リアリズムと防衛ブログ

防衛ってそういうことだったのかブログ。国際関係論や安全保障論について、本の感想などを書いています。

戦争を終わらせた人々 1 裏切りの英雄マンネルハイム

戦争は、始めるより、終わらせる方がずっと困難です。

戦争で自国の人々がたくさん死んでしまっても、それを惜しむ気持ちが「死んだ人たちの仇を取らないといけない」「これほどの犠牲を払ったのだから、負ける訳にはいかない」と、ますます戦争を推進する方につながってしまいます。

特に、不利な状況で戦争を止めようとすると、国内から多くの反発を受けます。

第二次世界大戦のような大きな戦いでは、戦争から国を脱出させる困難さも大きなものになります。イクレは「紛争終結の理論 (1974年) (国際問題新書)」で、多くの反対を押し切り、苦しい決断を押し通して、戦争を終わらせた幾人かの人々を取り上げています。彼らはいずれも特殊な権威をもち、それを活用して多くの反対を押し切りました。

 

戦争継続か、同盟国を裏切るか?

第二次世界大戦の際、フィンランドはドイツに味方して、ソ連と戦いました。フィンランドは、大戦の前に起こった「冬戦争」でソ連に侵略されています。その後も、ソ連の強い脅威に晒されていました。しかも、地理的にイギリスやアメリカに助けを求めることは不可能に近かく、ドイツに加担してソ連と再戦しました。

当初はソ連を圧倒したドイツでしたが、徐々に劣勢になります。フィンランド軍もソ連軍に押し返され、負けそうになってきた1943年、フィンランドは悩みます。

 

・このままドイツと一緒にソ連と戦い続けるべきか?

 

・ドイツを裏切って、ソ連と単独で和平し、戦争を終わらせるべきか?

 

同盟国を見捨てれば、「あの国は裏切る国だ」と思われ、今後の外交で不利になるかもしれません。同盟国にしがみついていれば、少なくとも完全に孤独ではありません。

戦争継続の誘惑

悩ましいのは、フィンランド軍が「負けそうだが、まだ負けてはいない」で踏みとどまっていることです。このような場合、政治と軍事の指導者たちは誘惑されます。「まだ負けてない。もっと戦って、少しでも有利な状況になってから和平した方がいいのではないか?」と。だって、まだ完全に負けてはいないのです。イクレはこう描写し、かつ批判します。

事実、フィンランド大統領は、閣僚全員が同意するなら、戦争を継続したいと思っていた。ある閣僚は、陸軍が破れないのにあきらめるのは、国民の士気にとって危険だと主張した。

(ついでながら、この考え方は戦争終結の危機になるとよく出てくるが、たいていの場合まちがっている。なぜならば、陸軍が負けたあとであきらめる方が、ほとんど例外なく、国家にとってより悪い状況を意味するからである)(紛争終結の理論 (1974年) (国際問題新書)p74)

 戦線が膠着状態になり、良い条件での和平も難しい時、指導者たちは敢えて戦線を拡大するという危険なギャンブルに出そうになります。

第二次世界大戦で言えば、ドイツと日本はこの失敗の典型です。ドイツはイギリスを倒せないままソ連に攻め込み、日本は中国との戦争を継続しながらアメリカと開戦しました。そして両国とも、劣勢になっても「次の戦いでこそ逆転する」と希望的観測に頼って無謀な作戦を続け、どんどんジリ貧になっていきました。

そのような破滅への坂道を、フィンランドが回避できた影には、英雄の存在がありました。

マンネルハイム

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(photo by Tomi Lattu

マンネルハイム将軍は、フィンランド軍の総司令官です。第二次世界大戦(フィンランドから見れば「継続戦争」)だけでなく、その前の対ソ戦争である1939年の「冬戦争」の時も総司令官。さらに前、1917年のフィンランド内戦でも総司令官でした。

1944年当時はすでに77歳。フィンランドでただ一人、「フィンランド元帥」の号を授与された老将軍でした。独立以来、フィンランドを支え続けてきた英雄であり、大きな権威を持っていました。

マンネルハイムは、冬戦争の時も、他の将軍たちの反対に遭いながらも、不利な条件を我慢してソ連と和平を結んだ経験がありました。

リュティ=リッペントロップ協定

フィンランドのリュティ大統領は、「ドイツを見捨ててフィンランドだけがソ連と和平することはない」と、ドイツと運命を共にする約束をしてしまいます。議会の承認を得ない調印でした。

1943年の春…ヘルシンキでは政府が、単独講和を禁じたヒットラーとの条約に調印しようとしていた。ドイツがやがて破れることに疑いを持っていなかったマンネルハイムは、異議を申し立て、やっとまにあった。

…44年6月には、ソビエトの攻勢を受けて、フィンランドのリュティ大統領はさらに無鉄砲になってしまった。ドイツから兵器を得るために、ヒットラーに手紙を送って、ドイツが同意した時にだけ和平に入る、と約束したのだ。(紛争終結の理論 (1974年) (国際問題新書)p93)

 このままドイツと共にソ連と戦い続ければ、フィンランドはソ連の州になってしまったかもしれません。

大統領就任と過酷な和平

しかし、フィンランドは政治的な大転換を成し遂げます。リュティが大統領職を辞任し、ドイツとの協定は自分が個人として勝手に結んだものだから、辞任によって無効になると主張したのです。これにより約束を破棄し、同盟国を裏切って単独講和に打って出る道がひらけます。

後任の大統領に就任したのはマンネルハイムでした。和平の条件は、賠償金を払い、領土の大幅な割譲を許容し、その土地に住んでいた多くのフィンランド人たちが難民となる過酷なものでした。それでもマンネルハイムは、ソ連との和平を受諾します。

マンネルハイムは長い軍歴をもつ英雄であり、反逆の非難を受ける人物とは誰も考えなかった。

それだからこそ、政府を率いて対独”裏切り”をやり、過酷な和平条件を受諾する上で最適任者であった。

…昔から軍事的英雄こそ、”裏切りの和平”を結ぶのにもっとも適した人物であることも珍しくない。

うまくゆかない戦争を終結させるために犠牲を払わなければならない場合、同盟国や、国内の一部のグループは裏切られたと感じる。

国民一般の間に、愛国者であり偉大な軍人であるというしっかりした名声のある人物出ないと、”反逆”という不可避的な避難を浴びながら権力闘争に生き残り、少なくとも戦争を終結させるまで生き残り続けることは難しいであろう。

紛争終結の理論 (1974年) (国際問題新書)p93-94)

生半な指導者であれば、和平を結ぼうとしても、国内から非難を浴びて失脚しかねません。和平のためだといって多大な妥協を行うことを、彼らに納得させられないでしょう。

前回の記事で述べたように、外国との戦争を止めるためには、まず国内において和平派が戦争継続派に権力闘争で勝たなければならないからです。

幸いフィンランドには、マンネルハイムがいました。彼は政府からも軍からも国民からも信頼されており、しかもこのまま戦争を続ければ必ず負けると確信していました。

こうして彼は、苦しい戦いを指導してきた人物だからこそ、苦しい和平をも指導することができたのです。この点で、第四次中東戦争でイスラエルと戦い、英雄になったサダト大統領が、その権威を使ってイスラエルと和平を結んだことと共通点があります。

平和は安楽であり、戦争は苦しいものです。

しかしいざ戦争が始まった後は、和平を選ぶこともまた、時として酷く苦しい選択なのです。