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リアリズムと防衛ブログ

防衛ってそういうことだったのかブログ。国際関係論や安全保障論について、本の感想などを書いています。

人道的な戦争

防衛入門

対人地雷などの兵器や、捕虜の虐待は「非人道的だ」と批判され、国際条約で禁止されています。ですが、これは奇妙な話ではないでしょうか。それら以外の兵器をつかった戦争は、非人道的ではないのでしょうか? これが今回のテーマです。

戦争における”人道”の意味

 対人地雷や毒ガスが「非人道的だ」というときの”人道”というのは、普遍的な人道の話をしているのではありません。「この兵器は”国際人道法”に違反している!」という意味なのです。普遍的な人道ではなく、国際人道法の規定の話をしているのです。

 国際人道法とは、いくつかの法律の総称です。定めているのは「戦争の方法」です。例えば「投降の意志を示した敵は攻撃してはいけない」「民間人を攻撃目標としてはいけない」といったことです。

 いうなれば「戦争のルール」なのです。「非人道的だ」として批判されている兵器や行為は、いうなれば「戦争のルールに違反している!」として問題視されたのです。

国際人道法の精神

戦争のルールなのに国際”人道”法とはどういうことでしょう。

国際人道法は『戦時にも許されないものがある』という非常にシンプルで、しかし説得力のある考えから生まれた。…敵対行為に参加しないか、参加することをやめた人々の保護と戦争の手段・方法の制限を目指した多くのルールを規定したものである。*1

 このように戦争の手段を制限するで、戦争で必要以上の犠牲者が出ることを防ぐのが国際人道法の考え方です。具体的にどういった兵器や行為を規制しているのでしょうか。

なぜ対人地雷や捕虜虐待は非人道的なのか?

 国際人道法の規定は数多いので、このエントリではさわりだけを触れることにします。その中で基本となっている考え方は「戦争で攻撃していいのは、敵対意志のある敵兵だけに限る(区別原則)」 「軍事的に不必要な被害や苦痛をあたえてはいけない」といったものです。

 要するに「戦争だからといって、無意味に人を殺傷してはいけない」ということです。対人地雷や毒ガスといった一部の兵器が非人道的とみなされたのは、この考え方をそもそも守ることができない、と考えられたからです。

 例えば対人地雷や毒ガスは、”区別の原則を守れない”または”不必要な苦痛を与える”とされ、批判されました。

 対人地雷は途上国のゲリラなどが何も考えずに埋めまくったため、多くの民間人を死傷させています。まともな軍隊ならば埋設した場所と数をちゃんと記録しておいて、後で自分で除去します。しかし正規軍でないゲリラやテロ組織が無分別に使うことで無差別に被害を与えました。だから敵兵と民間人を区別せずに殺傷する、非人道的兵器とみなされました。

 毒ガスは第一次大戦で恐るべき威力を発揮し、その後の条約で禁じられました。毒ガスは兵士の生命を奪うだけでなく、後遺症を伴うことなどから、不必要に苦痛を与えるとみなせます。また一度散布してしまえば後は風に任せで、交戦中の敵も、投降の意志を示した敵も区別できません。

 行為についても、戦争を遂行する上で不要な殺傷は禁じられています。わかりやすいのは民間人や捕虜を殺傷することです。交戦中の敵兵であれば、殺傷しなければ戦争に勝てないし、こちらが死傷してしまいます。ですが害意がなく、武器ももたない民間人や捕虜を殺傷性することには、なんらの必然性もありません。だから禁じられています。

 逆にいえば、攻撃対象をきちんと区別できる兵器や、敵兵と区別した上での必要な攻撃ならば認められている、ともいえるでしょう。

なぜ他の兵器は「非人道的」と見なされないのか?

 それが「不必要な苦痛ではない」とみなされたところで、銃砲で撃たれれば人は死にます。攻撃対象を選択できるからといって、選択したら殺してしまってもいいのでしょうか。交戦意志を示している敵兵だけを撃ち殺せば、それは「人道的な戦争」とみなされるのでしょうか?

 また、国際人道法は矛盾しているという人もいます。国際人道法は戦争にルールを定めていますが、ということは「戦争が起こることを前提として考えている」ということです。それのどこが人道なんだ、というのです。

 本当に人道的なのは、戦争にルールを作ることではなく、そもそも戦争をしないことではないのでしょうか。戦争にルールを定めるのではなく、そもそもすべての戦争はルール違反だ、としてしまった方が、より多くの人の命を助けることができるのではないでしょうか?

人類はついに戦争を禁止した(60年前に)

 ところが、戦争を禁止する国際条約は既にあります。まずは不戦条約、そして国連憲章です。国連憲章は国連に加盟している全ての国が守ることになっています。そこでは「武力の行使」が禁止されています。自らを守る(自衛)の場合を除けば、戦争であれ、他の名目であれ、すべての武力行使はすでに禁止されているのです*2

 ですがご存知のとおり、国連憲章の制定から60年以上たっても、戦争はなくなっていません。将来においても、当分のあいだ、戦争を完全に無くすことは難しそうです。

現実を踏まえて理想を目指すということ

 国際人道法のアプローチは、このような世界の現実を踏まえたものです。

戦争や武力紛争を全廃させることはいまだできていない。未来にわたってもそれは不可能かもしれない。その冷徹な現実認識に立って、戦乱の中でもできる限り人命が失われるのを防ぎたい。人間の尊厳が踏みにじられることを防ぎたい。それが国際人道法の精神である。*3

 だったら、戦争を無くすよう努力するだけでは不十分です。それと同時に、不運にして戦争が起こってしまった場合のことも考えておかねばならないでしょう。

理想として考えれば、戦いのルールを作ることに努力するより、戦いそのものをなくすことに努力すべきだと言われるだろう。しかし残念ながら人類の歴史は、戦いに終わりがないことを示している。理想は理想として、現実に今ある戦いの犠牲者を救う努力が必要であろう。この現実主義こそ、国際人道法の優れた特色である。*4

「軍事合理的な人道」だけが守られる

 このような進み方は、他の部分にも色濃くあらわれています。そこで国際人道法の設置を推進した赤十字国際委員会は、こう書かれています。

軍事的観点から見ても国際人道法の尊重は合理的なものである。市民の大量殺戮、投降した軍隊の殺戮、捕虜の拷問などの行為が軍事的勝利につながったことはいまだかつて一度もない。…国際人道法上の考えを尊重することは、資源の合理的な利用にもとづいた、近代的戦略の一環なのである。
*5

 このように軍事的にも合理的でなければ、国々はルールなど無視します。なぜなら戦争の勝敗には国家の興亡、国民の命がかかっているからです。殺すか殺されるかというときに「そんなことは非道だからダメだ」といっても、聞き入れられるわけがありません。不戦条約が成立した後に第二次世界大戦が起こってしまったように、こと戦争となれば、邪魔なルールは無視されます。

 だから必要なのは、戦争の遂行を過度に邪魔せず、むしろある意味では促進すらしつつ、同時に人命を可能な限り救うルールです。国際人道法を守ることが、国家戦略においても合理的だ、とみなされる状況をつくることです。

いざとなれば暴力の衝突となり、生命の奪い合いとなる状況で、戦いのルールである国際人道法を軍人に守らせるためには、このルールを守ることが結果として戦いにも有利に作用すると軍人に納得させることが必要である。

つまり、もし一般住民を攻撃の対象として戦いを行えば…国際社会から強い非難を受ける。結果として、戦闘には勝利しても国際的な戦略を含めた戦争には敗れることになる。*6

 このような状況であれば、諸外国は国際人道法を守っていない国を批判することで、外交上の優位を手に入れます。このように道徳を利用して国益を追求することをモラルポリティークといいます。内心では非道徳的な国も、自分の世間体を守ることで国益を保つため、外見には道徳的なように振舞わざるをえません。

 このように現実の権力政治を否定するのではなく、それを踏まえた上で、その合理性に乗っかる形で少しでも人道を実現し、一人でも多くの人命を守ろうというのが国際人道法の考え方です。

なぜ核兵器は禁止されないのか

 もっとも理想的にはそうだとしても、今の国際社会で人道法の理想がすべて実現できているわけではありません。

 国際社会から強く非難されてもあまり害を受けない独裁国家や、受ける害以上の利益のために戦争をしている場合には、効果がない場合も多くあります。たとえ区別の原則を守れなかったり、不必要な苦痛を与える兵器でも、どうしても禁止が難しいものもあります。

 その代表例が核兵器です。核兵器は効果範囲がとても広いため、区別の原則を守ることができません。その上、放射線の害を残しますから、不必要な苦痛を与える兵器とみなせるでしょう。にもかかわらず、禁止はされていません。

 毒ガスが駄目なのに、なぜ核兵器はOKなのでしょうか。それは、人道的に悪であれ、国際法的に否であれ、軍事的にはどうしても否定できないだからです。国際司法裁判所の勧告でも、基本的には核は違法だよねとしながらも「国家の生存そのものが危うくされるような自衛の極限的状況においては…確定的に結論することはできない」とするほかにありませんでした。

 捕虜虐待や民間人への攻撃は、そもそも軍事的にもあまり合理性がないので、禁止されたなら国々はそれに従えます。毒ガスや生物兵器であれば、廃棄したところで、別の手段があります。しかし核兵器のように、無くしたら他に替えがきかない、と核保有国が考えている兵器については、禁止は難しいし、禁止法ができたところで空文化は必至です。

 もっとも人道の観点から核兵器を批判することで、核の使用を難しくする、という効果はおそらくあるでしょう。戦争という行為そのものを人道的に批判するのも、同様に、決して無意味ではなく、一定の効果はあるものと考えられます。

 ですが一足飛びに、人道だけを根拠にして、法律を書いた紙さえあれば、どんな兵器や戦争も禁止して世界を平和にできる、というわけでは、残念ながらないのです。

最悪の中の最善を求めるということ

 ところで、国際人道法の成立にかかわった赤十字国際委員会(ICRC)は、人道法の普及活動をさかんに行っています。法律を各国の軍人が知っていなければ、法の守られようがないからです。

 この写真はICRCのメンバーが、国際人道法のレクチャーをしているところです。青空教室で授業中、といった風情ですね。講義を受けている人たちは銃を抱えています。そんなときまで常に銃を携帯してとは、まともな国の軍隊ではありえません。常に内戦をしているような国の、兵士なのか山賊なのか曖昧なような集団ではないでしょうか。

こちらも人道法のレクチャーを受けている受講生たちなのですが、こちらはもはや兵士ですらありません。どうみても非合法の武装組織です。ハマスか何かでしょうか。

 講義をしているICRCのメンバーは、このような受講生たちが明日や明後日にもまた戦闘をやって、誰か撃ち殺すんだろうな、ということを分かった上で、「そのときにもルールがあるんだ」と話をしているのでしょう。そこで「そもそも人を殺してはいけないんだ」と説教したとすれば、それは正しいことかもしれませんが、それで戦闘が止まることは恐らくないでしょう。

 戦争にルールを設けるということは、たとえ戦争が起こったとしても、いま起こっている戦いを止められないとしても、「しかし、それでもなお」と言うことです。戦争が無くせないとしても、戦争の害を減らすことで、死傷する人を減らすことができます。完璧な理想ではないにしろ、ろくでもない現実を手直ししていくことが、多少はマシな世界をつくるための道なのです。

お勧め文献


文中で引用した本です。分かりやすく書かれているので、法には門外漢の私にも読みやすかったです。

*1:国際人道法―戦争にもルールがある 小池 政行 p85

*2:強制行動と安保理の授権の場合を除く。コメント欄でのご指摘ありがとうございました。

*3:p8 前掲書

*4:p35 前掲書

*5:p90-91 前掲書

*6:p34-35 前掲書