- 作者: A.J.P.テイラー,古藤晃
- 出版社/メーカー: 新評論
- 発売日: 1982/08
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拙ブログではこの著作の記述を追いながら、4つの戦争を概観してきました。今回で最終回です。折りしも今日、日本時間12月7日は太平洋戦争が始まった日です。戦争と平和に思いを馳せるのに悪くない日でもありましょう。まずはこれまでの連載を少し振り返ってみます。
- 政治家による戦争
- 市民による戦争
- 軍隊による戦争
- ヒトラーはなぜ進軍したのか
- 真珠湾攻撃の日にヨーロッパで起こったこと
- 第三次世界大戦は起こるのだろうか?
- 戦争を先送りにする努力
- 限定された平和であっても、それを求めるということ
- シリーズ「戦争はなぜ起こるか」
- その他の関連エントリ
- お勧め文献
政治家による戦争
かつて戦争と軍隊は王様や貴族のものでした。血統で選ばれた貴族ではなく、選挙で選ばれた人民の代表が政治をするようになれば戦争なんかしないであろう、と、そのように考えられたこともありました。
ところが実際に革命が起こって、王様をギロチンで殺し、人民を代表する政治家が権力を握るようになっても、戦争はなくなりませんでした。それどころか革命政権の是非をめぐり、かつてない大戦争が起こりました。フランス革命戦争です。革命政府の政治家たちは、反動的なほかのヨーロッパ諸国に対抗し、そればかりかそれらの国々を「解放」、つまりは侵略によって体制転換してしまおうと試みました。
しかもその戦争は、国家の体制を賭けた全面戦争となり、かつてないほど多くの国民を巻き込みました。王侯貴族のためではなく、市民一人一人の権利を守るという名目の戦争なので、一般市民までが望んで兵士となり、力の限り戦ったからです。
政府と軍隊を、王様ではなく、議会の政治家が主導するようになっても、それによって戦争を無くすことはできませんでした。むしろ市民が権利を得るようになってから、戦争はより熾烈なものに変わってしまいました。
市民による戦争
さらに時代が下ると、今度は政治家どころか一般の市民たちが国家を戦争に押しやるようにまでなります。発達したマスメディアが戦争を後押しし、ふつうの市民が強く戦争を支持したクリミア戦争です。
イギリス全土で抗議集会がもたれ、戦争が叫ばれた。ここにヨーロッパ史上まったく目新しいことが起きた。この時初めて、世論というものが大きな役割を演じたのである。
…クリミア戦争はまさに、新聞に加勢された最初の戦争であった。…特にタイムズ紙は世論を誘導し、ロシアは単にトルコを侵害し打破しようとしているだけでなく、ヨーロッパの専制君主たらんとしている、と世論を信じ込ませていたのである。
*1
国家が市民のものになったとき、当の市民が強く戦争を望めば、止める力は誰にもありませんでした。当時のイギリス首相は戦争に反対していました。それなのに結局は開戦に踏み切ります。首相が平和を望んでも、市民たちが熱狂的に戦争を支持したら、どうにもならなかったのです。
軍隊による戦争
軍隊は国民の道具です。ですが国民が軍隊をうまく扱えないとき、軍隊は国家防衛という自らの義務を果たそうと、ほとんど自動的に動くことがあります。
第一次世界大戦が勃発したとき、国家のすべては軍隊の計画にあわせて動かされました。その計画を作ったはずの軍隊ですら、逆に戦争計画にふりまわされていました。ほんのささいな軍事技術的な問題が、国家全体を振り回して世界大戦へ突っ込んだのです。
技術的なこと以外は何ひとつ重きをおかれていなかった。ロシアが動員するなら戦争を始めなければならぬ――それだけであった。*2
そして史上初の世界大戦が起こりました。百や千という単位ではなく、百万、千万という単位で人間が死ぬことになりました。
ヒトラーはなぜ進軍したのか
それらの戦争が開始されたとき、政府や軍隊、そして国民の頭の中にあったのは「たぶん勝てるだろう、勝てば利益を得られるか、不利益を免れることができるだろう」という楽観だったようです。
第一次世界大戦で地獄をみた、そのわずか数十年後に起こった第二次大戦でも似たようなものです。ヒトラー率いるドイツはソ連に侵攻して、手痛い目にあいます。なぜそんな無謀な遠征を行ったのでしょう。テイラーは言います。
記録を見れば、対ソ戦の開戦が決定された理由は明らかである。ドイツの将軍たちもヒトラーも自国の勝利にわずかの疑念も抱いていなかった。それならばなぜ進軍しないのか。実に簡単極まりないことであった。*3
ヒトラー以外の、戦争を開始した政治家、軍隊、市民たちもまた「勝てるだろう」と思っていました。あるいは、勝つだろう、負けるだろう、などと判断できないほど軍事に無知でした。
真珠湾攻撃の日にヨーロッパで起こったこと
太平洋戦争の日本もまた、一部を除いて、国民の多くに「神国日本は必ず勝つ」という無根拠な思い込みがあったようです。また冷静に戦争計画を立てておくべき軍隊にさえ、まともな戦争終結プランはありませんでした。
そこにあったのは「ヨーロッパでドイツが勝てばアメリカは講和に応じるだろう」という恐ろしく他人任せな願望、それだけでした。そんな都合のいい見通しで始められた太平洋戦争は、真珠湾奇襲の大成功でスタートします。
ですがまさにその日、ヨーロッパにおいては、必敗の運命が明らかにされつつありました。
一九四一年十二月七日、日本は真珠湾攻撃を決行した。…十二月七日にはソ連軍がヨーロッパの東部前線で反撃に転じていたのであるから、日本は時機を完全に誤ってしまったわけである。*4
日本の戦争終結計画は「ドイツが勝つ」ことを前提として対米戦にうってでました。その開始たる真珠湾攻撃と同じ日に、その前提が崩壊を始めていたのです。
第三次世界大戦は起こるのだろうか?
これまで見てきたように、国を動かしているのが政府であれ、軍であれ、国民であれ、その国が「勝てる」と判断する限り、戦争はいつでも起こりうるように思われます。
だからほとんど国は、自前の軍隊をもっています。自国への侵略を予防するためです。これを「抑止」といいます。
国際社会の平和、その根元は抑止によって支えられています。第二次世界大戦が終わって以降、三回目の大戦は(冷戦をそれとみなさないなら)まだ起こっていません。それは核戦力を含む軍備が世界大戦を抑止してきたためだといわれています。
しかし、だからといって、完全に戦争を防ぐことは到底できないでしょう。実際、抑止を含むあらゆる努力は、これまで何度となく破綻してきました。テイラーは遠慮がちに、こう言ってます。
「第三次世界大戦は起こりますか」ときかれたら、「人間の行動様式が過去も未来も変わらぬものであれば、第三次世界大戦は起こるでしょう」と私は答えよう。
…個人的な考えを述べるならば、第三次世界大戦は起こりそうもないことではあるが、それでいて、やはりありうることだと思う。抑止力は、いつの日かその機能を果たさなくなるものなのだ。*5
戦争を先送りにする努力
このテイラーの考えには「戦争は起きるときには起こるものだ」というある種の諦めがみてとれます。私も彼に賛成です。
ですが「抑止はいつか破綻するし、その時は戦争が起こるだろう」と悲観的に考えることは、しかし、「だから戦争は防げないのだ」と投げやりになることとは違います。
抑止はいつか破綻してしまうでしょうし、それどころか今日この時だってちゃんと機能しているかすら、はっきりとは分かりません。ですが、抑止を土台とする努力が戦争の予防に有効だということは否定しがたいことです。
この世から戦争を無くすことはできないとしても、今日それが起こる蓋然性を引き下げることは可能なのです。たとえいつの日か戦争が起こるとしても、その日を先送りすることはできるのです。
限定された平和であっても、それを求めるということ
もちろん、その種の努力によって世界が全て平和に保てたわけではありません。大戦は起きなくとも地域限定の戦争は頻繁に起こったし、今でも世界各地で続いています。またいつの日かはあらゆる努力が破れて、第三次世界大戦すら起こるかもしれません。人間の知恵には限界がありますから、いつの日か致命的な錯誤や不合理をおかすでしょう。
ですが、破局が起こるのが1年後なのか、それとも100年後になるのかは大きな違いです。その間に生涯を終える数十億の人びとにとっては、ほとんど絶対的な違いだといっていいでしょう。地域や期間を限定された平和であっても、そこで暮らす人びとにとってはこの上なく貴重なものです。
その平和は、決してユートピア的なものではありません。笑顔で握手しながら、テーブルの下では銃をもっていて、互いにそのことを承知なのです。それが国際社会の常態です。
現在、国際的な緊張というものは、人びとが想像するほど異常なものではない。実際のところ、主権国家間の正常な関係とは、相互に不信を抱き互いに対立する野心を追及することなのである。*6
そのように不信と不安定に満ちた国際社会で、あるいはいつか破綻するのだとしても、不安定の中のバランスを絶えず希求し、戦争を果てしなく先送りしていくことが、限定された平和を維持する恐らく唯一の手段なのです。
シリーズ「戦争はなぜ起こるか」
「戦争はなぜ起こるか」 1 フランス革命戦争の場合 - リアリズムと防衛ブログ
戦争はなぜ起こるか2 マスコミと戦略が起こしたクリミア戦争 - リアリズムと防衛ブログ
戦争はなぜ起こるか3 普仏戦争の場合 - リアリズムと防衛ブログ
戦争はなぜ起こるか4 時刻表と第一次世界大戦 - リアリズムと防衛ブログ
お勧め文献
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