90年代から小泉政権まで、日本の意思決定システムが段階的に変わっていく様を書いている。変革なったシステムを初めて十全に使いこなしたのが小泉もと総理だ。しかしその後の政権の混迷ぶりをみてみると、システムを運用するシステムについては、いまだ模索段階ということなのだろう。
では現在の日本の統治システムを使いこなすには、何が必要なのか。
「選挙の顔」としての首相
橋本、小渕政権あたりから顕著になったのが「首相は選挙の顔だ」ということだ。派閥の結束力は低下し、かわって首相の重要性が増している。
小選挙区制では、首相の公認を受けなければ議員の当選は難しい。よって議員に対する首相の権力は大幅に増した。
だが同時に、「選挙の顔」として首相の責任も増大した。議員は従来、派閥の応援を得られれば当選できたが、現在では派閥単位でいくら頑張っても、党首が国民から支持されなければ落選する。
よって、「選挙の顔」足り得ない首相は議員からよってたかって引きずり落とされる。「麻生やめろ」コールなどはその最たるものだろう。
逆に「小泉なら選挙に勝てる」「小沢は選挙に強い」という風に勝てる党首だと目されれば、派閥を敵に回しても、党首はその権力を発揮できる。国民の支持さえあれば派閥を無視できる分、党首の権力は劇的に強まった。
小選挙区制は首相に「公認権」という選ぶ力を与えた反面、「選挙の顔」足りえるかどうかという選ばれる試練を課すこととなった。
派閥の金力の低下と幹事長の台頭
派閥の衰退をさらに決定的にしたのは政治資金法だ。企業・団体献金が禁止される一方、資金の透明化が増した。政治資金が集めにくくなったのだ。
かつては1つの派閥が1年で20億円以上集めたことがあった。しかし2002年現在では最も金を集めた派閥ですら、年間4億円に留まっている。
変わって権勢を伸ばしたのが党幹事長と総裁だ。資金配分にあたる幹事長と、それを任命する党総裁が、カネの流れを一手に握ることとなった。
幹事長の忠誠は総裁にとってきわめて重要なこととなった。小泉もと総理が「偉大なるイエスマン」こと武部勤氏を起用したのがこの実例だ。忠実に人に仕える幹事長が必要だった。
小泉総理(当時)が衆院を解散して選挙に出られるかどうかは、資金を握り総選挙の実務を取り仕切る幹事長が自らに従わねば不可能だ。
言い換えれば、幹事長を掌握していれば、首相は派閥の反対を無視して強大な権力をふるうことができるといえる。
参議院の台頭
このように首相は「選挙」と「資金」という議員にとっての泣き所を握ることで、強大な権力を手にした。だが参議院はその権力に対し、抵抗力を堅持した。それには2つの理由がある。
1つは自民党が参議院で過半数割れしてきたことだ。そのため自民は参院で法案を通すのに常に苦労してきた。よって自民党所属の参議院議員は重要な戦場を握っていることとなり、権力が増した。
2つ目の理由は首相の解散権が及ばないことだ。参議院議員にしてみれば、つぎの改選の際に現在の首相がその地位にいるかどうかも分からない。
よって参院は首相にとって泣き所となった。
選挙で勝てて、幹事長を握り、参院を抑えられれば最強
以上のことから、
- この党首なら選挙で勝てる、と目され
- 幹事長から絶対の忠誠を得て、
- 参議院を抑えられる
ならば、首相はかつてない大権を握ることとなった。反面、そうでない限り、簡単に権力を失ってしまうこととなった。