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リアリズムと防衛ブログ

防衛ってそういうことだったのかブログ。国際関係論や安全保障論について、本の感想などを書いています。

中立国スイスはどうやって第二次世界大戦を回避したか? 読んだ本:「将軍アンリ・ギザン」

「抑止」ってなんだ? 読んだ本 歴史 人気の記事 防衛入門

国家緊急権の発動

 これにより、通常の憲法秩序が一部停止され、議会の反対を気にせず、必要な政策を断行する権利が政府に与えられました。

スイスは民主主義の国です。民主主義国家において、平時には普通選挙で選ばれた議員が、議会にあって政府を監視し、勝手なことをしないようにストッパーをかけています。そして議会と政府はともに憲法の枠内でしか権力を行使できないようにしています。

 しかし有事には、議会の議論を待たず、時には憲法の規定さえ超越した強権による非常の政策が必要なこともある、という考えから、このスイスのように、憲法秩序すら越えた大権を一時的に政府や軍に与えることを、国家緊急権といいます。

 非常の時には非常の政策が必要だと、スイスの議会は考えたのです。国家緊急権は民主主義の手続きの一部を停止することになりますが、国が亡んでナチスドイツに併合されてしまえば、一部どころか民主主義の全部が失われてしまったでしょう。

戦うスイスの民主主義

 一方で、国家緊急権を発動すると、日頃のストッパーを解除された政府が暴走する危険もあります。スイス国民はこの危険にうまく対処しました。

一九四〇年十二月、国防強化のため「徴兵適齢前の青少年に対する予備軍事教練を義務化する法律案」が政府によって議会に提出され通過した。この法案は、戦時中にもかかわらず国民投票にかけられた。その結果…否決されてしまった。

理由は、予備軍事教練が当面必要であれば、戦時下政府に委任してある権限で実行すればよい、連邦の法律として恒久的な法律で定めるのは、非常時に便乗した自由の破壊につながるおそれがあると、主権者である国民の大部分が判断したからであった。

…スイスの人は、戦時中といえども決して自由を忘れなかった証拠であった。(p141)

戦争という非常時には、非常の政策が必要なこともあるでしょう。しかし、非常の政策は、非常時に限定のものです。自由で民主的な国家を守るための戦時態勢によって、自由や民主主義が恒久的に損なわれることがあっては、本末転倒です。

スイスの人々は、非常時にあっては政府に憲法秩序すら越えた強権を与えつつも、与えた強権が非常時だからといって濫用されないよう監視することで、二重の賢明さを示しました。

将軍選出と総動員

 こうして全人口の一割以上が、戦争に備えて武器とり、あるいは配置につきました。といって、もちろん、スイスから他国へ侵攻しようとしたのではありません。

なぜ戦争をしないのに、戦争準備が必要だったのか

 ドイツとフランスは、国境線に要塞を築いて、睨み合っていました。その要塞線の南側にあるのがスイスです。つまり、ドイツ軍がスイスに侵攻すれば、フランスの要塞「マジノ線」を迂回してカンタンに攻め込めます。フランスから見ても同様です。

 スイスは独仏の両軍にとって格好の「通路」でした。実際、先の第一次世界大戦では、ベルギーらの国々が、ドイツ軍に「通路」として利用するためだけに攻め込まれ、戦場となっています。

このスイスの地理的位置と、地形上の特性を考えると…スイスの中立に少しでも不安を感じたならば、両者とも先を争ってその領有を図ることは、火を見るより明らかであった。…中立国の領土不可侵の権利は、自らの領土防衛の義務のうえに立って主張できるのである。決して、一片の条約上の文字だけに、頼れるものではない。

…ギザン将軍は、まず第一に、その抵抗の意志と力を示して、スイスの中立を交戦するドイツとイギリス・フランスの両陣営に信用させることが必要であると考えた。(p53)

 もしスイスが軍事力を強化せす、戦時体制をとらないで「戦争ならよそでやってください。うちは、関わる気はないんで…」と、口だけで中立を守ろうとしたら、どうでしょうか。

 ドイツ軍は考えるでしょう。「スイス自身には中立を保つ意志があるかもしれない。でもあんなに無防備では、フランス軍が侵入しようと思えば、カンタンにそれを許してしまうではないか。もしそうなれば我が軍は、敵に背後へ回られてしまう。それぐらいなら、むしろ先に我が軍がスイスに攻め込んで、自国の安全を守るべきだ」と。フランス軍も同じように考え、スイスを攻めないと自分が危うくなると恐れるでしょう。

 つまりはスイスは「どっちかの国が我が国を通路にしようとしても、撥ね付けるだけの軍事力がスイスにはある。よってスイスは確かに中立を守ることができる」と、見せつけてやらねばならなかったのです。

ギザン将軍、領土の一部を見捨てる

スイス軍は、アルプスの山や川といった地形を利用して、「リーマット線」と呼ぶ防衛線をはり「北方防御」の態勢をとります。北からのドイツの侵攻に備えたのです。

しかし、防御に適した地形で戦うということは、それより国境よりの地方は戦わずして見捨てるということです。リーマット線よりドイツ側、チューリッヒらの諸州を防衛できないことは明白でした。

国境線の真上で戦って、領土を完全に守ろうと思えば、敵を圧倒するだけの軍事力が必要です。しかし、小国のスイスにはそんなものはありません。であるなら、国の独立を守るため、一時的には国境沿いの町や村を放棄する作戦をたてるのも、やむを得ないことでした。

他国の領土に入ることなく、専守防衛の防衛戦略をとるということは、外国を刺激することも少ないかわりに、いざ戦時のときは自国の国土を戦場にする覚悟が必要なのです。専守防衛とは本土決戦のことです。その場合、防御に適さない、国境近くの地域が一時的に見捨てられるのは、軍事力に劣る国にとって致し方のない選択です。

なにせ、戦車を活用したドイツ軍は、またたくまにポーランドを征服して、圧倒的な強さを見せつけていました。スイス軍にとって、国土の全てを守る余裕など考えられないことでした。

圧倒的なドイツ軍に立ち向かう秘策

当時最新鋭の作戦でやってくるドイツ軍に対して、ギザン将軍はどう迎え撃つつもりだったのでしょう。

ドイツ軍の戦法はのちに「電撃戦」と呼ばれます。敵の防御線の一点に爆撃をあびせ、戦車部隊で穴をあけます。そして機動力に優れた戦車部隊と、自動車にのってそれに追随する歩兵で突破部を拡張します。そこから敵の後方に素早くまわりこんで、敵軍を混乱させ、あっという間に打ち破ってしまうのです。

これを防ぐには、突破してきた敵軍を大量の大砲で撃ちまくってストップさせ、こちらも大量の戦車をもって、敵の突出部を刈り取ってしまうことです。が、小国スイス軍にそんな重武装は用意できません。もし平野で戦えば、ドイツ軍お得意の戦法に手もなくやられてしまうでしょう。

そこで、アルプスの天険を要塞として立てこもることです。爆撃で混乱させようにも、スイス兵がアリのように山地の地下陣地にもぐりこめば、爆弾はむなしく土を叩くばかりです。戦車で突破しようにも、険しい山岳ではその快速が発揮できないでしょう。

生命を捧げる覚悟をせよ

とはいえ、このような防御作戦がうまくいくためには、地形だけでは駄目です。優勢な敵に迫られながら、いつまでも粘って守りつづける、兵士たちの精神力が必要です。

ギザン将軍は全軍にこう訓示しています。

(五月十五日の訓示)

最近の戦例は…一部の破綻から防御線に間隙ができ、敵はこのすきまに侵入してこれを拡張して、そこを突破口としてさらに前方に突進するのを戦法としている。

私は、兵士諸君に、与えられた地点、配置されたその場所で、果敢な抵抗を続け、兵士としての高邁な義務を遂行することを望む。…

狙撃部隊は、兵力において凌駕され、あるいは四周を包囲されようとも、弾薬のつきるまでその陣地で戦い、次には白兵戦で戦うのだ。…一発の弾丸がまだある限り、白兵がまだ使用できる限り、兵士は降伏してはならない。

最後に私は、兵士諸君に、私が君たちに期待していることを知らせる。これが、諸君のただ一つ考えることである。”諸君の義務の存するところ、その場所に、諸君の生命を捧げる覚悟をせよ”と」(p86−87)

 

(六月十三日の訓示)

祖国のための戦いには、生命を捧げても惜しくはないというべきである。

…諸君たちは誰でも、空からの攻撃を受けたからといって、任務の遂行を回避することは許されない。…急降下爆撃機の攻撃の下で、じっと我慢し、それぞれの義務を最後まで遂行することができなければならないし、またそうしなければならない。

敵の装甲車の攻撃を受け、あるいは側面や背後に回られても、諸君は一人もその位置を捨てることは許されない。

絶望的な状況に陥って、外への道はもはや一本もなくなったときは、ビールス河畔のセント・ヤコブの千五百の勇敢な兵士たちのことを考えよ。彼らの英雄的な死は、我々の祖国を救った。そして、その不朽の名誉は、スイスのある限り消えることはない」(p87−89)

 要するに「自分の持ち場をひたすら守れ。爆撃機がこようが、戦車がこようが、絶対に逃げるな。持ち場を守って死ぬまで戦え」ということです。なんだかえらく軍国主義的というか、精神力に依存した戦い方のようですが、しかし考えてみれば合理的な考え方です。

  この訓示のとおり、兵士たちが山岳に築いたそれぞれの陣地を動かに守りつづけ、たとえ一部が突破されても、後方の味方が片付けてくれると信じて粘ってくれれば、どうでしょう。ドイツ軍はいつものように突破部を拡張しようとして果たせず、少数だけ突出した部隊をスイスの予備部隊が撃破して、戦線に開いた穴を修復できるはずです。

 「持ち場を守って死ぬまで戦え」というのは、この場合、敵味方の優劣や戦法を考え、最も合理的な防戦準備を整えて、その最後の仕上げとして言っているのです。

非情の「とりで戦略」

 この防戦思想はさらに徹底され、「とりで戦略」となりました。

 ドイツがフランスを一撃で倒してしまったことで、状況が変化したためです。今やドイツ方面からの敵をリーマット線で防いでも、フランス方面からきたドイツ軍に背後を突かれてしまうでしょう。

 そこでギザン将軍は、徹底した要点防御戦略を採用します。ドイツ軍が国境を越えれば、スイスの主要な道路やトンネル、橋などをことごとく爆破します。そしてサルガンス、ゴダール、マティーニの3つの山岳要塞を重点に、全軍でアルプスの天険に立てこもるのです。

 と、言えば合理的なようですが、山岳部に立てこもるということは、それ以外は見捨てるということです。リーマット線においてはチューリッヒなどドイツ寄り地域を捨てるだけであったのが、今度はそれどころでは済みません。

この計画は…最悪の場合はスイスの宝庫である中部高原はもとより、ほとんど全ての都市、村落、農耕地、工業地を放棄することにしていた。これは五分の四のスイス国民の尊い生命とその財産を、万一の場合には、まちがいなく侵略者の蹂躙に任せることを意味していた。

しかも、それを守るのが本来の使命であるスイス陸軍は、国民不在のアルプスの山中に、生きながらえようとするのである。

ギザン将軍は、いつなんどき侵略者の暴虐にさらされるかわからない国民が、自分たちを置き去りにして山の中の避難所(彼らの眼にはきっとそう映るに違いない)に、引き上げていく軍隊を呪う声が聞こえるような気がした。(p106−7)

守るべき国土国民を置き捨てて、山の中に逃げ、ただ軍隊だけが生き延びて、いつまでも敵と戦い続ける態勢をとること。 それがスイス軍の選択でした。

拒否的抑止戦略の成功

このプランだけを見れば、スイス軍は国民を守らない、極悪非情の軍であるように見えます。しかし実は、それこそが戦争そのものを防ぐための、この場合ただ一つの方法でした。

四十年の七月十二日、ギザン将軍はこう説明しています。

スイス連邦が、この枢軸国の直接攻撃の脅威を免れることができるのは、ただ次のような場合だけである。

それは、ドイツの国防軍総司令部が、作戦準備の段階で、我々スイスに対する作戦は、うっかりすると長い期間と莫大な費用がかかることに気がつき…彼らの全体計画の遂行を阻害するのが落ちである、との結論に達したときである。

それゆえに、我々の今後の国土防衛の目的と根拠は、隣接する国々に、スイスとの戦争は長引き、多額の費用のむだ使いになる冒険であることを示すことに、終始一貫して置くべきである。我々は、戦争を回避したいと思えば、我々の皮膚ー国境ーを、できる限り高価に売ることが問題である」(p108)

この考え方は、抑止論の中でいう「拒否的抑止」にあたります。軍事力によって敵を圧倒できないまでも、敵が戦争によってその目的達成するのを拒否できる程度に力を持つことで、その意図を未然に防ぐことです。 

 この戦略はみごとに図にあたりました。ドイツ軍はスイス侵攻を何度となく検討したけれど、その都度、撤回しています。勝てるとしても、時間がかかる上、損害は大きく、しかも勝ったあとにはスイスの主要交通路はことごとく破壊されているから、得るところが少ないと計算したためです。

戦争を回避する方法

 外交的には中立、軍事的には専守防衛という条件の中で、非情なまでに徹底したスイス軍の防衛戦略が、最後まで功を奏しました。

これはただ軍だけの功績ではなく、必要な支援を与えつづけた政府、政府に非常時の大権を与えた議会、そしてそれらを支持しつつも民主主義の精神を忘れなかった国民の存在がありました。

 戦争を回避できる国とは、他国から見て「あの国は簡単には落ちない」と思われる国家です。巧みに戦争を遂行できる国が、固い決意をもって防御的に振る舞うとき、初めて戦争を回避することができたのです。 

 

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抑止力の正体

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 抑止力、なんてものは本当に存在するのでしょうか? 

 昨年来、抑止という言葉は話題になりました。鳩山前総理は沖縄を訪問したとき「学べば学ぶほど…(沖縄の海兵隊は他との連携のなかで)抑止力が維持できるという思いに至った」と述べました(時事5/4)。新聞はこれを「移設問題とは、『抑止力』と沖縄の負担軽減という困難な二正面作戦に他ならない。そのことは初歩の初歩のはずではなかったか。」(10/5/7朝日社説)と、気づくのが遅いよと批判しました。

 その一方で、「沖縄の海兵隊に抑止力なんてない」「というか、そもそも抑止力なんてウソだ」と考える人もいます。なぜこんな風に人によって「あれは抑止力だ、いや違う」と意見が分かれるのでしょうか??

 なぜなら、あいまいだからです。抑止力は目に見えず、手で触ることもできません。そこに部隊が存在する、ということは誰にも明らかです。しかしそれが抑止力になっているかは、見ただけじゃあ分かりません。顕微鏡とか体重計とか、どんな計測機械でも、計測はおろか有無の観測すらできません。

 抑止力というのは、ある意味、幻想のようなものです。このブログではこれまで数度に分けて「抑止ってなんだ?」ということを書いてきました。今回のテーマは「抑止のあいまいさ」についてです。

抑止力を警官とドロボウで考える


 今回は抑止力を「警官のドロボウに対する抑止」で考えてみましょう。軍隊は国外からの暴力(侵略、威嚇、強要など)に対処し、抑止するためです。国内の暴力(犯罪、テロなど)には警察が対応しています。いずれも政府に統制された合法的な暴力(軍隊・警察)によって、不法な暴力(侵略・犯罪)に対抗しています。ここには一定の同型性があります。

 警察には犯罪が起こる前に、それを抑止する効果もあるといわれています。マンションやアパートを借りるとき、物件の近くに交番があれば安心感を感じる人は少なくないでしょう。これは警察官の存在が、犯罪を抑止するという期待があるわけです。

 他にも、本屋には「万引きは警察に通報します」という札が貼ってあるのを目にしますね。飲食店なども「警察官立ち寄り所」と掲示していることがあります。あれらも、そういう札で万引き等を思い止まらせる、つまり抑止することを狙ったものでしょう。

 警察には泥棒への抑止効果がある、というのは直感的には確からしい気がします。警官が見ている目の前で、家に忍び込む泥棒はいないでしょう。ふつうは思いとどまるはずです。

 しかし、一般論としてはともかく、ある特定の場合について、それを証明できるでしょうか?

ドロボウがいないのは警察官のおかげ??


 とても治安のいい町があったとします。この町の交番には昔からベテランの警官がいます。パトロールから道案内から、よく働いてくれている、とします。

 この町内ではここ数十年、なんと一回もドロボウが発生していない、としましょう。このとき「うちの町が治安がいいのは、あのお巡りさんのおかげだ(=ベテラン警官の存在が泥棒の抑止に成功している)」と言えるでしょうか?

 いいえ、そうとは限りません。他にも色んな可能性があるからです。もしかするとここはモラルがとても高い町で、ドロボウするような人は最初から存在しないのかもしれない。あるいは住民がみんな豊かだから、盗みを行う動機がないのかも。実際、たぶんこの町の治安の良さは、色んな要因の複合によっているのでしょうし…。

抑止力は厳密には証明できない

 だから、この治安の良い町で「ベテラン警官が抑止力となり、泥棒を抑止している」とは立証できないのです。直感的には、警官の存在は治安のために多少は寄与している気がします。他の町の状況と比べれば何がしかのことを言えるでしょう。それでも「だからこの町の治安はベテラン警官のおかげだ」と断定できるかというと、やっぱり難しいのです。

 軍隊や自衛隊の抑止力についても、同じことが言えます。ここに平和な国があったとします。その国は抑止のために国軍を保有しています。かといって「軍隊の抑止力があるから平和なのだ」と証明することは、できません。

 かつてアメリカの国務長官(外務大臣)をつとめたキッシンジャーは、こう言っています。

「抑止の効果は、実際には”起こらない”ことによって、消極的な方法で試される。しかし、何が、なぜ、起こらないかを立証することは絶対に不可能である」ヘンリー・キッシンジャー


(「キッシンジャー秘録 第一巻」 小学館 p257)

 こういうわけですから、ある軍隊、ある部隊がほんとうに抑止力として機能しているか、厳密に証明することはでません。色々な傍証によって「たぶん、おそらく、かなりの程度で抑止力になっているだろう」と”推測”するのがせいぜいです。

抑止力は無くなって初めて分かる

 ただし、一つだけ、抑止力の効果を証明する術はあります。先ほどの平和な町から、交番をぶっ壊して、ベテラン警官を解雇すればいいのです。

 もしそれによって「しめしめ、やりやすくなった」とばかり、ドロボウが発生したならば、それまではベテラン警官氏の抑止が効いていたと分かります。

 つまり抑止は、破綻したときに、初めて「ああ、これまでは○○が効いていたんだ」と分かることがあるのです。しかし、実際に住民の身の安全がかかっていることを考えると「ちょっと実験してみよう」というのも難しいでしょう。

 軍隊による抑止、とくに核抑止についてこれを述べたのが、同志社大学の村田教授の説明です。

はたして核抑止は機能してきたのか。この問いに客観的に答えることはきわめて困難である。というのも、核抑止のみならず、およそ抑止(さもなければ他者がそうするであろうことをさせないこと)は、破綻してみなければ、それまで機能していたかどうかを証明できないからである。


……もとより核抑止に関して、このような確認をとるわけにはいかない。そのため、一方では、感情的・主観的な核抑止否定論が繰り返され、他方では、核抑止理論の精緻化が進み、軍事専門家の間ではそれをめぐる神学論争が展開されてきたのである。


(p65−66 村田晃嗣日米安保関係と核抑止」 「なぜ核はなくならないのか―核兵器と国際関係」法律文化社

 核戦争ならずとも、抑止の効果を実験で確かめるわけにはいきません。「この部隊に本当に抑止力があるか確かめるために、ちょっと全廃してみよう」などとやって、それで戦争を招いてしまったら、抑止力の証明はできるかもしれませんが、時すでに遅しです。

破綻した抑止、後で分かった抑止力

 これまでも抑止は数限りなく破綻してきました。部隊の撤退によって、あるいは失言などによって。そして破綻したことによって、それまでは何が抑止効果だったのかが、かなりの確からしさで分かりました。

 例えば1950年の朝鮮戦争です。このとき北朝鮮は韓国に攻め込みました。このきっかけになったのが「アチソン宣言」です。アメリカの国務長官(外務大臣)だったディーン・アチソンが「アメリカが責任を持つ防衛ラインはフィリピン・沖縄・日本・アリューシャン列島までである」と述べました。韓国を防衛ラインに含めなかったのです。

 北朝鮮の金日成(キム・イルソン)はこれを聞いて「韓国に攻め込んでもアメリカは増援に来ないのか」と早合点し、開戦への傾斜しました。それで結局戦争になったのですが逆にいうと、それまではアメリカ軍が抑止力になって、北朝鮮は韓国侵略を思い止まっていた、と推測できます。

 あるいは在フィリピン米軍の抑止力です。フィリピンは94年に在フィリピン米軍を撤退させました。その直後から中国海軍の活動が活発化し、フィリピンが領有権を主張していたスプラトリー諸島ミスチーフ礁らが占領されました。このことから、それ以前には米軍が中国への抑止力になっていたと推測できます。

 ともあれ、これらはみんな「後の祭り」ではあります。後から「ああ、あれで抑止が破綻したんだな。それまではあれが効いていたんだ」と分かっても、亡くなった命や奪われた領土は戻りません。

  例外としては、96年の台湾海峡ミサイル危機が挙げられるでしょうか。すわ中国が台湾に攻め込むか、と思われました。そこへアメリカ軍が空母二隻を急派したところ、何とか事態が沈静化しました。しかしこういう劇的な例は稀です。

抑止力の正体

 このように抑止というのは、何だかよく分からない、曖昧なもののように思えます。目にも見えず、手に触れることも、観測することもできません。かつまた、抑止力の効果が目に見えて明らかになるのは、たいてい破綻した後のことです。過去の抑止力については分かっても、現在ただいまの平和、そのどの程度が抑止のおかげなのかは分かりません。まるで雲をつかむような話です。

 だからといって「抑止力なんて無い」かというと、そうとも言えません。警官とドロボウの例えに戻りましょう。ある町の、ある警官が抑止力になっているかは分からない、という話でした。しかしだからといって一般論として「警官には犯罪への抑止力が無い」のでしょうか? だとすれば警察を全廃しても犯罪は増えない、となってしまいます。それはちょっと考えにくいでしょう。実際、前述のように抑止が破綻した例をみると、それまでは抑止が効いていたことはかなり確からしいでしょう。

 なぜ抑止はこうもアヤフヤで、それなのに時に効き目があり、しかし観測できないのでしょう。それは結局、抑止とは人の心の中にあるものだからです。当然、見たり、触ったりはできず、あいまいです。幻といえば幻、しかし事態を左右します。警官の姿を見て「あ、ヤバい、止めとこう」と思うドロボウの心の反応、それが抑止力の正体です。


 とはいえこんなに曖昧では、実際に○○の部隊は抑止力として機能してる否か、といった具体的検討ができません。どんな条件を満たせば抑止力になり、どうしたら無意味で、どんな時に破綻するかを、より明らかにする必要があります。

 また、抑止に依存することの問題点も見過ごせません。警官に抑止効果があるといって、それだけに頼れば警官だらけの監視社会となり、それはそれで暴力的です。同様、平和のために抑止力を大きくしようとして軍拡競争になっては、かえって平和を損ねます。これらの点を吟味し、抑止の条件と限界について考えたいところですが、それらは次回と致しましょう。

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続・のび太がジャイアンを抑止するには? 抑止の発展

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 これは「抑止」ってそもそも何なのかを解説するシリーズの第3弾です。戦争が起こることを未然に防ぐため、世界の国々は「抑止」を行っています。抑止とは外国に「戦争を思いとどまらせる」営みです。

○これまでのまとめ

 ある国が他国に戦争を仕掛けるのは、戦争によって得られる利益(経済的な利益とは限らない)が、戦争に必要なコスト(金銭のほか人命や評判など色々)よりも大きいと期待できるときです。つまり「勝てる。勝ったら得になる」と判断したときです。これについては第1話の「抑止って何だ?」で触れました。

 そこで戦争を思いとどまらせるには、戦争の利益よりもコストの方を大きくしてやることです。相手が攻めてきたら逆に反撃したり、抵抗したりできるように防衛力を整備します。そして相手に「これでは戦争をやっても勝てないか、もし勝てたとしても目的を達成できないか、目的を果たせたとしても損害の方が大きい。やるだけ損だな。やめよう」と判断させます。防衛力を備えることで相手を思いとどまらせるのです。

 これを「ドラえもん」の”のび太”がジャイアンという外国を抑止するという例で説明したのが、第2回の記事でした。ここでは抑止が3種類(懲罰、拒否、報償)にわけられることを述べました。これらの複合が「抑止」として行われています。

 今回は、前回とは別の観点から抑止の種類をみてみましょう。基本的抑止、拡大抑止、相互抑止の3つです。図にすると以下のようになります。

1つずつ見ていきましょう。

○基本的抑止(Basic Deterrence) :のび太⇒ジャイアン

 前回は「のび太がジャイアンを抑止する」という1対1、かつ一方通行の関係を考えました。これを「基本的抑止」といいます。これが抑止のもっとも基本的な形です。

 「ジャイアンがのび太を抑止する」のならば基本的抑止が簡単に成立するでしょう。ジャイアンのパワーが圧倒的に強大であり、のび太はなかなか勝ち目がありません。のび太が何らかの理由(奪われたマンガを取り返したい、とか)のために「ジャイアンにケンカを仕掛けよう」と考えたとしても、思いとどまるでしょう。「でもジャイアンは強いし、殴り返されたら痛いし、負けちゃうからマンガはどうせ取り返せないだろうし、ケンカをしかけるだけムダだよ」と判断するからです。

 しかしながら、すべての国がこれを成立させられるわけではありません。弱小国であるのび太国の側が、強大なジャイアン国を抑止してわが身を守ろうとするには、並々ならぬ努力が必要です。

○拡大抑止(Extended Deterrence) :のび太+ドラえもん⇒ジャイアン

 そこで、単独で大国に立ち向かうのではなくて、第三国の力を借りる、という選択肢がでてきます。そうです。ドラえもんの登場です。のび太国は第三国であるドラえもん国と同盟を結びます。同盟とは要するに「もし戦争になったら一緒に戦おう」という約束です。ジャイアンがケンカを仕掛けてきたとしたら、ドラえもんひみつ道具を使って一緒に戦ってくれるようになります。

 これをジャイアンの側から見てみましょう。のび太一国ならば弱いので、ケンカをしかけてマンガを取り上げる、ということも簡単かもしれません。しかし「でも、のび太にはドラえもんがいるからな。ドラえもんが手助けしたら、やっかいなことになるかも…」と考えて慎重になります。「のび太・ドラえもん同盟軍」の合力をもってすれば、ジャイアンに対しても前回で説明した懲罰的抑止、または拒否的抑止が成立するかもしれません。

 このように外国と同盟して、外国の抑止力を借りて抑止することを「拡大抑止」といいます。ドラえもん国の抑止力は本来ドラえもん自身を守るものですが、同盟によってその有効範囲が拡大して、のび太をも守ってくれるのです。のび太・ドラえもん同盟の場合は”二国間同盟”ですけれど、実際の国際関係ではもっと多くの国が集まって”多国間同盟”を組む場合もあります。のび太、スネオやその他町内の男の子たちが大スクラムを組んで、ジャイアンに対抗する、というようなパターンです。

○拡大抑止が失敗するとき

 拡大抑止の実効性について少し補足しておきます。

 マンガ「ドラえもん」において、未来からやってきたドラえもんは野比家に居候しています。のび太の部屋の押入れで寝起きしています。

 拡大抑止が成功するには、必要なことが2つあります。信頼性と即応性です。信頼性とは「のび太が殴られたら、ドラえもんは我が身の危険を顧みずに、必ず立ち上がる」という保障のことです。即応性とは「ドラえもんはのび太がやられる前に駆けつけてくれる」ということです。

 このどちらが欠けても、拡大抑止は失敗します。信頼がないと「ドラえもんはのび太を見捨てるだろう」と疑われます。即応性がないと「ドラえもんが来る前に急いでのび太をボコボコにすればいい」と思われてしまうからです。

○なぜドラえもんはのび太の押入れに住んでいるのか?

 この観点からみると、ドラえもんがのび太と同居しているのは非常に合理的です。

 一緒に住む、というのは極めて強い信頼性のあかしになります。一緒に住むことによって連絡が密接になるし、どれだけ仲が良いかという証明です。何より重要なことは、ジャイアンがのび太の部屋(領土)にまで踏み込んだなら、自動的にドラえもんも危険にさらされる、ということです。したがってドラえもんは我が身を守るため、のび太とともにジャイアンに対抗せざるを得なくなるのです。

 また、同居していれば、ジャイアンがのび太の部屋(領土)に踏み込んだとき、そこには既にドラえもんが存在しているのですから、確実に間に合います。即応性も保障されるわけです。

 のび太は外に出歩いて動き回りますから、ドラえもんの助けが間に合わないことはよくあります。だから例としては不適切です。しかし国の場合、領土が空を飛んで動くということはありません。だから領土内に同盟軍を駐留させておけば、その国に敵が攻めてきたときは即座に、確実に、同盟軍と力を合わせて立ち向かうことができます。

 実際の国際関係でいえば、例えば在韓国アメリカ軍です。韓国はアメリカと同盟して、北朝鮮を抑止しています。北朝鮮が攻めてきたとき、アメリカ軍が韓国内に駐留していれば、アメリカの兵士の身が危険にさらされます。アメリカは自国の兵士を守るためにも、参戦せざるを得ないでしょう。アメリカからすれば、敢えて自国の兵士を韓国におき、韓国人と同じ危険に晒すことで、同盟の信頼性をアップさせ、即応性を持たせている、といえます。(日米同盟の場合はもう少し複雑です)

 よって在韓米軍はアメリカが韓国に与えている「自発的人質(ボランティア・ホステージ:volunteer hostage)」と呼ばれています。のび太の押入れに住んでいる「在のび太家ドラえもん軍」のように、同盟国と寝食をともにすることで、同盟の信頼性を確かにし、拡大抑止を機能させているのです。

 

○相互抑止(Mutual Deterrence):のび太⇔ジャイアン

 これまでは「のび太がジャイアンを抑止する」という一方通行の関係で見てきました。これまで見てきた「基本的抑止」や「拡大抑止」によって、のび太がジャイアンに対抗できるようになったとします。するとジャイアンは、のび太の持つマンガを欲しいと思っても、腕ずくで奪うことは思い止まるかもしれません。これが抑止に成功した状態です。

 ところが、このときジャイアンから見れば、逆にのび太の方が脅威になっている可能性があります。ひみつ道具で強くなったのび太は、たいてい好き放題をやらかします。逆にジャイアンにケンカをしかけて、マンガを奪ったりする恐れがあります。そこで今度はジャイアンの方が、のび太を抑止しなければなりません。自分を鍛えるとか仲間を増やすとかしてのび太に対抗し、抑止を成立させようとします。

 このように互いを抑止しあうこと「相互抑止」といいます。これが両者とも上手くいくと、のび太がジャイアンを抑止し、ジャイアンがのび太を抑止している状態になります。将棋でいえば「千日手」で、どちらも身動きがとれません。

 この状態になると互いに戦争を避けようとするので、うまくすれば「仕方がない、話し合いでお互いに妥協して済ませるか」という平和的方向にいき易くなります。軍事的に優位に立った方が横暴になったり、侵略戦争をやったりする、ということを防げるのです。その反面、お互いに武器を突きつけあっているわけですから、対立と不信が絶えません。

○抑止の関係とやり方

 今回は「基本的抑止」「拡大抑止」「相互抑止」の3つをみてきました。この3種類と、前回紹介した「懲罰的抑止」「拒否的抑止」「報償的抑止」はどう関係するのでしょうか? 今回の3つは国際関係の中でみて「どういう”関係性”で抑止しているか」をあらわします。前回は抑止を「どういう”やり方”抑止しているか」を説明したものです。

 「のび太がジャイアンを抑止する(のび太⇒ジャイアン)」というのが基本的抑止、つまり1対1の一方通行関係です。しかし一口に基本的抑止といっても、そのやり方は色々です。のび太が強くなってジャイアンに反撃する力を持つことで抑止する懲罰的抑止かもしれないし、あるいはケンカをしない代わりに何かをプレゼントする報償的抑止かもしれません。

 このようなわけで抑止を”やり方”で分類したのが前回であり、”関係”で分類したのが今回の3種類だといえましょう。

○前回の3つ

・懲罰的抑止.....もし〜したら、××するぞ!
・拒否的抑止.....もし〜しても、◯◯できないぞ。
・報償的抑止......もし〜することを思いとどまるなら、△△してあげよう

○今回の3つ

・基本的抑止: のび太⇒ジャイアン
・拡大抑止: のび太+ドラえもん⇒ジャイアン
・相互抑止: のび太⇔ジャイアン

○同盟相手は本当にドラえもんでいいの??

 ところで今回、拡大抑止のところで「同盟」という関係がでてきました。実際の国際社会でも、国々は力の大小を考えて他国と同盟しています。今回は「のび太がドラえもんと同盟して、ジャイアンに対抗する」という例をあげました。しかしこのとき「のび太がジャイアンと同盟する」という選択肢は無いのでしょうか? 強大なジャイアンに同盟で対抗するのではなくて、むしろジャイアンと同盟して仲間になってしまった方が得をするのではないのでしょうか? 

 ジャイアンは一番強いから、脅威でもあるけれど、味方にすれば頼もしい存在です。だからどちらを選ぶべきでしょうか? 実際の国家も、このように他国の力の大小に着目して、いろいろな行動をとります。その動きの連鎖が国際社会をつくっています。抑止論の話は今回で一区切りとして、次回はこの点をとりあげる予定です。



参考文献