海を通して物資を輸入しなければ、日本は生きていけません。石油や鉄鋼、レアメタルの輸入が妨害されれば日本の経済は立ち行かなくなります。また日本国内の海上輸送も重要なものです。そんなことがないように必要な海路を防衛することは「シーレーン防衛」と呼ばれています。
第二次世界大戦のときの日本は海上交通路を絶たれたことで決定的な敗勢に陥りました。外航航路を潜水艦、内航航路を機雷で遮断されたのです。それによって戦争どころか経済も立ち行かなくなりました。
その反省から戦後の防衛政策では「シーレーン防衛」が度々強調されています。中曽根政権で「1000海里シーレーン防衛」が打ち出され、近くは民主党の前原代表(当時)が1000海里以遠のシーレーン防衛についても日本は責任を持つべき、と述べています。
しかし実際問題として日本の今の海上自衛隊でシーレーン防衛*1は可能なのでしょうか。それを考える上で、貴重な資料があります。
日本の外航航路、内航航路を守るために護送船団を組み、あわせて三海峡を封鎖するという想定での所要兵力の計算です。海空技術調査会が書いた「海洋国日本の防衛」という古書に収録されています。海空技術調査会は、旧海軍の高級将校たちによって結成された諮問機関だったようです。これには名著「海上護衛戦」を著した大井篤氏(もと海軍中佐)も参加していますので、彼の経歴と見識*2を考えれば、かなり信用できる資料ではないかと思います。
外洋航路護衛の所要兵力
外洋航路防衛は、護衛艦隊*3、直轄護衛艦、潜水艦隊、航空集団によって行われます。
まず、三個護衛艦隊を編成することで常時一個艦隊を展開可能とします。三個の艦隊があればローテーションを組めるので、少なくとも一個艦隊はいつでも外洋に出られる体勢が整います。護衛艦隊は敵艦隊の侵入に対応するために投入されるようです。
船団に常に張り付いて護衛するのは直轄護衛艦の役割とされます。航空集団と潜水艦隊はそれらを支援します。
それぞれの所要兵力は以下です。
・第一、第二、第三護衛艦隊
対潜空母(CVS) 3
ヘリコプター搭載護衛艦(DDH) 15
ミサイル警備艦(今でいうミサイル護衛艦:DDG) 6
警備艦(今でいう汎用護衛艦:DD、DE) 12
小型対潜哨戒機(PS-X) 36
ヘリコプター(H/C) 99
・直轄護衛艦
警備艦(DD、DE) 50
・潜水艦隊
原子力潜水艦(SSN) 15
・航空集団
大型対潜哨戒機(PL-X) 144
超遠距離対空哨戒襲撃機(PF-X) 12
・南方諸島(横須賀)
小型対潜哨戒機(PS-X) 30
ヘリコプター(H/C) 50
・南西諸島(佐世保)
小型対潜哨戒機(PS-X) 20
ヘリコプター(H/C) 26
・以上合計
対潜空母(CVS) 3隻(6万トン)
ヘリ搭載護衛艦(DDH) 15隻(7.5万トン)
ミサイル護衛艦(DDG) 6隻(2.1万トン)
護衛艦(DD,DE) 62隻(12.4万トン)
原子力潜水艦(SSN) 15隻(4.05万トン)
大型哨戒機(PL-X) 144機
小型哨戒機(PS-X) 86機
超遠距離対空哨戒襲撃機(PF-X) 12機
ヘリコプター(H/C) 175機
以上です。これだけでも膨大な兵力です。外航航路だけでも62隻のDD(護衛艦)と15隻のDDH(ヘリ搭載護衛艦)にDDG6隻と、合計して83隻が必要という算定。これだけでも現在の海上自衛隊の2倍ほどもあります。
続いて、内航航路を守るための兵力です。内航航路とは日本国内の都市同士を結んでいる海上輸送ルートのことです。
内航護衛のための所要兵力
内航航路防衛は5個地方隊で行います。
地方隊は警備艦、駆潜艇、掃海部隊と航空部隊を保有します。
DD.DE(警護艦) 40隻(8万トン)
PC(駆潜艇) 28隻(13400トン)
MSC(中型掃海艇) 62隻(21200トン)
MST(掃海母艦) 5隻(1万トン)
PS-X(小型哨戒機) 90機
H/C(ヘリコプタ) 90機
以上の兵力を横須賀、呉、佐世保、舞鶴、大湊の5個地方隊に等分します。
三海峡防衛の所要兵力
この想定において、宗谷、津軽、対馬の三海峡の支配は至上命題です。なぜなら三海峡を敵(この場合はソ連)に奪われると、日本の外航・内航航路に対して容易に妨害ができてしまうからです。よって三海峡を封鎖し、敵の兵力が容易には日本の海上交通路に近づけないようにします。
三海峡の封鎖は航空部隊、機雷、潜水艦で行います。それには以下の兵力が必要です。
小型哨戒機(PS-X) 24機
ヘリコプター(H/C) 24機
機雷施設艦 4隻(8000トン)
潜水艦 27隻(48600トン)
中型掃海艇 40隻(15200トン)
以上、「海洋国日本の防衛 (1972年)」海空技術調査会/著 かや書房/刊 より
結論…この想定では無理すぎる
以上が、1971年に執筆された日本が海上交通路防衛のために必要とする兵力量の想定です。まだ駆潜艇が現役で、DDが「警備艦」と書かれているあたりに時代を感じます。なお、当時はヘリを搭載した「汎用護衛艦」がまだ無く、ヘリを積んでいる艦はDDHのみだったという点にも注意が必要です。
この後、日本は中曽根政権下で自衛隊の急速拡大に乗り出します。その結果がP3C(対潜哨戒機)100機、イージス艦(DDG)4隻、汎用護衛艦による88艦隊、F15戦闘機200機という正面戦力となりました。これによって日本の自衛隊は質の面ならば仮想敵国に劣らない兵力を初めて手に入れました。
とはいえ、この71年時点での想定を考えれば、それでもなお、海上交通路防衛を全うするには圧倒的に数が足りなかったといえます。上記の数字を合計すると、今の海自の3倍以上の大艦隊が必要という計算になってしまいますから…。*4
ただし、上記の見積もりはあくまでも、外航・内航の航路を、船団護衛方式で、日本独力で行う、と考えた場合のものです。この点には注意が必要です。そのような想定をすべき蓋然性がどの程度あったかについては、また別の検討が必要でしょう。
また、現在の日本で求められている、いわゆるシーレーン防衛はこの想定とはかなり異なったものでしょう。そちらについては、またいずれ。
*1:なお、いわゆるシーレーン防衛は幅広く、曖昧な概念です。それに対し、以下に引用する想定は有事の際に海上交通路(SLOC)を船団護衛方式で防衛する、という限定した意味でのシーレーン防衛で、そこには区別が必要です。
*2:在任中の彼は決して無謬ではなかったが、しかし見識ある専門家であることは否定し難いでしょう
*3:原文ママ。現在の海自でいう「護衛艦隊」とは意味が異なる。海自の護衛艦隊は護衛艦部隊の全てを指す。ここでは独立して行動する一つの艦艇群を指す
*4:当時と現在で艦の性能に大差があるので、もし今同じ計算をすれば当時よりは少なくなるでしょう。しかし今なら当時の算定をまるで無視できるかといえば、そうではないでしょう。どれほど優れた兵器であれ「同時に二箇所に存在する」ことはできないのですから。