冷戦の時代、核戦争は「MAD」によって抑止されてきたといわれています。
MAD、相互確証破壊とは、アメリカとソ連がお互いを確実に破壊できるだけの核兵器を持ち合うことで、核戦争が抑止される仕組みのことです。
ですがMADを理論化したのはアメリカです。ソ連ではありません。
実際のところ、核戦力でアメリカより優位に立てる可能性がある間、ソ連は核の優位をあくまでも追求していたようです。
ソ連の側がMADの受け入れを前面に出すのは、アメリカに核で勝てないことが明らかになって以降だそうです。(具体的にはレーガン政権がSDIを推進し、攻防両面でソ連の核戦力を劣勢に追い込む構えを見せて以降)
ソ連はアメリカに対抗できそうになかったため「アメリカの核戦略はMADの枠組みを壊し、世界を危険にする」という宣伝戦に打って出た、とみることができます。すなわち、アメリカが核で優位に立つのを抑えるための方便として、ソ連は軍備管理という枠組みを利用しただけだった、といえます。
このような実態にもかかわらず、ソ連はMADを受容していたと見られがちです。その理由はソ連がMAD受容を前面に打ち出して以降、経済的失墜から回復せずに崩壊したため、とのことです。
ですが実際にはソ連の核戦略はあくまでも「核戦争遂行勝利」だったようです。