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リアリズムと防衛ブログ

防衛ってそういうことだったのかブログ。国際関係論や安全保障論について、本の感想などを書いています。

平和の達成は戦争の理解から始まる

防衛入門

なぜ戦後平和主義は衰退したのか

90年代以降の日本では、いわゆる「反戦平和主義」が急速に凋落しました。その理由はそれら戦後平和主義の非現実性にあったといいます。

櫻田淳先生はその原因について以下のように書かれています。

一九九〇年代以降、湾岸戦争の勃発や北朝鮮核危機の浮上といった国際政治情勢の変動の中で…「平和主義者」層の主張の影響力が低落したのは、その「非現実性」が世に印象付けられるにようになったからにほかならない。戦後平和主義思想の零落を招いた責は、「平和主義者」層にこそ帰せられなければならないのである。
漢書に学ぶ「正しい戦争」 櫻田淳 朝日新書 p168

いわゆる戦後平和主義の思想が「非現実的」なものに終始したのは、彼らには現実的な議論をする必要がなかったことと関係しているでしょう。戦後平和主義をさかんに提唱・主導したのは旧社会党とその周辺人士たちです。彼らは実際に政権を持っていたわけではなく、かつ政権交代をリアルに想定していたわけでもありませんでした。従って、ただたんに平和の大事さを説くばかりで、「いかにして平和を実現するか」という具体的手段については論じなくてもよかったのです。

90年代以降、自民党の凋落にともなって旧社会党の政党・政治家が実際の政策におよぼす影響が強まると、たちまちこの非現実性が暴露されてしまうこととなりました。

なぜ戦後平和主義は非現実的だったか

平和構築のための具体的手段に踏み入ることは、戦後平和主義のテーゼに反することになります。平和の構築や保持には軍事について考えることが不可欠なのに、軍事について考えることは彼らのテーゼに反するものでした。

戦後平和主義は「反戦」というより「反軍事」の思想です。戦争を忌避するあまり、戦争に関連したり、軍隊を連想させたりする物や言葉を全て忌避する考え方です。軍事について論じたり考えたりすることを一切排斥することに執心してきました。

日本においてはこの種の風習が他にも見られます。受験生の家庭や、結婚式の会場です。受験生に対して「落ちる」「すべる」という言葉は禁句、結婚式において「割れる」「切れる」という言葉やそれを連想させる包丁などを贈ることはマナーに反します。不吉な言葉や物を遠ざけることで、災いを避けよう、というわけです。

戦後平和主義のこの姿勢が、軍事や防衛といったことについて現実的に語ることを不可能としました。防衛について論じることは全て軍国主義であり、軍事力を国際社会に必須の要素として論じる人は全員ファシストであり、自衛隊が侵略ではなく自衛のために整備されることすら全て戦前回帰、いつか来た道、と見られました。

このために「『平和主義者』層は、『保守・右翼』層や『民族主義者』層の議論と政治学系『現実主義者』の議論とを半ば同一のものとして認識する硬直性を示し続け*1」ることになりました。

戦後平和主義の誤りは非現実性を捨てられず、空想主義的な議論に終始したことです。そして戦後平和主義が非現実性だった原因は、平和を望みながらも軍事について考えることを拒否した点にあるといえましょう。

平和と軍事の切り離せない関係

平和とは一義的には「戦争がない状態」を指します。厳密にはこれは「消極的平和」といわれ、人民の福利が成されている「積極的平和」とは区別されます。ですが消極的平和が破れた戦争状態では積極的平和など実現不可能です。よって戦争が起きないことは平和の必須条件といえましょう。

戦争と平和の関係は、重病と健康の関係に似ています。重病でさえなければ健康だ、とはいえません。何も病んでないけど体調が悪く、気分が沈み、日々憂鬱沈々と過ごしていては「健康的な毎日だ」とはいえないからです。ですがそもそも重病にかかっていては、どうあっても、健康とはいえないでしょう。

よって健康になりたければ、とりあえず最低条件として、重病にならないこと、なったとしたら早く治すことが必要です。そのためには重病の何たるかを知るか、重病についてよく知っている医者に頼ることが必要です。

しかしここで病について考えることを拒否し、専門知識を毛嫌いしたらどうでしょう。「病気のことなど考えたくもない」「病気、ウイルス、細菌といった言葉を使う人は重病主義者だ」ということになり、さらには「いつも病気について勉強したり、病人に接している医者たちは悪魔だ」として専門家、専門知が排斥されます。その行き着くことろは「ウイルスだ予防だ等と重病主義的なことを言って、マスクや手洗いをしている人こそ病気の原因である」という途方もない考えに行き着いてしまいます。

戦後平和主義はまさにこれで、軍国主義回帰ではなく現実的な平和保持のために論じている人さえもファシストと悪罵し、平和を守るための防衛力整備を不合理に束縛してきました。戦争と平和はコインの裏と表であり、戦争という側面を理解しないでは、平和という側面を正しく思考することもできない、ということでしょう。

逃避しても戦争を妨げられない
(サー・ジョン・スレッサー空軍元帥)

「冷静な平和主義者ならば戦争を理解せよ」

戦争がない状態を作るには戦争を理解し、軍事を理解することが必要です。英国の戦略家リデル・ハートはこう言っています。

冷静な平和主義者であろうとするなら、新しい格言に基礎をおくべきである。それは”君が平和を望むなら、戦争を理解せよ”」ということだ
リデル・ハート

そして「戦争を理解」した人は、その災禍の恐ろしいこと、その制御の容易ならざることを知ります。そのために、かえって戦争に抑制的になることも多いのです。

病気の専門家が医者ならば、戦争の専門家は軍人です。戦後平和主義の思潮においては日本における軍人、自衛官は手ひどく嫌われ、差別されてきました。彼らのような人が戦争を招くと思われたためです。今でも「戦争は軍人が始めるもの」「軍人はみんな常に好戦的」という偏見はまだあるように思います。

しかしドイツ軍のフォン・ゼークト将軍は、軍人が常に好戦的だとは限らない、と論じています。

戦争の特性と結果について明確な概念を持っている人は、政治家や経済人が業務の利、不利を冷静に分別する以上に戦争がもたらす潜在的な結果に厳粛な見通しをもつ。…戦争体験を有する軍人は戦争を単に愚行と無視し、平和だけを口にする空理空論家よりもはるかに戦争を恐れる。

…戦争を直視する軍人を平和主義者と呼ばない理由はない。その平和主義は責任感と戦争に関する知識に裏付けられたものである。

フォン・ゼークト 「軍人の思想」

実際、イラク戦争の開始前のパウエルとラムズフェルドの対立はこれを裏付けています。パウエル国務長官(当時)は湾岸戦争を経験した元軍人であるために、イラク戦争には終始批判的な立場をとりました。これに対しタカ派の文民であるラムズフェルドの方がずっと戦争に前向きでした。

第二次世界大戦前のドイツにおいても、ヒトラーらの政治家と民衆が好戦的であったのに、ドイツ国防軍の将軍たちは、その多くが開戦に反対であったといいます。

このように古今、よく戦争を理解した人は軍人には戦争に対して極めて抑制的な人が多くあります。他方、もちろん好戦的な志向をもっている軍人、元軍人も史上には多く見られます。

つまり文民より軍人が、反戦主義者より軍事に詳しい人の方が好戦的だと、というような安易な相関はない、ということでしょう。おそらく好戦性は、安易な解決策に飛びつきたがるかどうか、感情的になり易い、過激・極端に走り易い、といった心理的な性向に由来しているのではないでしょうか。

「戦争を研究すればするほど、戦争の原因は政治的や経済的よりも根本的に心理的な理由であると気づくだろう。
戦争屋と話をすれば、平和を目指す努力以前に彼らの人間性の鈍感さにガッカリするが、
それ以上に反戦主義者の好戦性によって戦争を排除することに絶望を感ずる」
リデル・ハート

確かにいわゆる平和運動に参加している方であっても、自分に反対する政党や個人に対してえらく好戦的・攻撃的な人や団体は珍しくありません。そのような姿勢は、時勢が許しさえすれば他国に対して攻撃的になり得るでしょう。右であれ左であれ、反戦主義者であれ軍人であれ、激しやすく極端な姿勢はいずれも好戦性につながるものです。

そしてリデル・ハートらが言うように、具体的、実際的に平和を保つことができるのは、安易に武力を用いたがる戦争屋ではなく、軍事を理解することを拒否するためその扱い方を知らない非現実的な反戦主義者でもありません。「戦争を理解」した「冷静な平和主義者」だけなのです。

補足(09/6/17)

本エントリーで「戦後平和主義」という言葉をえらく狭い意味で使っていますが、これはいい加減にすぎる用法でした。戦後平和主義といえばふつう吉田路線らも含み、戦後社会でのいわゆる「平和主義者」層と目される人々の考えに限ったものではありません。

この点についてはきんぐさんにご指摘、ご指導を頂きました。ありがとうございましたっ!

*1:櫻田 前掲書 p168