リアリズムと防衛を学ぶ

本の感想などを書いています。

僕らはいつも戦争の間に生きている(戦間期に関する随想)

 いま私の中で空前の戦間期ブームが到来。関連する本をぼつぼつと読んでいます。

  これが諸雑誌を猟歩して研究動向を調べているのだったら、あー勉強してんだなというところですが、さに非ずで。新書とか古い本とかを趣味的にめくって、連想を働かせているばかりです。

 こんな時のためのブログであり、思うところをエッセイ風に書き散らしてみるのが本稿。たぶん長くなる上に、厳密でも新奇でもない。書く方もそういうつもりでいるのだから、お読み下さる向きも、何かタメになるとか、ゆめゆめ期待してはいけないのです。

戦間期のどこが面白いのか

f:id:zyesuta:20141014233402j:plain(パリ講和会議の4巨頭)

 戦間期とは、第一次世界大戦の終わりから第二次世界大戦の始まりまでの、おおよ20年間のこと。両大戦間期、Inter-war-Period、というわけです。

 「集団的自衛権の起源と戦争の克服」では、19世紀、第一次大戦、第二次大戦、そして冷戦までの流れを駆け足で追いました。人類は戦争をどう克服するかという試みを色々に試してきたのですが、そのキッカケとなったのは何と言っても第一次大戦。

 第一次、なんて付くのはむろん、後講釈。第二次が始まるまで、それは唯一のものであり、「世界戦争」とか「欧州戦争」とか呼ばれました。あるいは単に「戦争」と。なお、それ以前に同じように呼ばれたのはナポレオン戦争だそうです。

 ゆえに戦間期も、今にしてこそ「両大戦の間の期間」として振り返られますが、当時の人にそんなつもりはありませんでした。やっと訪れた「戦後」であり、もう二度と失わざるべき平和だったはずです。でも、それでも世界戦争は再演されてしまいました。

 日本の8月では、よく訳知り顔で「戦争を繰り返さないために、戦争体験を伝えていくのが大事」と言っています。それは大事な営みではあるけれど……二次大戦前の欧州には、一次大戦の地獄を見た人やその家族が、たくさん生きていました。忘れ得ぬ戦争体験を有する世代が、またも地獄を繰り返す方向に、みんなで進んでいったのです。

なぜ。そして、どのように。

その辺りに、戦間期の外交、経済、社会の諸相を見る面白さがあります。

外交ー ヴェルサイユ体制と敗者の椅子

 第二次世界大戦の種子が巻かれたのは、第一次大戦が終わったその瞬間でした。戦後の国際関係を規定したヴェルサイユ条約が、敗者ドイツに対し、あまりにも酷に過ぎました。条約を押しつけた戦勝国の側ですら、後ろめたさを感じざるを得ないほどに。

 それゆえに、条約制定から間がない、混乱中のドイツとまさに融和すべき時期には過酷に接してしまった。敗戦国ドイツと、戦勝国でありながらパリ講和会議の敗者であったイタリアでファシズムが発生。ヒトラーがドイツを制した後、まさに強硬に接すべき時期に、欧米は宥和してしまった。

 戦勝国としても、ドイツを国際連盟の常任理事国に迎えるなどして、戦後秩序に彼らを取り込むことに、無為ではありませんでしたが、十分でもありませんでした。敗者に罰を食らわせることに汲々とし、敗者にこそ、いい椅子を用意する努力を欠いていました。

 結果、ドイツらは現状変革国として、国際秩序に挑戦することになりました。いい椅子をもらえないなら、いま座っている奴らを蹴飛ばして、奪うしかないではありませんか。

ナポレオンを救おうとしたメッテルニヒ

 第一次世界大戦のひとつ前の大戦争、ナポレオン戦争にあっては、こうではありませんでした。戦後秩序をつくるために敗戦国・フランスの処遇が極めて重要でした。

 キッシンジャーの名著「回復された世界平和」は、ナポレオン戦争後の国際秩序がいかに形成されたかを描いています。オーストリアの、そして事実上は全ヨーロッパの首相であったメッテルニヒは、侵略者ナポレオンが敗北に瀕するや、彼を守るために同盟軍のパリ侵攻を遅らせています。

 単に勝利しさえすればいいのなら、ナポレオンを滅ぼすことです。ですが勝利以上のもの、戦後の秩序のことを考えれば、フランスを温存せねばなりませんでした。ナポレオンの敗北はロシア遠征の失敗から始まったのであり、戦後、最大の発言力をもつのはロシア皇帝アレクサンダーです。フランス軍を打ち破ったロシア軍は、そのまま西欧に乗り込んできました。中欧のメッテルニヒにすれば、前門の虎、後門の狼です。

 ロシアであれフランスであれ、一国がヨーロッパに号令するような事態は避けねばならない。であるなら、ナポレオンにはフランスに閉じこもってもらい、なお健在であることで、ロシアの一強支配を防いでもらうべきです。

 結局はナポレオンが和平を拒否し、フランスにブルボン朝が戻ったことで、メッテルニヒはブルボン朝を相手に講和を結びました。そしてナポレオンを裏切ったタレイランの活躍もあって、フランスは欧州の大国としての地位を保ちました。

 これにより、革命の子たるナポレオンを除いて、フランスは現状維持側の勢力として、国際秩序に復帰しました。

冷戦後の屈辱とプーチン

 冷戦という三度目の世界大戦、ナポレオン戦争から数えるなら4度目の戦いの後、敗者はどう遇されたでしょうか。メッテルニヒがしたように、国際社会の現状維持国として、満足すべき地位を与えられ、国際秩序に取り込まれたでしょうか。あるいはベルサイユ条約がしたように、懲罰を与えられたのでしょうか。

 冷戦後から、プーチンが立って、原油が騰がるまでのロシアは、恥辱にまみれていました。国内のことについては、エリツィンと彼のアドバイザーたちが楽観的に過ぎ、資本主義に切り替えれば何もかもうまくいくかのように思っていたことにも責任はあります。

 ただし、国外のことについてはどうでしょうか。冷戦後、NATOはロシアをオブザーバーとして迎えました。別して西欧諸国がロシアを迎える目には、長らく家出していた放蕩息子を迎えるような暖かさがありました。しかし、ロシアへの根源的な恐怖感は残りました。

 同じことをやっても、ロシアがやるのは不正であり、欧米がやるのは正義に叶ったことと見なされました。


6年越しぐらいでコソヴォ独立の因果応報が巡り巡ってる件について

 上記記事で述べられているように、欧米のダブルスタンダードはあまりに露骨であり、ロシアからすれば全く不正なものでした。

 また、08年の南オセチア紛争の際も、先制攻撃をかけたのはグルジアであるにも関わらず、なぜかロシアの方が悪者のように報じられ、欧米ではロシア脅威論が再燃しました。

 「クリミア編入を表明したプーチン大統領の演説」には、長年の恨みつらみ、ロシアをして現状変革国たらざるを得なくした怒りが見え隠れしています。

 結局、勝者が敗者に対してとるべき態度は2つしかないのです。隅にも置かない高待遇で仲間に取り込むか。さもなくば、二度と蘇生できないよう心臓に杭を打ち込むか。メッテルニヒがフランスに対したようにするか、ローマがカルタゴにしたようにするか、です。

 中途半端は禍根を残し、後日の火種をくすぶらせます。

経済ー世界恐慌とファシズム

 火種が育ち、燎原の火となって四囲を焼くには、適切な風を要します。戦間期の世界が、二次大戦への旋回を開始するのは、1929年の世界恐慌です。世界恐慌に端を発する不況は、そのまま資本主義の行き詰まりと拡大解釈されました。

 実際には、恐慌は資本主義のおわりなんかではなく、まともな金融財政政策によって癒すことも、回避することもできたものでした。アメリカにはローズベルト、ドイツのシャハト、日本の高橋是清といった人々が適切な政策をやれば、回復は可能なのでした。日本の例については、下記の本に詳しいです。

 現代においても、リーマンショックの後、「資本主義はもう終わりだ」というような、100年前の発想で書かれた本が恥ずかしげもなく書店に並びました。しかし実際には、バーナンキの適切な政策によって、大恐慌の再来は回避されました。誰もが歴史を学ばないわけではないのです。

 日本は不適切な政策をとり続けていたので、それより遥かに遅れましたが、前掲書の著者でもある岩田規久男教授が日銀の副総裁に就任するといった、嘘のような展開を経て、奇跡のように展望が開けつつあります。

 もっとも、大恐慌期にも、一度は立ち直りかけて失敗したことがありました。早過ぎる引き締め策が、立ち直りかけたアメリカ経済を再びガクンと失墜させました。現代のクルーグマンも、油断はするなと警鐘を発しています。

2008年の経済危機が起こったとき,ちょっとでも歴史を知ってる人なら,誰もが1930年代の再演について悪夢を見た――大不況の深さに関する悪夢だけじゃなくて,独裁と戦争にいたる政治の下方スパイラルについての悪夢もだ.

ただ,今回はちがう:金融恐慌は収束したし,産出と雇用の急落もおさまったし,現代ヨーロッパの民主政治文化は,かつての戦間期よりも強固なのを証明して見せた.よろしい,警戒解除!

――とはいかないかもよ.経済学の観点から見ると,効果的な危機対応のあとに続いたのは,緊縮策への見当違いな切り替えだった.

ポール・クルーグマン「30年代の再演:ヨーロッパは間違った教訓を学びつつある」 — 経済学101

 ファシズムの温室

  人間、うまくいかないと、他罰的になるものです。マイノリティーに、移民に、少数民族に、恨みつらみがぶつけられます。ひとにぎりの悪者に罪を被せられたら、この世はなんと過ごし易いことでしょう。

 一昔前には考えられなかったような言辞が、雑誌や街頭で見られるようになり、それをやや薄めたものが大衆化したとき。個人としては善良な人がなにげなく差別を容認し、平穏な人生を願う市民が心から戦争を支持するようになったとき、国家の進路は狂います。

 ファシズムが興隆を軸にして戦間期の後半を描いたのが斉藤孝著「ヨーロッパの一九三〇年代」です。

「決断」や「行動」への憧れ、力強い集団への埋没などといった気分が大衆をファシズム運動に駆り立てたのであった。…ファシストを本来的な性格異常者や街頭の無法者とだけ見てはならない。

 

そのような分子は確かに存在していたし、それがファシズムのファシズムである所以となっていたが、しかし、それなりに正義感のある青年や平凡な小市民も、ファシズム運動に参加したのであった。(p32)

 祖国は国外から抑圧され、自分は国内の不景気によって抑圧されている。となれば、自己を偉大な祖国と自己を一体化させることで精神的に、体制変革を期待することで物質的に、うまくいかない人生を救ってやらねばなりませんでした。ナショナリズムと体制変革運動を結ぶところに、ファシズムは帆をあげました。

 本当に必要なものは差別や戦争ではなく雇用と安定、それらの原資になる経済成長と再配分、それを可能にする適切な政策をもつ安定政権だったはずなのですが。安定できそうな政権の選択肢の中で、共産主義よりはマシに見えたのがナチスでした。

 

国際秩序の崩壊

  第一次世界大戦の痛みを経て発足した国際連盟は、30年代から試練に晒されました。イタリアが無法にもエチオピアを攻めたとき、国際社会は為すところがありませんでした。遅れて出した調停案は事実上、イタリアの侵略に報酬を与えるようなものでした。何より、調停が連盟ではなく、英仏の大国政治の立場から出されたことは、連盟で紛争を解決するという仕組みが、大国による侵略に対しては機能しないことを示していました。

  侵略をしても制止されることはなく、対した罰を受けることもないと、そう実証されてしまったのです。ならば、現状に不満を抱き、変革を志す国にとっては、やらねば損というものでした。

 いまこそヴェルサイユ体制下で散々に味わった屈辱をはらす時であり、不況で溜め込んだ市民の不満を発散するときであり、独裁政権がその力強さを内外に示すときでした。

「ウクライナを助けて!」くれない世界の現状

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 この写真はロシアの侵攻に際し、国際社会に向けて「ウクライナを助けて」とアピールするキエフの市民たちです。2014年、ロシアは「謎の武装集団」や「休暇中に個人の意志で行動している兵士たち」をウクライナに送り込み、クリミアを切り取り、東部を影響下に収めました。これは、あるいは蟻の一穴ではないでしょうか。

 戦間期の前半において、人類は国際連盟や軍縮条約により、世界平和のために色々な努力を積み重ねました。それは小規模な紛争においては、有効に働いた例もありました。

 しかし、戦間期の後半。一旦、日本やイタリアが行動をおこしたとき。新しい国際秩序は、力の裏付けを欠いていることが暴露されてしまいました。そして本命の現状変革国たるドイツが動きだしたのです。

 2014年現在、アメリカが死活的利害を有しない地域では、何をやっても大した罰を食らわないことが暴露されています。シリアでは独裁者が10万を越える人々を死においやり、レッドライン上でダンスを踊っています。ウクライナでは、軍服の国籍さえ隠したなら、レッドラインどころか国境線を踏み越えても、せいぜいが経済制裁くらいしか食らわないことが露見しました。

 力なき秩序は共有された幻想であり、それが幻想であると暴露されたとき、音も無く力を無くすものです。つまり、誰かが叫べばいいのです。「王様は裸だ!」と。

 クリミアは、あるいはその転換点ではなかったでしょうか。やがて不況や体制の動揺によって、次の戦争の主役が動き出すことを、誰か止められるでしょうか?

現在は次なる戦争への合間である

 「戦争が平和の合間に起こるのであろうか。それとも平和が戦争の合間に訪れるのであろうか」と嘆じたのは、ヴェルサイユ条約時にフランスの首相であったクレマンソーであるそうです。

 国際関係論において、(消極的)平和とは「戦争が無い状態」と定義されます。そして人類は今のところ恒久平和を実現しておりませんし、今後の数百、数千年をかけてもまだ達成困難なように思われます。

 ということは、いま私たちが享受している平和も、いつかは次なる戦争によって破られるでしょう。「いつか」を無限に設定すれば、これはほとんど確実な予言です。人には寿命があり、平和には終わりがあります。

 これを否定する者は、想像力に欠けた者だけでしょう。過去に起こったことは、形を変えて、未来に再び起こり得ます。今日の他国で起こっていることは、いつか自国に襲いかかっても不思議はありません。

 だからこそ、人は現在の平和を保ち守るために、努力を惜しむべきではないのです。以前に書いたように、例え時間や地域を限定された平和であっても、少しでも長かれ、少しでも良かれと努めることは、決して無意味ではないはずです。

 このように考えれば、私たちはいつだって戦争の間に生きています。過去の戦争と、未来の戦争の間に。その意味で現代もまた、一つの戦間期ともいえるでしょう。どうやらその辺りに、両大戦の短い合間の期間の、不思議な魅力があるようです。