リアリズムと防衛ブログ

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Nuclear peace 〜核兵器による平和(のようなもの)

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平和は、それを祈ることは簡単ですが、作ることは難しいものです。

過去の記事では、リベラリズムの議論の中から商業的平和論(Capitalyst Peace)を簡単に紹介しました。「経済発展や貿易、投資が進めば戦争を減らせる」という議論です。

今回はその対極として、リアリズムの議論から、核による平和(Nuclear Peace)を紹介します。被爆国日本において、核兵器と戦争はほぼ同一の文脈で語られ、いずれも平和の大敵です。しかし国際関係論の中では、核兵器は戦争を減らし、平和をもたらしたという議論が強い説得力を持っています。

「絶対兵器」核兵器はそれ以外とどう違うか

広島と長崎への原爆投下は、大きな衝撃をもたらしました。核兵器が世界に与える影響を具体的に考え、いち早く明らかにしたのが卓越した文民戦略家バーナード・ブロディです。

1946年に出版された彼の編著書「絶対兵器」は、原爆投下から半年以内に執筆された著作です。

 日本人にとって原爆は特殊なものですが、世界にとってはそうではありませんでした。広島の原爆で死亡した人は昭和20年12月末までの時点で約14万人と言われています。一方、ドイツのドレスデンでは通常爆弾による死者が15万人とも言われています。1300機の爆撃機による爆撃と同等の威力を1発の原爆がもたらしたのは大きな変化です。それでも多くの戦略家にとって、核兵器は通常兵器の延長に過ぎず、全く異質なものではなかったのです。

そんな中、ブロディは、核兵器は戦争のあり方、戦略の性質といったものを一変させる新要素だと早々に喝破しました。

核兵器によって「今後の軍事機構の主要な目的は、戦争に勝つことではなく、戦争を避けることでなくてはならない」ようになったと主張しました。

従来の軍事力は、戦争に勝利するためにありました。戦争では勝者すら大きな痛みを味わいますが、それでも勝利すれば相手国に自国の意図を強要して、国益を達成することができます。

しかし核兵器の登場以降は、戦争を回避することが唯一合理的な軍事力の目的になりました。なぜなら核戦争に勝者は存在せず、それが勃発した時点で、恐らく全人類が敗者となってしまうからです。

核兵器の「水晶玉効果」とは何か

ある種の占い師たちは、水晶玉を通して未来を覗こうと試みます。もし水晶玉を通して「この道を通ったら交通事故に遭って死ぬ」と分かるなら、人はその道を避けて通るでしょう。しかし実際には、確かな未来は誰にもわからないので、交通事故で亡くなる人は後を絶ちません。

戦争も同じです。もし「戦えば勝てない。確実に破滅だ」と国中の誰もが明らかに理解していれば、その国は戦争を回避しようとするでしょう。しかし実際には「うまくやれば勝てるかもしれない」といった楽観的な計算違いによって、戦争が起こってきました。

一方、核戦争にはそんな余地はありません。核戦争をどれほど巧みに戦ったとしても、戦後には自国の大都市は廃墟になっているでしょう。破滅の未来があまりにも明白です。

なぜ第二次世界大戦後に2極構造は暴発しなかったのであろうか?おそらく、核兵器の生み出した慎重さが原因だったのであろう。…まさにこの核の恐怖が未来を映し出す「水晶玉効果」となって、安定を生み出す一因になったのかもしれない。

1914年8月(第一次大戦の直前)に、ドイツ、ロシア、オーストリア=ハンガリーの皇帝たちが水晶玉を通して1918年を見ていたならば、彼らは自らが帝位を追われ、帝国が解体され、何百万もの臣民が殺害される光景を目の当たりにしたことだろう。それでも彼らは1914年に戦争をしたであろうか?おそらくしなかったであろう。

核兵器の物理的な影響に関する知識は、1945年以後の指導者に水晶玉を与える効果をもたらしたのであろう。

核兵器の生み出す破壊に見合うような政治的な目的はほどんどないため、彼らは大きな危険を冒そうとはしなかったのである。

国際紛争 原書第9版 -- 理論と歴史 第5章「核兵器の役割)

どれほど対立する2国であっても、「核戦争を回避する」という1点においては、必ず国益が一致します。核兵器はそれを保有する2国の行動を慎重にさせます。通常兵器だけによる戦争でも、エスカレートすれば核戦争につながりかねない場合には、それが小規模なうちに終結させようという強い動機になります。

例えばインドとパキスタンの間では3度にわたり大規模な戦争が戦われました。しかし両国が核武装して以降は、国境をめぐる紛争があっても、小規模なものにとどまっています。

このようなことから、ネオ・リアリズムの理論家であるケネス・ウォルツは「More May Better」という論文で「核兵器がゆるやかに拡散することは、平和と国際関係の安定性に寄与する」と結論づけました。これについては、まてまてテロリストやならず者国家が核を理性によらず使うこともあるじゃないか、というような批判もあるので、回を改めてとりあげたいと思います。

核の平和への気持ち悪さ

「核兵器が平和をもたらした」という議論には、その具体的細部への反論の前に、心情的になんとなく納得できないというか、気持ち悪さを感じる人が少なくないのではないでしょうか。

それは例えば、北朝鮮が核ミサイルを潜水艦に搭載することが、北朝鮮からすればアメリカとの間に平和を保証する合理的な方法だ、と認めることだったりします。また「核廃絶を目指す」ことと「平和を願う」ことは矛盾しているかもしれない、と考えることだったりするのですから。

ここに感じられる気持ち悪さは、原爆投下という歴史と無関係ではないでしょうし、日本人にとっての「平和」の概念にも関係しているかもしれません。

それぞれの文化で平和に相当する言葉の意味をみてみると、古代ギリシャのエレイネや古代ローマのパクスには正義や秩序の意味が含まれ、古代インドのシャーンティや中世日本の「平和」では心の安穏という心的状態が重視されている。…これらのことは、戦争の対概念として一般的に捉えられてきた平和の意味がもっと豊かであることを教えてくれる。

国際政治の理論 (講座 国際政治)P313)

 古代ローマのパクスからくるPEACEには国際秩序という外的世界の安定を問題にしているのに対し、日本人の思う平和は内的な安寧という意味を引きずっているように思われます。

そのことが軍事力による平和、特に核兵器による平和といった、危険な手段を制御して使うことで秩序を保つというリアリズム的な平和を、受け入れがたいものにしている一因かもしれません。

内的な平和、心の平穏を保つには、核兵器や軍事力といった危険なものは見るのも考えるのも避けて、あたかもそのようなものが世界には存在し無いかのように振る舞うのは、確かに合理的な方法です。

とはいえ、国際の平和というものを具体的に実現しようとするならば、考えたく無いことを考えることは避けて通れません。核兵器についても、その善悪を問題にするのとは別の次元において、それが何であり、どのような効果をもたらしたかを客観的に考えることは、避けては通りがたいのではないでしょうか。

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参考文献

国際政治の理論 (講座 国際政治)

国際政治の理論 (講座 国際政治)

 

 

 

大戦略の哲人たち

大戦略の哲人たち

 

 

 

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