フォーリンアフェアーズはアメリカで発行されている国際情勢の専門誌です。世界的な権威のある雑誌で、特にアメリカの外交政策には少なからぬ影響力をもつと言われています。掲載された論文の中でものすごく有名なものは、冷戦中のアメリカの戦略に影響を与えたケナンの「X論文」、大論争を呼んだハンチントンの「文明の衝突」などがあります。
日本語版2015年3月号では、ギリシャおよびEUの経済危機について多くの論文が寄せられています。その中で日本の経済政策がほとんどお手本のように取り上げられる、という珍しい状況になっているので、紹介します。
緊縮財政が民主主義を脅かす(Austerity vs. Democracy in Greece)
まず1本目の論文。ギリシャでは急進左派連合が選挙に勝ち、EUから押し付けられた過酷な財政緊縮政策に反対姿勢をとっています。緊縮財政で不景気が長引き、失業が増え、苦しめられた有権者の怒りの表れです。
不景気が長期化すると、中流階級が没落し、貧困層が増えます。特に若者の失業率があがり、未来に希望を持てない生活を強いられた若者は、とにかく何かを変えてくれそうな決断主義的な政治運動に飛びつき易くなります。ナショナリズムや民族差別が高揚し、極右または極左が台頭し、政治的危機が生じます。同じ現象は、ギリシャほどではないにしろ、緊縮財政をとっているEU加盟諸国でも避けられないだろう、と論じています。
急進左派連合の勝利は、他のヨーロッパ諸国に二つの教訓を与えている。一つは15年も続くリセッションを支持する有権者など誰もいないこと。
もう一つは民主主義と「金本位制」のような現在のヨーロッパシステムを両立させるのが不可能であることだ。ヨーロッパは程なく、このどちらかを選ばざるをえなくなる。実際にはそうでないと信じているフリをしているが、ユーロは(本質的に引き締め圧力をもつ)金本位制のようなもので、ここに悩ましい部分がある。(p87)
著者のマーク・ブリスとコーネル・バンが何を言っているかというと、要するに「ヨーロッパの経済が泣かず飛ばすなのは、ユーロのせいだ」ということ。ユーロは、通貨が不足しがちになる金本位制のようなもので、デフレ不況を招きがちだ、ということです。
なお、なぜユーロがそんな困った害を招くかについては安達誠司著「ユーロの正体」が詳しい上にわかりやすいので猛烈にお勧めです。
論文に戻ると、著者は次にインフレとデフレのそれぞれの害悪に触れます。
インフレは…特定の社会階層に重くのしかかる税金のようなものだ。資産、特に現金や証券類を多く保有する人々は他の集団よりも多くを短期間で失い、政府に対応を求めるようになる。…
デフレはこれとは別の問題を作り出す。…どの程度の資産をもっているかに関係なく、誰もがダメージを被る。
雇用を例に考えてみよう。デフレという環境下、労働者が賃金の引き下げを受け入れ、雇用を維持するのは、個人的には合理的な判断かもしれない。
だが集団的にあらゆる労働者が同じ決断を下せば、消費が大きく後退する。雇用主は労働力を安価に使えるが、製品需要も低下する。
このため企業は価格を引き下げて販売増を試みる。だが、多くの企業が集団的にこのやり方をとると、価格をさらに引き下げざるをえなくなる。
こうして経済が縮小しているにも関わらず、相対的に実質賃金が上昇し、結局はさらなるレイオフが行われる。
このような世界では、誰もが敗者となり、血を止めるために国に介入を要請し、最終的に願いは聞き入れられる。1930年代にはそうなったし、現在、その方向に向かいつつある。(p88-89)
1930年代にも、長引く不況がナショナリズムと差別主義を呼び起こし、マイノリティーが迫害され、 過激思想が台頭し、誰もが右手を上げて敬礼するような社会が生まれたのでした。
現在の欧州も、極右と極左が台頭し、移民やイスラム教の排撃をとくナショナリズム政党が支持を集め、ユーロと欧州連合に反対が強まっています。
欧州連合を崩壊から救うには 緊縮財政から欧州版3本の矢へ(Europe Reborn)
二本目に紹介するのは、そんなヨーロッパを再生させる方法を説いた論文です。欧州の政治を救うには、欧州の経済を救わねばならず、そのためには緊縮財政を終わらせ、景気刺激策に転換しないといけない。人物でいえば、ドイツ首相メルケルの路線から、欧州中央銀行総裁ドラギの路線への転換です。
メルケルを筆頭とする緊縮財政支持派は、ヨーロッパが金融的安定を取り戻すには財政規律を強化するしかないと考えている。だがこの路線は、高止まりした失業率、危険なまでに低いインフレ率などの副作用を引き起こしている。
ヨーロッパの指導者の多くは、むしろ経済を刺激したいと考えている。
この新たに形成されつつあるコンセンサスを主導する象徴的な人物が、欧州中央銀行のマリオ・ドラギ総裁だ。2014年8月、ドラギは主要国の中央銀行総裁たちを前に「ヨーロッパ諸国は停滞する消費と投資を刺戟するために中央銀行と協力する必要がある」と語っている。一部の人が「ドラギノミクス」と呼ぶこの路線は次第に支持を集めている。(「欧州連合を崩壊から救うには 緊縮財政から欧州版3本の矢へ」p78)
ドイツのメルケル首相は、強力な指導力を発揮してEUの牛耳を取り、加盟国に緊縮財政を押し付けてきました。しかしその方向性は、 害悪を生んでいる、と著者のマティスとケレメンは論じています。
あまりに厳格な緊縮財政路線は経済状況をさらに深刻にする明確な証拠がある。むしろ、深刻なリセッションに対しては景気刺激策をとった方が、はるかに経済を刺激できる。
緊縮財政を提言する傾向のある国際通貨基金(IMF)でさえ、2012年の世界経済アウトルックで「EUの緊縮財政路線はあまりにドグマティックだ」と批判し、2013年にも「あまりに低すぎるインフレ率が失業問題をさらに深刻にし、貧困層への圧力をかけ、結果的に所得格差を拡大している」と警告している。(「欧州連合を崩壊から救うには 緊縮財政から欧州版3本の矢へ」p80)
具体的には日本を見習え、と説いています。
緊縮財政を退けるために、EUの指導者たちは日本の安倍晋三首相が試みている「3本の矢」に目を向け、量的緩和、景気刺激策(短期的措置)、構造改革(長期的措置)を組み合わせて実施すべきだろう。
すでにドラギ総裁は金融政策領域で第1の矢を実質的に放っている。(p81)
世界経済アップデート「ヨーロッパの量的緩和と政治的支持」
3本目は論文ではなくディスカッションです。元アメリカ財務省長官顧問のルイス・アレクサンダーらが、世界経済のさまざまな現状を語っています。その中の一幕。
ヨーロッパではドラギ総裁が量的緩和に乗り出したけれども、うまくいくだろうか、遅きに失したのではないか?という問題について。日本と比較して論じています。
マラビー …日本の場合、アベノミクスが開始された当時の量的緩和は成功した。中央銀行がバランスシートの規模を倍増させるというコミットメントはある程度の効果をもたらした。問題はその後、消費税率が引き上げられ、景気回復への障害が作り出されたことだ。
つまり、ヨーロッパでの量的緩和のタイミングが遅かったとしても、日本のように中央銀行が政府による適切な政治的支持を確保しているのなら、市場に影響を与えることができるかもしれない。
問題は、ヨーロッパに安倍首相に相当する政治指導者がいないことだ。ドラギECB総裁への政治的な支持が見当たらない。(p47)
ドラギ総裁がいくら頑張っても、日本と違って後ろから支えてくれる政治指導者がいないことには、うまくやれないだろう、ということです。
緩和策に反対の政治指導者たちに背中を撃たれそうでは、思い切って量的緩和をやることができないでしょう。するとコミットメントが弱くなり、市場から「どうせ、すぐ止めて引き締めに転じるんだろ」と足元を見られ、期待を形成できません。
面白いのは、そのような悪例もまた、日本であることです。
アレクサンダー その見方に同意する。…日銀は、15年以上前、速水日本銀行総裁のもとで量的緩和を実施したが、当時の日本銀行は可能な限り早い段階で量的緩和を停止したいと望んでいた。日本銀行は躊躇いながら金融緩和を実施していた。
当時と現在の日銀の違いは、黒田総裁が政治的支持の重要性をよく理解していることだ。…ヨーロッパは深刻なデフレ圧力に直面しており、パワフルなコミットメントを示さねばならない。やらなければならないからやる、とか、できる限り早期に停止したいとか、対策を小出しにするような態度を超えた、抜本的な措置を必要としている。(p48)
だからして、ドラギ総裁が安心してタッグを組める、金融緩和策に理解のある政治リーダーがいないとダメだろう、という悲観的な見方になります。
金融政策の効果をよく理解した大統領なり首相なりが、思い切った緩和策をとる中央銀行総裁をバックアップしてやらないと、せっかくの量的緩和もコミットメントが弱くなり、市場に信じてもらえない、ということです。
消費税増税で景気回復を阻害した点を除いては、日本がまるきりお手本のように言われていて実に珍しいので、紹介してみました。
ひと昔前まではバーナンキに(日銀の首脳部は)「みんなジャンクだ」と馬鹿にされ、数年前までは欧州に経済危機が起きれば「欧州の日本化を防げ」という風に、悪い例の代表選手扱いをされていた日本でしたが、変われば変わるものです。