2015年5月9日のNHKスペシャルは「沖縄返還」をとりあげていました。沖縄返還を成し遂げた佐藤栄作首相の秘書官が私蔵していた史料をとりあげ「核抜き、本土並み」の返還を目指した交渉の一端を明らかにしています。
沖縄返還時に問題になったのは、在沖米軍基地と、そこに配備されていた核兵器の扱いです。本番組の内容を抜粋しつつ、ちょっと言い足りないなあと思った部分を勝手に補ってみます。
沖縄返還の条件
沖縄返還を実現するには、条件がありました。日本とアメリカの両国が軍事的に損をしない形で返還を実現する、ということです。佐藤首相は米側のハリー・F・カーンと交渉する中で、こう述べたそうです。
沖縄の祖国復帰を1日も早く実現したい。しかも日本の安全をいささかも弱めないで解決する方式があるか、その方式は何かということだ。
(佐藤栄作 1963.12.9 ハリー・F・カーンとの会談)
沖縄は日本に返還されなければなりません。同時に、日本は日米安全保障条約と在日米軍にその安全を依存しています。沖縄返還によって東アジアにおけるアメリカ軍の展開能力が損なわれると、地域の平和が脅かされ、めぐりめぐって日本の安全も損なわれます。
よって、安全保障と沖縄返還をどう両立させるかが問題でした。
沖縄の米軍基地は何のためにあったか
ハリー・F・カーンは、佐藤首相に対してこう述べたそうです。
米国にとって日本本土及び沖縄の基地は、基本的に朝鮮半島での事態に対処するために必要なのだ。朝鮮半島における事態に対処する戦略的な根拠地はホノルル、あるいはグアムだが、米国を支援する後方基地として、日本と沖縄の果たす役割は絶対だ。1963.12.9 ハリー・F・カーン
北朝鮮と韓国の戦争が再開すれば、沖縄を始めとする米軍基地から出動する米軍は、韓国の滅亡を防ぐ最後の盾になります。
この会談からわずか13年前におきたのが1950年の朝鮮戦争です。その時、韓国の首都ソウルはまたたくまに陥落し、朝鮮半島南端まで追い詰められました。米軍を始めとする国連軍が必死で防戦しなければ韓国は滅亡し、いま朝鮮半島はその全土が金正日の銅像を拝む国になっていたでしょう。
その防戦の後方拠点になったのが日本列島です。沖縄返還によって米軍の作戦能力が低下すれば、北朝鮮は今度こそチャンスと思って、再び南進を企むかもしれませんでした。
沖縄返還の代償
また、当時の沖縄には核兵器が配備されていました。核兵器を置いたまま沖縄が返還されれば、非核三原則の「持ち込ませず」に背きます。強い反核兵器の国民感情を考えれば、沖縄返還時には核兵器を撤去してもらうべきでした。
しかし米軍としては、せっかく配備した兵器を撤収したら抑止力が低下してしまうから、何か代わりの手段が欲しいところです。
そこで、69年の会談で、佐藤首相はこう言ったそうです。
朝鮮半島情勢に対処するためには、何も沖縄に核を置く必要はないだろうし、むしろそのような核なら韓国内に置いたら良いだろう。
もっとも、そういう事態が発生したら、米軍は、日本本土の基地を使えば良いのだ。その結果、日本が戦争に巻き込まれても仕方がない。
1969.2.28 佐藤栄作 ハリーカーンとの会談
朝鮮戦争が再開したら、日本本土の在日米軍基地も展開拠点として提供するから、沖縄の基地にこだわる必要はない、ということです。
これは1960年代当時には、ひどく踏み込んだ発言でした。当時の日本は日米関係を「軍事同盟」だと公言することすら、政治的に困難な時勢でした。そんな中でいまでいう「周辺事態」にまで踏み込むことは、政治的に危険極まりない発言です。
佐藤はさらに続けます。
朝鮮半島で米国が出なければならないような事件が起こった場合、日本がそれに巻き込まれるのは当たり前だ。
このこと自分の口から言うのは初めてだ。国会でも、もちろんこんなことを言ったことはないし、絶対に口外しないで欲しい。
1969.2.28 佐藤栄作 ハリーカーンとの会談
第二次朝鮮戦争のように、東アジアで米軍が介入せざるを得ない事態になれば、日本は沖縄に限らず米軍基地の使用を認めることで、アメリカに協力する。その結果、日本が攻撃されても仕方がない、という判断です。
米軍に展開拠点を提供するという負担を、沖縄だけでなく、本土も分担することを申し出たのです。そうすればアメリカが沖縄にこだわる必要は低下します。そのかわり、本土が第二次朝鮮戦争に巻き込まれることになるというリスクと引き換えです。
沖縄だけが負っていた潜在的な危険を本土も分担することで、返還を実現しようとしたのです。
沖縄の核兵器はなぜ不要になったか
ところで佐藤は「朝鮮半島情勢に対処するためには、何も沖縄に核を置く必要はないだろう」としています。Nスペでは触れられていませんが、この佐藤の認識は誤りです。沖縄の核兵器は朝鮮戦争の抑止というだけでなく、中台戦争の抑止という意味合いもあったからです。
当時の沖縄に配備されていたのはMk-6とMK-39という二種類の核爆弾と、「メースB」と通称される地対地巡航ミサイルです。核爆弾の方は爆撃機に積むことで、容易に朝鮮半島にも投入できます。しかしメースBの方は地面から発射するミサイルですから、容易には移動できず、朝鮮は射程外です。
メースBは明らかに対中国用でした。1958年の台湾海峡危機、中国と台湾の間で戦争が勃発しそうになったことを契機として、中国を抑止するために配備したものです。
これが沖縄返還のときに撤去されたのは「本土の基地も使用することを日本が認めたから」では説明がつきません。中国に対して使用するなら、沖縄よりはるかに台湾海峡から遠い本州の基地は利用価値が低いからです。
この点を解消したのが「核持ち込みの密約」と、軍事技術の発展です。詳しくは過去の記事で書きました。
潜水艦から発射する核ミサイルの信頼性が向上したことで、沖縄のような前方に配備する核兵器の価値が低下してきたのです。
返還の軍事的裏付け
NHKスペシャルでは「東アジアで米軍が戦う際、本土の米軍基地も使って良い」と認め、沖縄の負担を本土で分け合うも分け合うという佐藤の提案を取り上げていました。
核兵器の撤去について補足すると、沖縄に配備して意味があるような核兵器よりももっと便利な核兵器が開発されたことが「核抜き」の返還につながりました。
沖縄は軍事的要地であり、沖縄問題にはつねに軍事的背景がまとわりついています。軍事的にプラスであるか、少なくともマイナスではない方法を選ばないと、政治課題の実現は難しいのです。
この難しさは、返還時に限りません。現代では、沖縄の戦略的価値は大きく変質しています。軍事情勢と、軍事技術が、返還当時とはまるで異なるからです。この差異をよく理解しなければなりません。
一方で変わらないこともあります。色々な制約の中で、妥協を積み重ねながら目的を果たしていくのが、政治の技術だということです。その先例を垣間見られる番組でした。
ご興味の方はNHKオンデマンドでどうぞ。
参考文献
核兵器と日米関係―アメリカの核不拡散外交と日本の選択1960-1976 (フロンティア現代史) (フロンティア現代史)
- 作者: 黒崎輝
- 出版社/メーカー: 有志舎
- 発売日: 2006/03/25
- メディア: 単行本
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沖縄返還に限らず、核兵器と日米関係についてはこの本が詳しいです。