1月のフォーリンアフェアーズに面白い記事があったのでメモを兼ねて簡単に紹介します。ダートカレッジのジェニファー・リンド准教授の「国際政治と謝罪のリスク(Sorry, I'm Not Sorry)」です。
この記事では日本を念頭におき、アメリカや他国の例をあげて、外交における謝罪について取り上げています。 リンドは、日本と韓国、中国のあいだの過去の歴史をめぐる確執にふれ、中韓は日本の謝罪が不十分だとして反発し、外交関係に悪影響を与えている、と紹介します。
また日本に限らず、このような謝罪をめぐる国際問題について「かつての敵対勢力と和解するには、過去に相手にダメージを強いたことを、おそらくはタカ派が容認する以上に踏み込んで、認めることが不可欠だ」と論じています。
リンドの主張が面白いのは、この後。「だから謝罪すべきだ」と続けるのではなく、それどころか「だが、必ずしも謝罪する必要はない。実際、謝罪は有害無益であることが多い」と主張しています。なぜでしょうか?
21世紀の出来事についての謝罪問題
東アジアの例を引きながら、リンドが論じているのは21世紀初頭、つい最近の出来事について、アメリカがアフガニスタンに謝罪すべきか否かです。
アフガニスタン政府は、ワシントンに対して米軍の間違った行動についての謝罪を求めたと報道されている。 謝罪声明を出すことなど考えていないと言明した米政府高官もいれば、民間人が犠牲になるような軍事作戦をとった「過去の過ち」を繰り返さない、という謝罪声明を出すべきだと考える高官もいる。 ……タカ派は、謝罪の可能性を政府が検討すること自体、間違っていると、怒りを隠さなかった。一方、謝罪をすれば、アフガンとの関係もアメリカの世界におけるイメージも改善されると考えるリベラル派は、たんに謝罪することが、なぜそれほど問題なのかと困惑している。 (前掲書 p54−55)
どこかで聞いたような構図であり、リンドがこの問題について論じるために東アジアの例を引きたくなるのも分かる話です。このように国内で意見の相違があったとしても、外交関係を良くするには思い切って謝罪をしてしまえば、それで済むのではないでしょうか。否、と彼女が主張するのは、謝罪が相手国に与える影響だけではなく、わが国内の反対派に与える影響まで考えるべきだからです。
怒りと謝罪の無限ループ
そこで参考例として登場するのが日本のケース。
1990年代、日本政府は、第二次世界大戦の50周年を機に数多くの謝罪を表明している。1995年に、日本が近隣諸国に痛みと苦しみを与えたことへの深い反省の念を表明した国会決議も採択された。だが、保守派の多くはこうした姿勢を批判した。なぜ日本だけが謝罪を求められるのかと反論し……日本の近隣諸国は、こうした保守派の発言に強い怒りを示し、不信感を強めた。 (前掲書 p56)
この記事の主題はアメリカがどうすべきかであって、東アジアは例示に過ぎないので、色々な部分が端折られて簡単な解説になっています。とはいえ、外国との問題をおさめようと謝罪したところ、国内での議論に発展し、それに中韓がかえって反発して、今にいたるまで問題が長期化して収まる気配もない、という大枠はその通りです。
考えてみれば、外交関係でなくとも、謝罪の後の対応がまずくて事態が悪化することはよくあります。こっちが悪いと一旦謝ったのだけど、それでも相手が一方的に言いたいことを言うので、だんだん腹が立ってきて「そうはいうけど、こっちにも言い分ってものが…」と、説明のつもりで反論に入ってしまう。すると相手からは「謝罪した後に態度を翻した(ように相手から見えた)」ので、「やっぱり分かってないじゃないか!」と逆に怒りをかきたててしまうパターン。
お詫びやクレーム対応から、友人や恋人間の喧嘩まで、こういう流れに入って逆に厄介なことになる案件、ありますよね。 とまれ、著者はこういう東アジアの例を引いて、謝罪は有害無益になることがしばしばである、と論じています。
そもそも、謝罪しないと和解できないのか
また、著者は和解には謝罪は必ずしも必要ではない、とも言っています。
アメリカ、アフガン、そして東アジア諸国は、謝罪が和解の前提ではないことを認識する必要がある。第二次世界大戦後の独仏の和解は、謝罪路線が機能することを示していると一般に考えられている。だが、独仏は、まだ西ドイツが過去の罪を購う前に和解を果たしている。戦時における攻撃や残虐行為の罪を購う路線を西ドイツがとったのは、独仏が劇的な関係改善を果たした後になってからだ。 同様に、かつては敵同士だった日本とアメリカの関係も、戦時の行動の謝罪を経ずに、第二次世界大戦の記憶から離れて先へと進んでいった。これらのすべては……戦略状況が両国を同じ方向へと向かわせれば、謝罪のジェスチャーがなくても建設的な関係を築けることを意味する。 (p56)
これは非常に重要な指摘です。謝ったから和解できたのではなく、謝罪がなくても和解はできたのだと。むしろ「和解できたから、謝罪だってスムーズにできるようになった」という順序なのだと。すれば、謝罪がないと和解できない、という態度や思い込みにとらわれると、いっかな話が進まなくなります。和解との前提条件は謝罪ではなく、戦略的状況だというのです。
戦略的状況・・・同じ船に乗っているかどうか
リンドの論説はこの点を割とスルーしているのですが、和解を成立させるものが戦略的状況だとすれば、非・和解の状況の要因の一つとなるのも戦略的状況です。戦略的状況とは、国家間のバランス・オブ・パワーの変化に基づいた敵味方の関係です。
東アジアの例でいえば、冷戦時代は中韓の日本への反発は現代ほどではなかったように思われます。これには世代の交代や教育の問題などの影響もありますが、戦略の観点からいえば関係各国の国力の変化が大きく影響していると言えるでしょう。
冷戦時代の中国と韓国は、それぞれソ連と北朝鮮という強大な敵国に相対していました。日本は中韓に比べて圧倒的に豊かな経済大国。となると、強大な敵に対抗するため、強大な日本との友好関係を結べれば国益にかないます。
ところが近年では、ソ連は崩壊したし、経済成長に牽引された韓国軍の近代化よって北朝鮮の脅威は相対的に低下しました。その上、日本はデフレを放置したことで長期不況に見舞われ、国力の伸びが停滞。その隙に中韓は躍進しました。このようにバランス・オブ・パワーが変化すれば、両国が日本の機嫌をとる必要性は低下します。
故事成語にも「呉越同舟」といいます。仲の悪い人でも同じ船に乗り、その船が嵐に遭えば、助け合わずにいられません。共通の苦難を乗り越えるうちに、長年の確執も晴れて、心から打ち解けられる可能性だってなきにしもあらずです。逆に、先を争うライバル関係の船に乗っていれば、自然と「彼の船より優位に進みたい」と思い、つい相手を敵視したり、果ては妬んだり恨んだりするでしょう。
国家間の関係を考える場合、背景要因としてこういったバランス・オブ・パワーに起因する戦略的状況、つまり同じ船に乗っているか否かを無視するわけにはいきません。
謝罪ではなく、反発でもないもの
このように「謝罪を表明すると、それに反発し、ナショナリスト的な反論が国内で表明されることが多い」し、そもそも順番として「和解には謝罪が必要」というのは誤りだから、和解という目的のために謝罪は有害無益に終わることが多い、とリンドは論じています。
解決策として、国内の反発を誘発するような謝罪ではなく、もちろん完全に突っぱねるのでもなく「過去に相手にダメージを強いたことを、おそらくタカ派が容認する以上に踏み込んで、認める」という方策を米・アフガン関係のために提唱しています。 私はどちらかというと先述した背景要因の方を重視する考えですので全て同意するわけではないのですが、面白い論考なので、ご興味の向きにはご一読をお勧めします。
なお、1月号に乗っているほかの東アジア関係の論説としてはマイケル・グリーンの「東シナ海における中国の現状変革路線」、フィオナ・ヒルの「中国の台頭で変化した日ロ関係」等があります。