リアリズムと防衛を学ぶ

本の感想などを書いています。

「艦これ」から始まる海軍の歴史

ブラウザゲーム「艦隊これくしょん」が大ヒットしています。 「艦これ」から艦艇に興味をもった方も多いかと思いますので、「艦これ」の時代から現代まで、水上艦艇の戦いがどのように変化してみたかを追ってみましょう。

「艦これ」の時代は来なかった

 

「艦これ」は第二次大戦期の軍艦をモチーフにしています。ゲームバランスは「こうなるだろう」と構想されながら、史実では「来なかった時代」をモデルにしています。

戦争で使われた艦の多くは、 大戦が始まる前にすでに建造されました。太平洋戦争をまだ知らない設計者や軍人が、「次の戦争はこうなるだろう」という予想のもとで作った艦です。

しかし彼らの予想は全て覆され、艦艇たちは思いもよらない戦いに挑むことになりました。

第一次世界大戦の教訓によれば、戦艦を撃沈できるのは戦艦だけ。分厚い装甲と、25ノット(時速46km)以上の速度性能をもち、大きな大砲を一斉射撃できる戦艦です。戦艦こそ、来るべき次の時代の戦争の主役になるはずでした。まず航空偵察で敵艦を見つけ、航空攻撃をかける。夜戦では軽巡洋艦と駆逐艦による水雷戦隊が魚雷を打ち込む。そして最後に頼りになるのはやはり戦艦。

つまりはだいたい「艦これ」のゲームバランスです。だからこそ、「こうなるだろう」という予想のもと建造された艦艇が存分に活躍できるゲームになっています。 ところが、実際には予想された戦艦の時代は来ませんでした。脇役だと思っていた新しい艦種「航空母艦」が全てを変えてしまったからです。

航空機がすべてを変えた

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多くの予想を覆したのは航空機の発達です 軍艦への航空機の搭載は、意外と古い歴史があります。日本では幕末の頃、アメリカの南北戦争では軍艦に気球が搭載され、空から偵察を行っています。

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史上初の艦艇からの離陸 そして1909年11月、アメリカ海軍の軽巡洋艦バーミンガムから飛行機が離陸実験に成功。

後で考えれば、これが歴史の変わり目でした。軍艦に搭載された軍用飛行機。艦載機の誕生です。 艦載機は当初、気球と同様に偵察に使われるつもりでした。戦艦の大砲で敵を狙うため、敵の発見など。戦艦のサポート役でした。

空母の時代の始まり

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ところが技術の発達により、戦艦にも有効なダメージを与えられる爆弾や魚雷が航空機に搭載され、その威力が真珠湾とマレー沖で証明されました。

戦艦大和の主砲弾は最大で約40kmほど飛びました。空母艦載機はその10倍遠くから飛んできました。勝負にならないのは明らかでした。 

そして空母の時代がやってきました。それ以外の全ての艦艇は、巨砲を降ろして対空砲を積み、 魚雷を減らして対空機銃を積んで、空母を守るようになりました。 ですがそんな空母の時代は、瞬く間に過ぎ去るだろう、と思われました。

「核兵器の時代」

1946年、日本海軍の戦艦の生き残り「長門」や、そのほかの無用な艦艇たちがビキニ環礁に集められました。艦艇に対する原爆実験「クロスロード作戦」です。そしてこのようになりました。

Operation Crossroads (Baker Event 1946) - YouTube

次の戦争ではこのような核兵器の投げ合いが起るだろう、と考えられました。実際、アメリカが核兵器を独占していられた気楽な時代は瞬く間に終わりました。

だとすれば次の時代の戦争において、空母はもとより、水上艦隊に出番なんてあるでしょうか。次の戦争は核戦争に違いないというのに?  

そこでの主役は核を搭載した弾道ミサイルや大型爆撃機、海軍でいえば原子力潜水艦になるはずです。 陸海空の3軍はあげて核戦争に最適化すべく努力しました。すべては次の戦争、核兵器を用いた第三次世界大戦に備えるためです。 しかし、そんな未来予想は再び覆されることになります。

キューバ危機と艦隊の復活

ソ連の指導者フルシチョフは「今後の水上部隊はただ水の上に浮いていることだけが任務になるであろう」と述べ、艦隊を軽視していました。そんなものより大事なのは核兵器だと思っていたのです。

ところがフルシチョフが核兵器をキューバに運び込もうとすると、アメリカの艦隊が立ちふさがって邪魔しました。「キューバ危機」です。

ソ連側はキューバまで水上艦隊を送り込むことができず、潜水艦を送るのがせいぜいでした。アメリカ側は艦隊でキューバを封鎖して国家の意志を示し、ソ連にプレッシャーをかけて、交渉に臨むことができました。 

核戦争になれば活躍するのは核兵器でも、そこに至るまでの危機段階では昔ながらの艦隊に出番があったのです。この経験の結果、ソ連は空母を含む有力な水上艦隊の整備に乗り出します。

現代でもシリア問題をめぐって米ロの艦隊が地中海でにらみ合い、プレッシャーを与え合ったりしています。「この海域の問題に口を出すぞ。交渉のテーブルに乗れ」と言うとき、国家はそこへ艦隊を送らねばなりません。さもないと話し合いのテーブルにつく、その資格すら主張できないからです。

米国も朝鮮戦争やベトナム戦争といった、核を使わない局地戦争を経験して、海から地上を柔軟に攻撃するための空母の便利さを確認しました。 こうして予想された「核の時代」は、予想とは異なった形で到来しました。

核兵器は核兵器によって抑止され、核を使わない危機や局地戦争が発生することがわかったのです。するとそこで役に立つのは、昔ながらの艦隊でした。 とはいえ、艦隊が装備する兵器は、昔の巨砲からは一変しています。

エイラート事件とフォークランド紛争がミサイルの威力を見せ付けた

f:id:zyesuta:20130926164031j:plain 海軍に核兵器よりも大きな変化を与えたのは、対艦ミサイルの登場です。1967年、エジプトのミサイル艇が発射した対艦ミサイルが、イスラエル軍の駆逐艦を撃沈しました。

フォークランド紛争ではアルゼンチンの戦闘機から発射された対艦ミサイルがイギリスの駆逐艦シェフィールドに命中。やはり、ただの一撃で駆逐艦を撃破しました。

1発の対艦ミサイルが大型艦をも撃破できる。ということは、もし100発以上もの対艦ミサイルを一斉に発射すれば、どうなるのか。

空を覆い、嵐のように殺到するミサイルが、あらゆる艦隊を壊滅させてしまうのではないでしょうか? 

例え敵がアメリカの空母であったとしても。

空母 VS 対艦ミサイル飽和攻撃

アメリカの空母にどう対抗するか頭を悩ませていたソ連軍は、ここに目をつけました。爆撃機、潜水艦、水上艦艇。その全てに大量の対艦ミサイルを積み込んで、一斉に発射することを考えました。

90秒以内に100発もの対艦ミサイルが目標に殺到するように訓練したのです。 ミサイルのいくらかは米空母の艦載機によって、また別のいくらかは駆逐艦の大砲や対空ミサイルで撃墜されるでしょう。それでも残った数十発が、米艦艇を壊滅させるだろう、と期待しました。

これを対艦ミサイル飽和攻撃といいます。アメリカ側は空母を守るため、何か手を考えねばいけませんでした。

イージス艦の登場

そこで登場したのがイージス艦です。

 

イージスシステムを搭載し、従来の艦に比べ、飛躍的に防空能力が向上しました。 100発を越える対艦ミサイルが殺到しても、対応できるその全てを同時に追尾できるレーダー。多数の対空ミサイルを連続発射する垂直発射装置(VLS)。同時に別々のターゲットへ対空ミサイルをぶつけるソフトウェア。それら兵器群を総称してイージス兵器システムと呼びます。

これにより、対艦ミサイル飽和攻撃にも耐える防空能力を手に入れました。 イージス艦は現代の艦隊において防空の中核として活躍します。 

日本の海上自衛隊は「こんごう」「あたご」等、かつての戦艦や重巡洋艦の名前を引き継いだイージス艦を保有しています。イージス艦をもたない中国や欧州の一部の国も、これをマネして、同時多目標に対処できる防空艦を建造しました。

イージス艦に護衛されることで、空母は海上の主役の座を維持しました

CSGは砕けない

空母を中心に、多数のイージス艦や原子力潜水艦を護衛に従え、補給艦などの支援艦艇を引き連れたグループがアメリカの「空母打撃群(CSG)」です。これを撃破することは、ほとんど不可能です。

1996年の台湾海峡ミサイル危機では、中国がアメリカの空母に屈しました。台湾の総統選挙の結果に不満をもった中国は、弾道ミサイルを台湾近海にうちこむなど軍事演習を行いました。独立の動きを見せるなら、台湾への攻撃も辞さないという脅迫です。 

しかしアメリカが2隻の空母艦隊を台湾近海へ急行させたため、中国は脅迫を切り上げました。もし米中で戦争となれば、どう頑張っても空母打撃群を倒せないからです。 

このように空母打撃群(CSG)は現代世界においてほとんど無敵の地位にあります。 .防空艦に守られた空母の優位は、当分揺らぎそうにありません。

再び、航空機がすべてを変える時代?

未来の艦隊を一変させるかもしれない出来事が2013年に起りました。アメリカ海軍のステルス無人機の試作型「X-47B」が空母からの発着艦に成功したのです。 X-47B Completes First Carrier-based Launch ...

無人機は有人機よりもはるか遠方まで飛行することができます。すれば無人機を持たない艦隊は、かつて戦艦艦隊がそうなったように、一方的に遠方から攻撃される立場になるかもしれません。

X-47Bの担当者の一人は、この実験成功を、かつて1909年に米艦艇バーミンガムから飛行機が初離陸した時になぞらえ「歴史的な日だ」と述べました。 

彼の言うとおり、あるいはこれが歴史の変わり目なのかもしれません。 とはいえ過去、多くの未来予想が外れてきました。人は過去の歴史から未来を予想します。そう、歴史は常に鑑とすべきです。ただし、単純に過去から線を伸ばしては正しい未来に辿りつけないということも、歴史の教えるところなのです。