リアリズムと防衛を学ぶ

本の感想などを書いています。

普天間問題と政治主導のために足りなかったもの

 鳩山内閣は倒れ、菅内閣が発足しました。政治とカネの問題もありますが、普天間の移設、つまり安全保障の問題が大きな原因となって内閣が倒れてしいまいました。こんなことは滅多にありません。岸信介の安保改定以来の出来事ではないでしょうか。

 新内閣は大丈夫でしょうか? また普天間問題で潰れる、ということはさすがにないでしょう。けれど普天間でしくじったのと同種の原因によって、思わぬ失政をやらかす恐れは残るでしょう。なぜならば普天間問題を迷走させた制度的な背景はまだ残っているからです。

 官僚機構を除く、まともな知恵袋の欠如。安全保障に限らず、民主政権が『政治主導』を進める限り必要なそれが、しかしまだ出来上がっていないことは、今後も地味に政治の足を引っ張るのではないでしょうか。

「最低でも県外」とか言う前に検証すべきだった

 前内閣が支持を落としたのは、普天間飛行場をドコに移設するか、二転三転、挙句に沖縄県内に戻ってしまったことが大きいでしょう。これについてThe Economist紙の元編集長であるビル・エモット氏はこう述べています。

政権奪取のために実行困難な約束をすることは洋の東西を問わない政治家の常套手段だが、たとえそうだとしても、これは酷すぎる


そもそも政権の生き死にを左右するような重大な政策テーマについては、本来は公約を口にする前に慎重の上にも慎重を重ねて、その道のプロらと共に、実行の可能性を検証するものだ。


「最低でも県外」との口約束をして以来の二転三転の迷走ぶりを見ると、普天間基地問題については、その検証を行った気配が感じられない。当事者はやったというかもしれないが、それはプロの仕事ではなかったということだろう。

ビル・エモット 緊急インタビュー「鳩山首相の辞任は日本にとっても世界にとっても良いことだ」|DOL特別レポート|ダイヤモンド・オンライン

 確かにエモット氏の仰るように、軍事、外交、沖縄に通じた専門家を集め、ひそかに事前検証すべきだったでしょう。もしマトモな事前検証をやっていれば「ゼロベースで検討」した結果と同様、かなり早期に「国外は無理、県外も至難」と分かったはずです。すれば、できる範囲内で騒音や環境負荷をどう減らすか考える、といった方向性もとりえたかもしれません。

 しかし実際、前首相のブレーンたちの事前検証は、そもそも行われなかったか、またはあまりにザツで「プロの仕事ではなかった」のでしょう。最初期から鳩山前首相のビジョンを下支えした数人のブレーン。普天間問題の再検討が行われ出してからヤレ大村だ、グアムだ、海兵隊は抑止力ではない云々と吹き込んだ人たち。彼らの見識は、専門家として求められる水準に足りませんでした。

お呼びでない大戦略

 それどころか普天間移設問題に、見当ハズレの問題意識を持ち込んでしまい、事態を混乱させました。最初期から前総理のビジョンのネタ元であった人たちは「日本はアメリカとより距離をとり、中国に接近すべき」という構想を持っています。それ自体の是非はここでは置くとしても、その関心を普天間問題に持ち込んだのは、結果的に大失敗でした。

 これを指摘したのが「極東ブログ」さんの以下の記事です。

自国防衛は自国で行うべきだというのはわからないではない。しかし、そのための礎石を普天間問題から着手したというのだ。普天間の本質は安全保障の米国依存を減らすためであったというのだ。呆れて物が言えない。  


普天間の本質は、危険な基地とともに生きる沖縄県民の安全や生活を守るためにある。いかにして普天間飛行場を撤去するかということだ。  


沖縄を日本国家の安全保障問題の道具にしないでいただきたい。結局は鳩山首相は国家の安全保障という国家の問題を沖縄問題にすり替えているという意味で沖縄への差別に荷担することになったのは理の当然ではないか。

鳩山由紀夫首相、辞任: 極東ブログ

 アメリカと距離をとって自主防衛を推進したいなら、それはそれで進めたらいいでしょう。ただしそれは数十年がかりで謀るべき大戦略です。それを普天間の移設先をどうするという直近の問題に当てはめるのは筋違い。もっとも、目先の問題にも軍事面の裏打ちを欠くようでは、同じ人たちの大戦略がマトモだとは考えにくいでしょう。

 ともあれ、そういったアテにならないブレーンに吹き込まれた首相の見通しで、重大な公約をしてしまったことが、最初のボタンの掛け違いだったように見えます。

政治主導には役所の外に専門集団が要る

 この問題に拍車をかけたのが「政治主導」の政治スタイルでしょう。官僚組織がつくった政策を丸呑みするのではなく、政治家が主導権をもって政策を作っていく。それはいいとしても、だからといって官僚組織がためこんでいる情報をムシするとしたら、それは大損です。

 例えば普天間移設先の再検討で、岡田外務大臣(当時)が最初に出されたのは「嘉手納統合案」でした。過去に日米間で検討され、現場の不都合からボツになったアイデアです。にも関わらず、何らの新材料もなしにこの案を提示したということは、その時点で外相は過去の細かい経緯を外務官僚から聞いてなかったか、聞いても信じていなかったのでしょう。そのために上手くいくはずもない案を掲げることになりました。

 外相はそれからまもなく国外・県外移設の困難さを理解されたようでしたが、このように官僚組織をうまく扱えていないと、政治を進めるのは難しいでしょう。かといって官僚組織の言いなりでも弊害が多い。よって役所の出した「プランA」を検証でき、かつ独自にマトモな「プランB」を作れる、役所以外の知恵袋が必要になります。

 下記の記事はこれをうまく指摘していると思います。

民主党政権に代わり、「脱・官僚」を掲げて、政治家が従来以上に官僚と「対立関係」になってしまうと、官僚の専門知識を利用することができなくなってしまう。外から見ていると、「テクニカリティ」の部分と切れてしまった素人の政治家を操ろうと、いろいろやっている人々が群がっているように見える。


……本来であれば、政治家が自分なりの判断を下すための、官僚でない、プロフェッショナルな「ブレーン」が必要なんだろうな、と思う。


……政権交代が数年ごとに起きるアメリカでは、政治家サイドの「テクニカリティ」を担うプロの一群が存在する。例えば、連邦通信委員会FCC)では、FCCプロパーの職員とは別に、「委員会」があって、運営は委員会の多数決で決められるが、この委員は5人いて、そのときの大統領と同じ党の委員が過半数の席を得ることができる。


こうした専門家は、政権が代わると辞めるので、出たり入ったりする「リボルビング・ドア(回転ドア)」などと揶揄されるが、日本ではそういう立場の人がいるのかいないのか、いても少なすぎる気がする。


……政治家自身に、個別事項についてそれだけの知識を求めることは無理なので、「回転ドア」のブレーンがそれを助ける必要があるだろう。


政権交代が適切な形で根付くためには、そうした仕組みもある程度必要なのではないか、と思う。そしてもちろん、その場合は、誰がどういう立場で誰にどういう影響を与えているのか、という点が公表されている必要がある。

政権交代と回転ドアの「ブレーン」 - Tech Mom from Silicon Valley

 大学、企業、シンクタンクらにそういった「政策知識人」がプールされていればこそ、政権交代、政治主導もうまく行くというものです。しかしその人材層が日本では少なすぎるのではないか、という議論です。

 防衛政策について言えば、防衛戦略を作るには、軍人と文民がコラボレーションする必要がある、と言われています。リチャード・ベッツは「戦略を練る際には政治に詳しい軍の士官だけではなく、軍事に詳しい民間人が必要になる」と述べています。軍も一種の官僚機構ですから、そこ任せにすると視野が狭くなったり、事なかれ主義に陥ったり、政治目的からの逸脱が起こったりしかねません。だから政治目的に沿った防衛戦略を作るには、軍民のコラボレーションが大事だ、というわけです。それには民間にも軍事のわかる専門家を一定数は養成し、大学やシンクタンクにプールしておくことが前提になります。

防衛分野に限らず、政策知識人が足りない?

 日本にはこの類の政策知識人が足りない、とは防衛分野以外でも聞かれます。例えば経済政策です。「世界一シンプルな経済入門 経済は損得で理解しろ! 日頃の疑問からデフレまで」などで注目を集めている経済学者の飯田泰之氏は、インタビューでこう述べています。

日本って、びっくりするぐらい人間(ひと)がいないんです。政策論といわゆる政策立案指導ができる学者はほとんどいない。


はっきり言って僕は研究業績にたいしたものはないんですよ。だけれども、もっと研究業績がある人はすごい理論的なことをやっているので、実際の政策立案指導って出来ない。だから僕ばっかりに仕事が回ってくる。


これは危機的で、はっきり言って、僕は海外、アメリカに行ったら専門家としての仕事があるかどうか怪しい。……アメリカだと学者のかなりの割合が政策立案系なので、質もものすごく高いんです。それに比べると日本には人材が全然いない。

談話室沢辺 ゲスト:飯田泰之 実践派エコノミストが提案するベーシック・インカム | ポット出版

 これが事実であれば、他の分野、例えば社会保障とか教育の政策立案でも、近い事情はあるのかもしれません。ただ他の分野の事情や、政策立案過程については私はよく知らないので何とも言い難いところではあります。ただし英米に比べて役所以外、大学やシンクタンクでの政策立案能力が低いことは恐らく確かでしょう。

 また、一党独裁の中国でも、政策提言ができる専門家を増やしているそうです。政権交代の有無にかかわらず、政策立案・提言ができる人材が多ければ、実行される政策の質は高まるのでメリットがある、ということでしょう。

欧州連合(EU)職員のマーク・レオナルドは著書『What does China think?』の中で、中国がグローバル戦略の構築力を身につけてきている背景には、シンクタンク力の強化があると指摘している。


例えば、北京にある中国社会科学院では約4000人の研究者が法律、経済、外交、対外貿易、哲学、歴史、文学など多面的な研究を行い、政府に対して政策提言を行っている。  


また、国家発展改革委員会の傘下にマクロ研究院が設置され、9つの研究所と研究センターが設けられている。さらに、国務院の直属のシンクタンクとして国務院発展研究センターがあり、直接、政策立案に携わっている。

日中で差が開くシンクタンク力 (2/3)

 日本にもそのような政府傘下の研究機関はいくつもありますし、民間でも小規模なシンクタンクは増えつつある気がします。また政党がシンクタンクを持とう、という動きも既に着手されています。しかしまだまだそれら自体も、それらを活用する文化も発展途上、という感じでしょうか。

 このような状況を見ますと、政治家が役所の外に、まともで組織だったブレーンを持ち、満足に政治主導をやれるのはまだ先になりそうな気が致します。こういった観点からすれば、菅首相が政務担当の秘書官に、気心の知れた現職官僚を登用する(読売6/7)というニュースは興味深く聞こえます。併せて、あまり層があつくないとはいえ、皆無ではない政策志向のまともな専門家を個人的に登用し、役所の政策を吟味させることも欠かせないでしょう。横で眺めているならともかく、ひとたびテーブルに着けば、まずは配られたカードで勝負するしかないのですから。

 ただし長期的な取り組みとしては、少しずつ政策知識人のプールを増やし、使う文化を育てていくことが肝要でしょう。

お勧め文献

Strategy in the Contemporary World: Introduction to Strategic Studies
戦略研究の教科書です。文中で引用したベッツの言葉はここから。
網羅的でまとまっていて、勉強になります。