Univ Pr of the Pacific
売り上げランキング: 1190170
本書、「紛争の代価(THE COSTS OF CONFLICT)」は、台湾有事について主にコストの側面から分析した論文集です。戦争のコスト、つまり貿易の一時途絶や、国際社会からの孤立といった代価を払ってでも、中国は台湾侵攻に踏み切るのでしょうか? それとも、経済的な相互依存が著しく進んだ今日、台湾有事が起こりうるなど時代遅れの幻想に過ぎないのでしょうか。
本書の結論は明快です。
中国は台湾に武力を行使しないだろうと広く信じられている。……その見方の一つは「中国は経済的に失うものが多すぎて、台湾をめぐる戦争のリスクを冒せない」という前提に基づいている。
……クエスチョンは「中国はどんな経済的帰結を招こうがお構いなしに、一定の条件下では台湾に武力を行使するか?」である。フリードマンによれば、答えは「間違いなく、行使する」だ。本書の筆者たちを含め、多くの専門家たちがこの判断に同意するだろう。
……国家安全保障上の重要目標である台湾の統一を、もし必要とあらば軍事力で達成する、という中国の主張を「単なる大風呂敷に過ぎない」と却下するのは、極めつきに愚かなことだろう。
A widely held belief is that China will not use force against Taiwan....The basis for the former proposition is the assumption that China has too much to lose economically to risk a conflict over Taiwan....Indeed, the follow up question is:“Would China under certain circumstances use military force against Taiwan no matter what the economic consequences?” The answer, according to Friedman, is“absolutely.” Many analysts, including the contributors to this volume, would concur with this judgment....Thus, it would be extremely unwise to dismiss China’s insistence that unification with Taiwan is a key national security objective to be achieved by force, if necessary, as merely hot air.
("THE COSTS OF CONFLICT" p1〜3)
いったい、なぜでしょうか? 台湾に侵攻しても、中国は意外と経済的損失を受けないのでしょうか。それとも、大きな損失を受けるけれど、中国自身はそれに気づいていないのでしょうか。あるいは、恐るべき経済的損失を甘んじて受け入れ、それでもなお台湾を侵略すべき理由が存在するというのでしょうか?
本書の主要部を順に見ていきましょう。
中国は台湾有事のコストをどう認識しているか?
台湾に侵攻した場合、どのような損失を受けると中国は認識しているのでしょうか? 長年中国の安全保障問題を研究しているFinkelsteinは、本書の第2章「CHINESE PERCEPTIONS OF THE COSTS OF A CONFLICT(紛争の代価についての中国の認識)」において、こう論じています。
確からしいのは、中国の指導者たちが台湾有事について、こう判断していることです。
台湾との戦争は、アメリカとの武力紛争を意味する(p13)
中国が台湾に攻め込めば、アメリカが台湾を助けるため軍隊を送って来るだろう――と、中国は判断している。それは確実だ、とFinkelsteinは説きます。
台湾、正式には中華民国は、かつてアメリカの同盟国であり、断交後の現在も事実上の同盟関係にあります。ゆえに、台湾有事の際にアメリカは実際に台湾を救援すべく軍を送って来るだろう、と中国は読んでいるわけです。中国現代国際関係研究所の主任分析官だったYan Xuetongは、こう分析しています。
もし台湾海峡で危機が起これば、アメリカが軍事的に関与してくることは確実だ。……関与してこない可能性は、存在しない。問題は、それがどの程度の関与かということのみである。
if a crisis breaks out in the Taiwan Strait, it is certain that the United States will become militarily involved. ...the possibility of them not getting involved does not exist; the only question is the degree of involvement.
(同書p15)
台湾侵攻がアメリカとの戦争を自動的に引き起こすことになるとすれば、中国にとって軍事的にかなりの損失を覚悟せねばならないし、勝利はかなり困難でしょう。もし中国が勝利できるとすれば迅速に台湾を占領し、アメリカに介入を諦めさせることです。しかし、仮にそうできたとしても、国際的な孤立は免れないでしょう。
台湾侵攻は経済的にも中国に大ダメージを与えるし、当の中国もそれをよく自覚している、といいます。戦争が長期にわたれば、沿岸の豊かな都市が攻撃を受けるし、外国からの援助や投資、貿易に大ダメージを与えるでしょう。こういった経済的な損失が甚大なことは火を見るより明らかで、もちろん中国もそれをよく認識しています。
そういったコスト認識は中国が台湾侵攻を決意するハードルを上げている、とFinkelstein他の著者たちは書いています。まあ、そりゃあそうです。
それにも関わらず、なぜ本書「紛争の代価(THE COSTS OF CONFLICT)」の論者たちは、中国がある条件下では間違いなく台湾に侵攻する、と分析しているのでしょう? 経済的に大きな損失を甘受し、さらにはアメリカとの戦争をも覚悟して、それでもなお、ある条件下で中国が台湾に攻め込むというのは、何を求めてのことでしょうか。
経済的に大損をしても戦争に打って出る国家は、何を求めているのか
経済的に大損することを覚悟で戦争に打って出た国といえば、他ならぬ日本もその一つです
1940年(昭和15年)当時の貿易統計によれば、日本は80%の燃料物資、90%以上のガソリン、66%の工作機械類、75%のくず鉄をアメリカから輸入していました。さらに、石油の年間消費量は約448万キロ・リットルでしたが、その輸入量の78%はアメリカに依存していました。
……産業必需物資の7割もの輸入を依存する相手に対し、日本の方から戦争を仕掛ければ、輸入が止まり、たちまち原材料や石油エネルギーが不足して国内産業は行き詰まり、継戦能力を失うことは明白です。もしここで、本当に経済相互依存が戦争を抑止しえるのなら、対中戦争を中止してアメリカとの関係正常化を模索するはずですが、日本は対米戦争に踏み切りました。
経済相互依存を根拠に中国脅威論を否定する愚 - 海国防衛ジャーナル
上記の引用元では他にも複数の例があげられています。なぜ国家は経済的に大損をしても、戦争に踏み切ることがあるのでしょう?
お金、経済だけに価値を認めて合理的に行動するなら、戦争をする国家はほとんどいなくなるでしょう。しかし経済、お金だけが価値あるものではないし、国家は営利企業ではありません。人はパンのみに生きるに非ず、国家は経済のみを求めるに非ず、です。
経済だけでは戦争を無くせない理由をざっくり一言でまとめれば「国家にとって、世の中にはお金よりも大事なものがあるから」です。比喩的に個人の例でいうと、多くの人にとってお金より大事なものは命です。もちろん、命を多少の危険にさらしてでもお金を手に入れたい、という人はいるでしょう。
でも、そんな人たちも「命を確実に失うとしても、お金が欲しい」とは考えないでしょう。命を失ってしまえば、いくらお金を持っていても、使えないのだから無意味です。(遺族にお金を遺すため、というのはここでは考えないことにします)個人がお金をもとめて合理的に行動するとしても、生死の境にあって名医ブラックジャックを目の前にしたら「金ならありったけ払うから、命を助けてくれ」と言うのは普通な判断ではないでしょうか。
国家もまた、経済的に大損をすることが分かっていても、よりも大事なものを守るためなら戦争に打って出ることがあります。経済より大事なものはその国によって様々ですが、最も代表的なものは個人と同じで「生き残り」です。
「このまま待っていたら自国が崩壊してしまう、あるいは確実に敗北する状況に追い込まれてしまう。しかし、もし今、戦争を始めたならば、勝利して生き残れる可能性はある、というケースです。例えば以前にこのブログの記事でとりあげた第一次世界大戦時のドイツ。いま戦争を開始しないと防衛計画が破綻してしまう、という状態になりました。すれば、確実に負ける状況に追い込まれる前に、いま戦争を始めるしかない――と思われました。太平洋戦争にうってでた日本についても、座して死を待つよりは、むしろ一か八か打って出るべきだ――と判断しました。
戦争はなぜ起こるか4 時刻表と第一次世界大戦 - 【移転済】リアリズムと防衛を学ぶ
そんな時、国家は経済的な損失を甘受しても、生き残りを目指すために戦争に打って出ます。いいかえればお金を失っても命を守ろうとすることがあります。(もっとも、そうやって一か八か開戦した国はだいたいロクな目に遭わないのですが)
なお生き残り以外にも、時として経済より大事なものは主権、何らかの原則や理念、権力、プライドなど色々あります。また、不合理な判断が行われることもあります。とはいえ、ここでは最も分かりやすいであろう例として、生き残りのために経済的に損をしても開戦するケースをあげました。
台湾無くして中国無し
本書「紛争の代価」において、ある条件下では、経済的な大損を承知の上で、中国は台湾に侵攻するであろう、と論じられているのも、同じような理屈です。台湾侵攻には、経済的な大損を覚悟してでも手に入れねばならない価値が生じる場合があります。その価値とは中国にとっての「生き残り」、いいかえると「現体制の存続」です。
著者の一人であるヨッフェは、中国が台湾の独立を認められない背景を、こう論じています。
第一に、そして最も重要なのは、感情的なナショナリズムである。それは台湾統一を中国の主権、国家の名誉、威信を具現するものと位置づけ、統一実現を国際社会において中国が本来の地位を回復するために絶対譲れない条件と見なしている。
The first and most important is an emotional nationalism that posits reunification with Taiwan as the elemental embodiment of China’s sovereignty, national honor, and prestige, and views its achievement as a non-negotiable condition for the restoration of China’s rightful place in the international arena.
「THE COSTS OF CONFLIST」 p115
軍事的にであれ外交的にであれ、とにかく台湾併合なくして、中国は中国でありえない、というナショナリスティックな認識です。この感覚はちょっと分かりにくいものがあるかもしれませんが、現中国にとって台湾は欠かせないものです。中国はその憲法の序文にまでこう刻んでいます。
台湾は、中華人民共和国の神聖な領土の一部である。祖国統一の大業を完成することは、台湾の同胞を含む、全中国人民の神聖な責務である。
(台湾是中华人民共和国的神〓领土的一部分。完成统一祖国的大业是包括台湾同胞在内的全中国人民的神〓职责。)
中华人民共和国宪
台湾が中国から分離独立を許した場合、中国はもはや自らが定義する中国ではいられません。もし中国政府が台湾を併合できないことが明らかになれば、共産党はその正当性を保てず、現体制が崩壊する恐れが大です。よって生き残りのため、中国は戦争をしてでも台湾独立を阻止せねばなりません。
もし成功の見込みがあるのであれば、短期戦で台湾を軍事的に併合するか、あるいはそれが可能であるという脅しでもって外交で併合に持ち込もうとするだろうと考えられます。もし台湾がかつてのチベットのように弱体な軍備しか持たないならば、とうの昔に武力侵攻をうけて併合されているでしょう。
2005年3月に中国が制定した「反国家分裂法」の第8条は「分離独立勢力が……台湾の中国からの分離という事実を引き起こした場合」などには、北京は「非平和的手段」を行使することが出来る、いいかえると武力侵攻してOK、と規定しています。これによって中国政府は自らを追い込み、国内に対しては正当性を強め、台湾をふくむ国外に対しては「独立するなら戦争だ」という明確なメッセージを発信したといえます。
中国が戦争にうってでるレッドライン
しかし台湾軍の防衛力と、アメリカとの同盟が、そんな中国を抑止してきました。現時点での観測によれば、中国自身も性急に台湾を併合できるとは考えていないとみられています。本書のほか、近年の分析でも同様です。
台湾に対する中国の現在の戦略は、近い将来での解決の追求というより、むしろ台北による法的独立への如何なる動きをも防止することであるように見える。
しかしそんな現状にあっても、いくつかの条件下では、断固として台湾侵攻に踏み切るでしょう。その条件、中国にとっての「レッドライン」は、以下のように分析されています。
北京は、海峡間の関係が統一こ向かっている限り、また、紛争のコストが利益を上回ると信じている限り、武力の行使を遅らせる用意があるように思われる。……(しかし)人民解放軍の短距離弾道ミサイルの展開、高度の水陸両用戦闘能力、台湾をにらんだ近代的で先進的な長距離対空システムの配備は、北京が武力の行使を放棄する気はないことを物語っている。
武力を行使すると大陸中国が歴史的に警告してきた……「レッド・ライン」には次のものが含まれる。
・台湾独立の公式宣言
・台湾独立へ向けての定義されていない動き
・台湾内部の動揺
・台湾の核兵器取得
・統一に関する海峡間対話再開の際限のない遅延
・台湾の内政問題への外国の介入
・外国軍隊の台湾駐留
「ペンタゴン報告書:中華人民共和国の軍事力 2009年版
」p47-49
上に挙げられたような事態、わけても台湾の独立宣言や外国軍(アメリカ軍)の駐留、核武装などが発生すれば、中国はあらゆる犠牲を覚悟して台湾に侵攻するでしょう。経済的に大打撃を受けようが、アメリカと戦うことになろうが、やむをえません。なぜならば、そういった事態を看過したら、将来の台湾併合が不可能になってしまい、すなわち現体制の崩壊につながるからです。また、その覚悟を示すことによって、独立への行動を抑止することが、中国の狙いだ、とも言えるでしょう。
まとめ
本書「THE COSTS OF THE CONFLICT」で述べられているように、中国は台湾に侵攻すれば経済的なコストが多大な損害をうけます。アメリカと戦争になるであろう、ということも中国は認識しています。
しかし中国にとって台湾の独立は自国の死につながるため、絶対に看過できません。よって、これまでの歴史上の国家がそうしたように、経済的損失も軍事的劣勢も看過して、生き残りのために戦争に賭けることは十分に考えられます。お金よりも命、経済より生き残りの方が大事だからです。
また、もし台湾の防備が弱体であれば武力併合するか、その可能性をカードとして外交併合に持ち込もうとするでしょう。よって台湾とアメリカは、中国から台湾を守る軍事力を持ち、台湾侵攻を抑止してきました。そのため中国自身、すぐに台湾を併合できるとは考えていません。いつかは併合するため、とりあえず今は台湾の法的独立を抑止することを狙っています。そのためにも、台湾が独立に向けて性急に動いたときに武力侵攻する軍事力を持っています。そしていつかの日のため、さらに増強しているのです。
中国とて決して戦争を望んでいるわけではありません。しかし、いざその時には、含むとてつもない「紛争の代価」を支払い、戦争に打って出るでしょう。なんとなれば、経済的な損失よりも生き残りの方が大事であるし、生き残るために必要なら戦争をためらわないことこそが、戦争をせずに目的を達する法だからです。
お勧め文献
Univ Pr of the Pacific
売り上げランキング: 1190170
原著
タイトルがえらく扇情的になっているのが気になりますが、こちらが邦訳です。こういう売り方をするから日本の対中脅威論はうさんくさく見られるのですが、商業的には仕方がないのかもしれません。
戦争が経済的にペイすることなんて無いよ、ということを細かく論じたのがこちらで、これも面白い本です。
参考
経済相互依存を根拠に中国脅威論を否定する愚 - 海国防衛ジャーナル
相互依存は戦争の可能性を減らしても無くす事は出来ない : 週刊オブイェクト