります。このまま反撃すれば完勝できるのに、なぜでしょうか?
この記事では、第四次中東戦争から、戦争の終結について考えていきます。
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エジプト軍を包囲したが、トドメをさすのは禁止
イスラエルの反撃作戦が成功したことで、シナイ半島東岸では、エジプト陸軍第3軍が孤立していました。第3軍はシナイ半島を奪還するため、スエズ運河を東に渡ってきました。しかしイスラエル陸軍がエジプトの防衛線を突破し、逆にスエズ運河を西に渡ったため、第3軍は退路を絶たれてしまったのです。
食料や弾薬の補給は途絶え、援軍のあてもありません。孤軍で戦ってもイスラエル軍に勝てる見込みはナシ。このまま防御を固めても、食料さえ事欠くようになっては、どうにもなりません。
ところが、イスラエル軍はそんなエジプト軍を攻撃しませんでした。アメリカからストップがかかったのです。第3軍は何とか全滅を免れ、それどころか空中から食料を投下してもらえたので、敵のど真ん中で細々と食いつなぐことができました。
アメリカの思惑
アメリカはイスラエルの同盟国です。一時は負けそうになったイスラエルを何とか支援してくれました。それなのに、イスラエルが勝とうとすると、それを止めたのです。それは、外交を主管する国務長官のキッシンジャーが、こう考えたからです。
エジプト、イスラエル双方はそれぞれ交渉のカードを持っている。イスラエルは第三軍を包囲しさらに西岸に進出しており、エジプトも東岸に橋頭堡を有している。つまり、双方とも取引材料を手にしているから、交渉の望みはある。
(p273 「図解中東戦争」 ハイム・ヘルツォーグ)
もしこのまま行けば、イスラエル軍は第3軍を殲滅し、エジプトの首都に肉薄するでしょう。
イスラエル軍機甲部隊の前に立ちはだかるべき部隊はほとんどなく、カイロへの道は空家同然である。(砂漠の戦車戦 下」p246)
そうすればイスラエルの完勝になりますが・・・それではシナイ半島に平和が訪れないでしょう。完勝したイスラエルは、エジプトに対し何一つ譲歩しないだろうからです。するとエジプトの恨みは残り、また力を蓄え、いつか第五次中東戦争を挑むでしょう。
このような考えから、アメリカはイスラエルに圧力をかけて進軍をストップさせ、停戦を受け入れさせました。イスラエルのゴルダ・メイア首相は、目の前にあった勝利を無理やり我慢させられたため、「敵と戦う方が、味方と戦うより易しい」と嘆息しています。
しかしここで、敢えて戦場での勝利を逃したことが、イスラエルとエジプトの和平への足がかりになり、イスラエルにも長期的な利益をもたらします。
戦争解決のPINモデル
とはいえ、殺しあっていた相手と、どうやって交渉し、納得がいく落とし所を見つければいいのでしょう? 戦争が始まる前に散々話し合ってもラチがあかなかったのに。
紛争研究では、争点を「立場(Position)」から「利害(Interest)」へ、そして「ニーズ(Needs)」へと移していくことで、妥結が可能になるというモデルがあります。このモデルに当てはめて、第四次中東戦争を見てみましょう。
イスラエル建国以降、エジプトは一貫して、イスラエルという国の存在を認めませんでした。「どこが国境線か?」という以前に、イスラエルという国の存在自体を否定していたのです。イスラエルの存在を認めるか?という大きな「立場(Position)」の違いがありました。
しかし、エジプトの指導者サダトは、この主張の非現実性に気づいていました。そんなこと言ったって、三度も中東戦争をやって、イスラエルは確固たる領土を築きました。その上、密かに核兵器まで持っています。今更「イスラエル滅ぶべし」と思っても、そんなの無理です。
だからサダトは、初戦で勝利した後も、エルサレムまで攻め込もうとはしませんでした。全面戦争を避け、あくまでもシナイ半島の領有権を巡る制限戦争をやるつもりでした。この時点で、密かに「立場(Position)」の問題は解決しつつありました。
次はシナイ半島を巡る「利害(Interest)」の問題です。イスラエルにとってシナイ半島は、本土防衛のための防壁として重要でした。エジプトにとっては、長年の領土をイスラエルに奪われたままでは我慢がならず、そんな状態で共存なんてできない相談でした。
そこで「イスラエルはシナイ半島をエジプトに返す。エジプトはシナイ半島を領有するが、そこに軍隊を置かず、非武装化する」という妥協が成立します。失地回復というエジプトの大義名分と、本土防衛を確かにするというイスラエルの安全保障が、共に満たされるのです。
その保証人として国連PKOがシナイ半島に展開することで、双方の利益が共に達成されます。相手を攻めようとすればPKOに参加している世界中の軍隊を蹴散らさないと行けないから、流石に相手国もそんなことはしないだろう、とお互いに安心できます。
こうして両国が共存できれば、お互いにとって重要な中東の安定化というニーズ(Needs)が満たされます。お互いに貿易や観光をすれば、経済的利益が上がり、豊かになることができます。
イスラエルは、シナイ半島を失いますが、その代わりアラブの盟主だったエジプトから国家承認を取り付けることができ、長期的にはこれまでよりずっと安全になります。
エジプトは「あのイスラエル軍を破って、シナイ半島を実力で奪還し、勝利した」という名誉を得ます。不倶戴天のイスラエルと普通に共存したら、自国の権威が失墜してしまいますが、戦争に勝った(と主張した)上での名誉ある和平ならば、何とか格好がつきます。
こうして両者の「イスラエルの国家承認に関する立場」が一致し、シナイ半島を巡る失地回復と安全保障という「利害」が解決され、戦争を繰り返すことなく共存するという双方の「ニーズ」が満たされ、平和への道が開かれました。
それは、PKOの長い長い駐留を必須とする不安定な平和、疑心暗鬼の間に成立した妥協でした。それでも、戦争が始まる前によりはマシな平和が、かろうじて成立したのです。
血まみれの握手
イスラエル軍は最終的には優勢だったものの、奇襲を許した失態は国民から強く批判されました。国民から「おばあさん」のように慕われていたゴルダ・メイア首相もでしたが、彼女を批判するデモ隊が掲げたプラカードにはこう書かれていました。
「おばあさん、あなたの国防大臣は能無し! あなたの孫が3000人も死んだ!」
こうして、ゴルダ・メイア首相はやがて政権を失います。一方、彼女はエジプトのサダト大統領をこう評しました。
「彼は英雄になるでしょう。何しろ、私たちに立ち向かったのですから」 (ゴルダ・メイア)
まさに、サダトはそうなる必要がありました。もう少しでエジプト首都カイロまでイスラエル軍に襲われそうでした。しかしその寸前に停戦に合意したことで、サダトは英雄になります。「イスラエルに戦争を挑み、シナイ半島を取り返した」と言う格好がつき、サダトは巨大な権威を手にしました。
サダトが最初から「イスラエルと共存したい」なんて言い出していたら、一夜にして権力を失っていたでしょう。アラブにとってイスラエルは憎んでも憎みたりない大敵なのです。
戦争を挑み、辛くも勝利を得て、そうして初めて、サダトはイスラエルに、このように語りかける資格を手に入れたのです。
「私の言葉を真剣に受け止めなければなりません。私が戦争と言ったら、それは本気でした。私がいま和平の話をすれば、それは本気であるということです。…話し合おうではありませんか」(サダト)
「100万の犠牲を出しても」と声明して戦争を開始したサダトは、戦後、イスラエルとの和平を模索するなか、自国民に対してはこう言っています。
ちっぽけな領土よりも、平和の方がずっと大切だ。もう戦争はやめよう。(Peace is much more precious than a piece of land… let there be no more wars.)(サダト 1978年3月8日カイロでの演説)
サダトはイスラエルを訪問した初のエジプト大統領となります。そしてイスラエルとの間に歴史的な平和条約を締結し、ノーベル平和賞を受賞。その数年後に暗殺されます。第四次中東戦争の戦勝記念パレードを観閲しているさなかのことでした。
戦争は平和のために戦われる
戦争は、多くの場合、何らかの争点を巡って始まります。戦争は敵と殺すためではなく、敵国に自国の意志を強要するためにあります。自国の意志を通したあとはどうするのか? もちろん、昨日までの敵と手を結び、共存するのです。
現代を代表する戦略家の一人、コリングレイはこう述べています。
「戦争は平和を達成するために戦われるものである・・・しかもそれが「どんな平和でもよい」ということではなく、「戦争を戦っても手に入れたいような平和」なのだ。
戦争とは、言葉ではなく銃と血を持ってするコミュニケーションの一種であり、相手との新しい関係を構築する過程なのです。
参考文献
〈図説〉中東戦争全史 (Rekishi gunzo series―Modern warfare)
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歴史群像アーカイブ volume 14―FILING BOOK 中東戦争 (歴史群像シリーズ 歴史群像アーカイブ VOL. 14)
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