極東ブログのfinalvent氏のエッセイ。
国際、国内の政治問題などが多い氏のブログとは異なり、この本は氏のこれまでの人生を振り返る内容です。
人生の各場面でどんなことを考えてこられたのか、出来事や困難をどういう風に受け止めてこられたのかが綴られています。
55歳以下のいろいろな年代の方、人生の各場面をどう受け止めるか、その参考になる本です。
まさしく「考える生き方」
読んでいて思うのは、まさにタイトルのとおり、実によく考える生き方だなぁということ。
何か新規なことがあれば、そのつど考える。それも、きちんと考える。
人間だれでも、考えながら生きています。特に不幸に遭遇したときには。
「なんで私がこんな目に?」 「これからどうしたらいいんだろう?」とか。
finalventさんはそんなとき、とにかく丁寧に考えていらっしゃいます。
大きなことでは、病気っぽくなってみれば自分で医学書を読んでみたり、子どもができたら欧米の医学書を取り寄せてみたり。
沖縄に移住したら果物がいっぱい獲れたから近所に配った、てな小さな事件からも「ふーむ、南国の暮らしの原型ってのは」だとか、
常に普遍的なほうへ考えてゆかれる。
まず科学的な知識を求めて、次に論理的に自分で、きちんと考える。
だから自分の遭遇した出来事から普遍的な知識を引き出せるし、普遍的な知識でもって自分の遭った出来事を分析して受け止められる。
この営みの記録が30年分くらいずーっと書かれていて、なんだかべらぼうに面白いです。
知識への信頼と学問の基礎
なんでこんなにきちんと物を考える人なんだろうと思うと、やはりお若い頃の知的訓練がちゃんとしてるからじゃないのかと。
大学できちんと教養を広く修めて、ものの考え方の訓練をやっておくということ。
大卒の人はべらぼうに多いけど、こういう知的訓練を受けてる人は少ないと思う。
卒業後の就職につながるようなカネになる技芸を仕込む大学が増えつつあるけれど、
そういう技芸はすぐ陳腐化するし、本来は大学でやることではないでしょう。
知識が陳腐化するよりも速く、自分で調べ考え学んでいく、知的トレーニングをするのが本当のはずです。
そういう知的訓練で養われた能力は死ぬまで使えるし、
それがあるとカネにならなくても豊かな生き方ができますよ、とこの本は示してると思う。
みんな似たような道を辿ってく
エッセイ後半の「年をとって考えたこと」という章にこんな一節が。
芸術、あるいは文章というものには、50歳を過ぎてみると、きちんと年齢の刻印のようなものがあることが、しんみりわかるようにもなった。
痛感したのは、私が10代からずっと愛読してきた…著作家である。…彼らが長く生きていたおかげで、その著作の中に、これからの人生の指標のようなものが感じられるようになった。
偉人も平凡人も、みんなご飯を食べて恋をして夢やぶれて年をとって死んでいきます。
だから先人が考えたことというのは参考になります。なるほど人生ってそういうものなのね。そういうこともあるのね、と。
宅の祖父がよく言っていた言葉ですが、「いい本というのは、10年おきに読み返しなさい。若いときに分からなかったことが、分かるようになるから」なのだそうです。
まさにこの「考える生き方」なんかは、本棚にいれておいて、10年ごとくらいにめくってみると、自分の人生に重ねて味わいを感じ、気づくこともあり、指標の一種になったりもする、本ではないかと思いました。