リアリズムと防衛を学ぶ

本の感想などを書いています。

戦争における「俺はまだ本気だしてないだけ」現象とその帰結

2022年2月に始まったロシア・ウクライナ間の本格的な戦争は長く続いています。意外な苦戦をしているロシアのプーチン大統領は、負け惜しみの強がりのように聞こえる発言をしています。

曰く、7月には「我々はなにひとつ本気を出していない*1」。9月には、なかなか戦争が終わらないのは「戦果を急いでいない*2」だけなのだと。

これでは負け惜しみの強がりのようです。「まだ私は本気を出していない・・・」といって怖いのはナメック星のフリーザが最後です。いまどきは漫画の悪役でももう少し気の利いたことを言います。そんなこというなら、さっさと本気を出してみれば? と言いたくなります。

でも、ロシアの場合、まるきりの強がりとも言えません。ロシアはまだ変身を2回残している、ではなく、核兵器と総動員という本気の手段を本当に残しています。この点について、小泉悠先生は次のように解説されています。

「こういうこと言う奴はクラスに一人くらいいる。だったらなんで本気出さないの、ってことになる。多くの場合、怠惰であったり、そんな実力なかったり(中略)、

ロシアには本気を出せない理由があった。

本気が核だった場合、いかに限定的であっても西側の反応が読めない。(中略)

総動員はなぜできないのかというと、国内向けの事情でしょう。(中略)そういうことをプーチンは国民に言い出せないんですよ。本気を出した時プーチンの権力が持つか不安で出来ないんだと思います」*3

この小泉先生の解説はつい冒頭の「クラスに一人くらいいる」の部分だけ面白がりたくなりますが、そこは小泉先生一流の話術による噺のマクラ。大事なのは後半の解説です。

このような現象は、ロシアやプーチン大統領に特有のものではありません。特に、総動員による国民の負担増が自己の失脚につながるのを恐れるというのは普遍的な問題です。

政治学者のウェイジガーは「戦争の論理」という本の中で、プリンシパル=エージェント関係という概念を用いてこの現象を説明しています。国内にプリンシパル=エージェント問題があると、命がけの戦争なのに「俺はまだ本気だしてない」という奇妙な状況が起こります。

プリンシパル=エージェント問題

本人(プリンシパル)が代理人(エージェント)に何か依頼をしたとき、代理人が依頼者の利益に反してでも代理人自身の利益を追求してしまうことがあります。

例えば政治家を依頼者本人、官僚を代理人とします。政治家は、自分がやりたい政策の細かい部分を官僚に委ねます。しかし官僚は政治家よりも法律や手続きに詳しいので、自分の属する省の権力増進や、自己の保身を図るため、政治家に面従腹背して政策を骨抜きにしてしまうかもしれません。

あるいは国民を本人とし、政治家を代理人とします。国民は自分たちの利益を図るために政治家を支持します。しかし自分の再選だけを求める政治家は、有権者全体の利益に反してでも、自分のコアな支持層だけに利益を供与しようとするかもしれません。

プリンシパル=エージェント戦争

政治指導者と国民の間にプリンシパル=エージェント問題が存在することがあります。国家全体からすると必要性が乏しい戦争を、一部の党派が自分たちだけの目標のために開始してしまうケースです。

このような戦争において、指導者たちは戦争を、特にそのコストを国民の目から隠そうとします。戦争の痛みに耐えるように国民を説得する自信が無いからです。国民がプリンシパル=エージェント問題に気づく、すなわち指導者たちの身勝手による戦争で多大な不利益を被っていると自覚すると、現在の体制を打ち壊して指導者たちをその地位から引きずり降ろそうとするとするでしょう。

このような指導者たちは自分たちの利益しか考えていないので、戦争を開始するものの、しかもそれに勝つために国民に大きな負担をかけることを恐れます。その結果、彼らは戦争に勝ちたいにも関わらず、戦争が激化することを避けます。国民の命を惜しむからそうするのではありません(もしそうなら、身勝手な戦争はすぐ止めるはずです)。自分たちの地位と権力は守り、強化したいというのが根本的な動機なので、戦争を続けることにためらいはありません。

このとき、指導者はたとえ負けていても「俺はまだ本気出してないだけ」と言い張ることができるし、ある意味でそれは事実です。

プリンシパル=エージェント戦争は低烈度な長期戦になる

プリンシパル=エージェント戦争は、他国からみれば激しい戦争のように見えても、実際に戦っている侵略国の本当の実力からすれば低烈度なものになり、しかも長く続きます。

指導者は「これくらいなら国民はさほど怒らないだろう」という程度の戦力しか投入せず、それでは足りないと悟っても少しずつ増派するだけ。火事を消すのに水を惜しんで、ちょろり、ちょろりと放水するようなもの。軍事的には愚策とされる戦力の逐次投入になり、敵から見れば各個撃破のチャンスです。

始末に負えないのは、たとえ敗北しても「我が国の本気からすれば少ししか投入してない。もう少しだけ本気を出せば勝てるはずだ」という希望的観測が残ることです。しかも、国民への負担は抑えられているので、長期戦になっても耐えられてしまいます。

いつまで続くのか

このような戦争は、侵略した側の指導者の意向にかかわりない国外の原因で突然烈度があがって短期戦に切り替わることがない限り、長引きます*4。侵略側は、なかなか勝てなくても、もう少し本気だせば、もう少し本気だせばと、軍事的には不合理な戦力の逐次投入を行って粘ることが、指導者の生き残りという観点では正しいからです。

我々はロシアとウクライナの間の戦争が2022年2月に始まったと考えがちですが、実際は2014年のクリミア危機からの継続した戦争です。14年以降、ロシア側は侵略を行っていることを認めず、あくまでもウクライナ国内の内戦だと偽ってきました。ロシア軍がウクライナ領内で活動していることは明らかでしたが、国際社会からの批判を緩和するため、その規模はごく限られたものでした。

しかしその程度の派兵では何年たっても侵略を成功させることができなかったので「もっと本気を出せばすぐ終わるはず」と考えたのが2022年2月の本格侵攻でした。それでもウクライナに勝てなかったので、プーチンは9月21日に部分動員に踏み切り、30万人の予備役を招集すると報じられています*5。自国がウクライナに勝利できないことを認めず「もう少しだけ本気を出せば勝てるはず」という希望にすがっては失敗する、という繰り返しをしているとも捉えられます。

「戦争の論理」の中で、プリンシパル=エージェント戦争の例として挙げられているフランス=トルコ戦争は約3年続きました。このような戦争は、勝利できないまま段々とコストが積み重なって国民の我慢が限界に達し、指導者が敗戦による失脚の可能性か、国民の猛反発による確実な失脚かという二択に直面するまで続くとされています。