今回は論文の紹介です。「History Rhymes:The German Precedent for Chinese Seapower」は、現代中国とドイツ帝国の比較論です。著者のJames R.HolmesとTOshi Yoshiharaはアメリカの軍大学の研究者です。
この論文はアメリカの対外政策研究財団「Foreign Policy Research Institute」がだしている雑誌「Orbis」の2010年冬号に収録されているものです。最近一部で話題になっている論文「アメリカはいかにして2015年の海戦に敗北したか」(参考)が同じ巻に収録されています。そちらは2015年にアメリカ海軍が中国に空母を撃沈され、西太平洋の支配権を失う、という衝撃的な想定を提起した論文です。
今回とりあげる「History Rhyme(歴史の韻)」も同様に、アメリカの海洋覇権に挑戦する中国の台頭について論じたものです。現代の中国をドイツ帝国と比べ、シーパワー論の観点から共通点と相違点を吟味しています。比較によって現代中国のシーパワーとしての特質を明らかにしようというわけです。
- なぜ中国とドイツ帝国を比較するのか?
- 比較のポイント
- 大事なのは広い外洋への出口があるかどうか
- もし台湾を併合すれば、中国はさらに格段に有利になる
- 北海とシナ海の差
- 中国海軍はティルピッツを真似しない
- 中国の非対称戦略――A2AD
- 中国はドイツよりも巧妙なチャレンジャー
- お勧め文献
- 関連
なぜ中国とドイツ帝国を比較するのか?
ドイツと中国は、圧倒的な海洋覇権国に対する新興のチャレンジャーである、という点で似た構造が見受けられます。
ドイツ帝国はドイツ統一によって誕生し、急激に大国化しました。急成長した経済力を軍事力に転化し、近代的な軍隊をそろえました。陸軍国でありながら、ティルピッツ提督の指導のもと、海軍を大拡張しました。
当時、世界の海を支配していたのはイギリスです。イギリスが誇る王立海軍は、他国の海軍に対して圧倒的優勢を誇っていました。諸列強が工業化したことで、イギリス海軍がかつて持っていた絶対的な優勢は既に失われつつあったとはいえ、ヨーロッパの海では支配的でした。
ドイツ帝国はイギリス海軍を打倒できるほどではないにしろ、対抗可能なだけの艦隊を建設しようとしました。その結果、英独建艦競争(Anglo-German arms race)がおこり、イギリスとドイツが競って戦艦を造る軍拡競争になりました。その後、第一次世界大戦が起こってドイツは敗北します。
ひるがえって現在、海洋覇権は、イギリスからアメリカへと引き継がれました。アメリカは半世紀以上にわたって世界の海で支配的なパワーを維持しています。ところが近年、急速に発展した中国が、西太平洋でそれに挑戦しつつあります。中国は軍を近代化し、特に海軍を大いに増強しています。アメリカから世界レベルでの覇権を奪おうとしているわけではないけれど、一部地域での優勢をもぎ取ることを目指しています。
このような似た状況にあるので、この論文では現代中国とドイツ帝国を比較しているわけです。ただし、ドイツと中国には様々な違いがあり、時代も違います。だから「歴史は繰り返す」と安易に考えることはできません。
しかし「歴史は繰り返さない。ただしライム(韻)を踏む」(マーク・トウェイン)といいます。例えば歌の歌詞において、1番と2番の歌詞は違う言葉だけれども、韻を踏んでくり返されます。これに似て、国や時代を越えて、同じではないにしろ似た状況で似た現象が見られることはあります。中国とドイツ帝国について、この歴史のライムを検討しているのがこの論文「History Rhymes」です。
比較のポイント
ドイツの海軍拡張の理論的背景は、アメリカ海軍のマハン大佐が提唱したシーパワー論でした。マハンは「海上権力史論」らを著して、国家の興隆には海軍力が極めて重要であることを論じました。この観点から「The Naval Strategy of the World War」を著したのが、ドイツ帝国海軍の理論家Wolfgang Wegener提督です。
彼はシーパワーの構成要素として下記の3つを挙げています。
- 戦略的位置(戦略的要素)
- 艦隊(戦術的要素)
- 国家がもつ海への”戦略的意志”
この論文「History Rhymes」ではこの3つの点において、ドイツ帝国と中国を比較しています。それによってドイツはシーパワーとしていかに失敗し、また中国がその後を追うのか否かへの洞察を得ようというわけです。
大事なのは広い外洋への出口があるかどうか
ドイツとイギリスの競争をシーパワー論の観点からみるならば、ドイツは明らかに不利なポジションにありました。マハンはシーパワーの必要条件として、外洋にアクセスできる1つまたは2つの港を挙げています。
そこへいくと、ドイツの外洋へのアクセスはイギリスによって遮断しやすい立地にあります。ドイツの主要な軍港はバルチック海または北海に面しています。イギリスはその南部の軍港からドーバー海峡をコントロールし、またスコットランド沖のスカパ・フロー軍港から北海を哨戒できます。ドイツがもつ外洋へのSLOCs(Sea lines of communications:海上交通路)を封鎖し易いのです。実際、第一次大戦においてイギリス海軍はドイツを遠方封鎖し、窒息させた、とHolmesとYoshiharaは論じています。
他方、中国は「海はあるが、大洋は無い」(Ma Haoliang 2009)というポジションにあります。長大な海岸線に多数の港を持っているものの、太平洋へダイレクトに出られる港は持っていない、ということです。東部中国から黄海へ出ると、どうしても太平洋に出る前に第一列島線に阻まれます。第一列島線(the first island chain)とは九州、南西諸島(奄美群島、沖縄、先島諸島ら)、台湾、フィリピンへと至る線のことです。また南部中国から南シナ海にでると、今度はベトナムやマレーシアら東南アジア諸国に取り囲まれています。
ただしYuFeng liuによれば、中国艦隊は沿岸基地からのカバーから独立して活動できるといい、またその行動には柔軟な選択肢がある、といいます。例えば第一列島線を突破すると見せかけて他に戦力を集中する、というような柔軟なオプションは、ドイツ帝国には無かったところです。
もし台湾を併合すれば、中国はさらに格段に有利になる
(wiki画像より)
また、中国の大洋進出において重要になるのが台湾です。台湾は第一列島線の一部です。日本からみれば、台湾が存在することで中国と直接対峙せずに済んでいます。中国軍の脅威を、まずは台湾の軍事力が受け止めてくれているので、その分だけ日本に向けられる脅威が減っているわけです。中国からみればこれはまさに目の上のたんこぶ、玄関口に置かれたやっかいな障害物です。
しかしもし台湾が中国に併合されるか、又は軍事的に従属した場合どういうことになるでしょう。台湾は中国にとって「出海口 走向世界的戦略通道」(Zhan Huayun 2007)、極めて重要な戦略的通路となります。「Taiwan's Ocean facing side on the east is the only direct sea entrance to the Pacific」(同上)であり、台湾島東岸に軍事基地を建設できれば、中国は有事の際、第一列島線の国々に邪魔されずに太平洋へ戦力を送り込めるようになるからです。
中国海軍が労せずして第一列島線を越えられるようになれば、第二列島線(the second island chain)への直接攻撃が可能になります。第二列島線は日本の伊豆諸島にはじまり、小笠原を経て、グアム島、サイパン島を通ってパプアニューギニアへと至るルートです。もっとも重要なのはグアムへの攻撃です。
第二列島線の中央に位置し、最も重要なのがグアムです。グアムはアメリカ軍が西太平洋で作戦をするとき、最も重要な中継地(ハブ)として機能します。グアムは第一列島線より大陸側の同盟国軍、および米軍基地と連携して機能します。岡元もと空将の解説によれば、この地域(たとえば台湾)で有事があった場合、グアムは次のように機能します。
本格的な投入部隊はグアム島に所在することとなる。
しかし、こうした本格的投入部隊がグアム島から紛争地に機動展開するためには、約3〜4日を要する。そこで、紛争が発生すれば直ちに初動対応部隊として沖縄駐留の部隊が緊急展開し、橋頭堡を形成し、ほかの部隊との調整を実施し、約3日間の戦闘を維持する。
そして、グアム島からの本格的対応部隊の来援を待つのである。
徳之島もグアムも論外、長崎と辺野古を提案する 迷走する普天間問題に元空将が緊急提言(3/6) | JBpress(日本ビジネスプレス)
このように有事には第一列島線の部隊が初動にあたっているうちに、第二列島線のグアムから主力が上がってきます。ですがこのとき、第一列島線が既に突破されていたら、後方のハブとして機能すべきグアムが直に攻撃されてしまい、あるべき連携が邪魔されます。白炎林によれば「台湾問題の解決は、(第一列島線を破れるのみならず)第二列島線を突破(break through)するための我々の能力が根本的に変化することをも意味するのだ」ということです。
もし台湾問題を解決―つまり、外交的手段と軍事的手段のいずれによるかは別として、台湾を併合できれば太平洋への直通出口が手に入り、中国はさらに有利な戦略的ポジションを手に入れることになるということです。
北海とシナ海の差
続いてHolmesとYoshiharaが論じているのは、北海と比較して東・南シナ海ら第一列島線内の海は、性質が違うということです。
イギリスにとっての北海はさして重要ではなく、またごく近接しています。従って能力的に可能であれば、遠慮なく北海封鎖を決断できました。またあまりに近接しているため、ドイツ海軍が北海で力を増せば、それは直ちにイギリス本土への脅威となります。よって北海のドイツ海軍に対処しない、という選択肢はイギリスにはありませんでした。
それに比べ、第一列島線内の海はアメリカと日本ら同盟諸国にとって生命線です。極めて重要な貿易ルートです。また、これらの海はアメリカ本土から距離が離れています。そのためアメリカの指導者たちは、はるか遠方の事態をして死活的な脅威だと解釈せねばなりません。こういった事情があるので、北海を封鎖してみせたイギリスに比べると、アメリカが第一列島線内の海を封鎖するのはよりハードルが高いといえます。
こういった違いがあるので、シーパワーとしての中国の戦略的位置はドイツ帝国よりも有利だとみなせます。
中国海軍はティルピッツを真似しない
戦略的位置についての比較の次に、HolmesとYoshiharaは艦隊について比べています。ここで明らかになるのは、中国海軍の艦隊建設はあきらかにドイツ帝国海軍のそれとは違っている、ということです。
ドイツ帝国海軍は、ティルピッツ提督の指導のもと、イギリスに対して対称な質の戦力をそろえました。イギリスの主力は戦艦隊なので、こちらも戦艦をそろえる、というわけです。そして北海でイギリス戦艦隊と「決戦」をやって勝つ、というつもりでした。しかし戦力の質が対称であれば、あとは量が多い、少ないが勝敗を決めます。ドイツの経済力ではイギリスと同量の戦艦をそろえることはできず、建艦競争をやっても最終的なイギリス有利は変わりませんでした。
ドイツ海軍といえば何といっても「Uボート」、つまり潜水艦が有名です。しかしドイツ海軍が潜水艦をはじめて完成させたのは、ようやく1906年のこと。水中戦力に資源を割いて、戦艦がおざなりになることを恐れたのです。ティルピッツによってドグマ的に対称戦力を追い求めたドイツ海軍は、そのために潜水艦、機雷、魚雷艇といったものの発展を遅らせました。ドイツ海軍は非対称戦略を自ら放棄したのです。しかし結果的にイギリスを最も苦しめたのは潜水艦に代表される非対称戦力でした。
このように対称戦にこだわったドイツに対し、中国は明確に非対称戦略をとって艦隊を建設しています。まずは潜水艦隊の充実に力をいれています。ティルピッツがしたような、支配的海軍と対称的な戦力――この場合は大型の航空母艦――の建造は後回しにしてきました。
中国の非対称戦略――A2AD
中国はアメリカに対し非対称な艦隊をもって、正面決戦ではない非対称な戦いを想定している、と考えられます。これを「Anti-access strategy(接近阻止戦略)」と呼びます。アメリカ艦隊と正面から殴り合って勝つのではなく、足を引っぱる方式です。
中国はこの戦略に従って、古典的な機雷から新鋭の潜水艦、さらには対艦弾道ミサイルなんていう珍しい兵器までもを投入します。例えばある海域に中国の潜水艦が潜んでいたり、あるいは対艦弾道ミサイルの射程内だったりすれば、アメリカの空母機動艦隊はその海域に入るのに慎重になります。あるいは弾道ミサイルや爆撃によってグアムや沖縄の基地が打撃をうければ、戦力展開に遅れが生じるかもしれません。
その軍事的目的は、以下の3つです。
1:アジアの特定の作戦領域に、アメリカと同盟国の軍が到着するのを遅らせる
2:アメリカの軍事作戦を支える地域の重要な基地の使用を妨害するか、中断させる
3:アメリカの戦力投射アセット(空母や揚陸艦)を中国沿岸からできるだけ遠くに留めておく
こうしてアメリカ艦隊の接近を阻止するか、または遅らせることで、中国が戦争目的を達成するために十分な時間を稼ぎ出します。これに加え、作戦領域内までの接近を許した後も、アメリカ艦隊の行動を邪魔する「area-denial(領域拒否)」を行うと考えられます。接近措置と領域拒否をあわせ、略して「A2AD」戦略と呼びます。
支配的な海軍への非対称戦略は、ドイツ海軍が積極的に採らなかった、しかしやってみると実に効果的であったものです。もちろんUボートが効果的であったからといってキロ級も効果的であるとはいえないのですが、対称戦を避けている点が中国の独自性です。
中国はドイツよりも巧妙なチャレンジャー
このような吟味を経て、この論文は「ドイツ帝国らかつてのランドパワーたちと同じように、中国もまた失敗するであろう、という楽観的な予言に安住していてはならない」と説きます。なぜならドイツ帝国と中国の比較から明らかなように、両国はともに支配的シーパワーに挑戦する立場ではあっても、その戦略的ポジションや艦隊、戦略らに明確な違いがあります。そしてそれらの違いは、ドイツ帝国よりも中国のほうがより困難な相手であることを示唆しています。
ドイツにとっての北海と異なり、中国にとってのシナ海は、支配的海軍が容易に封鎖することを許しません。そこにはアメリカ、日本、韓国らにとって致命的な貿易ルートが通っています。また中国は艦隊建設にあたって非対称アプローチをとってきました。中国の艦隊増強と、アメリカ海軍の数的減少がこのまま続けば、中国は第一列島線の内側でならばアメリカを圧倒する力を蓄積するかもしれません。そこまではいかずとも、最低でもその政治目的を果たすのに十分な時間だけ抵抗できる程度には強大化するでしょう。そうなれば中国はアメリカとその同盟国から主導権をもぎ取ることもできるようになります。
また、ドイツと異なって潜在的にはシーパワーの伝統を有しています。かつて中国中心の海洋秩序が存在しました。そして今、中国は確固たる戦略的意志(Strategic will)に基づいて、着実な海洋進出を行っています。
中国はドイツの興亡から多くを学んでいます。その行動は英独建艦競争に突き進んだウィルヘルム二世のドイツ帝国よりも、鉄血宰相ビスマルク時代のドイツ帝国に似ています。ビスマルクがたくみな同盟戦略をとって、ドイツを台頭させながらも周辺諸国がそれを深刻な脅威として受け取らないようにしました。中国の外交には「平和的台頭」「平和的発展」そして「責任あるステークホルダー」といった穏健フレーズがちりばめられており、中国は信頼できる温和なパワーだというメッセージを伝えています。その一方で、大規模な軍拡を行っています。このような思慮深さもまた、中国がドイツと違うところです。
これらを検討すると、周囲の環境と、リソースの急成長、思慮ぶかい外交、そして不屈の戦略的意志が結びつくところ、中国はドイツがかつてそうであったよりも恐るべき、確固とした競争者となるだろう、とこの論文は結論しています。
…というような感じの論文だったのですが、これをどう評価解釈すべきかについての私の考えは、今日はちょっと時間がないのでまた改めていつか書きたいと思います。
お勧め文献
日本語で中国の海洋進出をふくむ安全保障戦略について論じた本のなかでは、平松氏のものが詳細で勉強になります。例えばこれです。