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リアリズムと防衛ブログ

防衛ってそういうことだったのかブログ。国際関係論や安全保障論について、本の感想などを書いています。

19世紀イギリス海軍の変遷と、重商主義から自由貿易主義への政策転換

戦略論


イギリスが世界を支配していた時代、それは海からの支配でした。

世界の海洋を支配することで莫大な政治力と富を得ていました。

最近、19世紀イギリスの経済史上の変化と、

海軍戦略の変化をリンクさせて少し調べています。

といっても肝心のマハンをまだ読めていません。

だからまだ画竜点睛を欠いていますが、

ちょっとまとめてみます。

重商主義の行動原理

産業革命後のイギリスはその圧倒的な経済力を背景に、世界帝国への道を驀進します。

その行動原理の根拠は「重商主義」でした。

国富とは金銀財貨であり、他国より多くの金を有する国が大国だ、という世界観です。

より多くの金を確保するため、保護貿易と植民地獲得が行われました。

植民地は原料をより安く輸入するためであり、

保護貿易は貿易黒字をより多く計上するためです。

欧州各国はこぞって重商主義政策をとり、国庫に金を積み上げる競争に驀進しました。

イギリスがこの戦いに勝利したのは2つの原因があります。

第一は産業革命で先行したこと。

第二に海軍力です。

重商主義の尖兵としての海軍

重商主義政策のため、海軍力は多くの役割を担いました。

  1. 植民地を獲得し
  2. 原料を安価に輸入する

ために、海軍は先ず侵略、次に海上交通路の防衛に必須となります

原料だけではなく市場を確保する段階に入ってからは

  1. 砲艦外交で無理やり市場を開放させる

という仕事がこれに加わります。

最も安い原料を確保し、最も安く運び、そして最も広い市場に輸出するために、

海軍力が活用されたのでした。

企業でいえば仕入れ、輸送、営業の仕事が、

国家にとっての海軍力(商船隊を含む)の仕事でした。

海洋支配の構造 拠点と警備

海軍には基地が必要です。

それは艦隊であれ、商船隊であれ、補給なしには航海できないからです。

艦船になじみのない人からすると以外なことですが、

軍艦は根拠地から一定の範囲内でしか継続的な活動を行えない、

という性質を持っています。

したがってシーパワーは、海外に艦隊の拠点を持たねばなりません。

帆船から蒸気船に時代が変わり、

産業革命以降の世界貿易の時代には、

これが一層顕著になります。

イギリスは主要海上交通路にそって植民地基地を配備していました。

それらの基地は商戦隊にとっても、それを守る艦隊にとっても必須のものです。

給炭・給水・食料補給、そして船舶修理の拠点として機能しました。

そこに基地を持つことは、その地域を抑えることを意味しました。

例えばシンガポール-ボルネオ-香港のルートを確保したことが、

インド帝国の防衛と中国ルートの保全を確かなものにしています。

要衝の地に海軍基地を建設して艦隊を配備する。

それによって大量の貿易品が通過する中心海域を、イギリスは支配しました。







重商主義から自由貿易へ

当時、イギリス本国において、思想の転換がなされていました。

重商主義から自由貿易主義へのレジーム転換です。

重商主義で保護貿易をやるより、

関税を撤廃して自由貿易を推進した方が儲かる、という考えにかわりました。

この背景にはイギリスの工業力が強い競争力を持ち、

かつ農業の生産性でも優れていたため、

関税をひきさげのダメージは少ない、と考えられていたことがあります。

実際、しばらくの間はその通りでした。

後進国の重工業化が進み、スエズ経由で安い農作物が殺到するまで、

自由貿易は明らかにイギリスの金儲けを促進しました。

イギリスの経済学者ジェヴォンズ(William Stanley Jevons)はこの時代のイギリスをこう評しています。


アメリカとロシアの平原は我々の島であり、シカゴやオデッサの穀物、カナダや北欧の森林、オーストラリアの牧場、カリフォルニアとオーストラリアの金、ペルーの銀、シナの茶、西インドの砂糖、世界各地の綿花等はわが国に流れ込む」(糸曽義夫 「産業革命と自由主義」 大野真弓編「イギリス史」 1973山川出版 p231)



では重商主義から自由貿易主義へのレジーム転換の時期、

海軍はどう変化したのでしょうか。

開拓から維持へ コストセンターとしての海軍

この時期、英領植民地の開拓は一服して、

拡大から維持の時代に移ってきます。

そのため海軍の役割も拡大から維持に移ります。

コスト削減が重視されたのは、当然のことでした。

ナポレオン戦争によって英国海軍の規模が著しく膨張し、財政の重荷となっていたため、

早急なリストラがもとめられました。

ナポレオン戦争直後、艦籍名簿の上では総勢1000隻以上、主力たる戦列艦だけで214隻を数えました。

海軍局は1000隻を越えた軍艦のうち、実に500隻近くを売却または廃船としました。

いったい彼らは「平時の海軍」の望ましい規模を、どう定義していたのでしょうか。彼らは戦列艦100、フリゲート160を目安と考えていました。(実際の稼動数は既にそれを割っていました)

あらゆる国と時代を問わず、あらゆる軍隊の最強の敵は、

敵国の軍隊ではなく、自国の財務省なのです。

とはいえ、平時といえども世界帝国の海軍は多忙です。

自国の沿岸を守るだけでなく、世界の海の警察官たらねばならないからです。



平時における外洋海軍の使命

財政はそれでよくても、経済はそうはいきません。

広大な海上交通路を守る必要性は、ちっとも変わらなかったからです。

海軍長官ウッドは1836年の議会でこう述べています。

「イギリスの海軍ステーションで戦力の増強を要請していないところは世界中どこにもない。」

それは例えば在外自国民の保護です。

「(ペルーは)まさに革命の状態にあり、みずから法令を施行したり、あるいはイギリス商人の財産を保護できる政府など存在していない。よって財産の保護は軍艦の存在によってはじめて可能なのであり、それこそがイギリス商人の求めている援助なのである。」

「保護が必要であるという点は、最近、イギリスの商船が襲撃されて一人を除いて乗組員全員が虐殺されたという事件によって明瞭となった。」

さらに、海洋の秩序維持という側面もあります。

「西インドステーションのコクバーンも奴隷貿易とりしまりのための追加戦力を要求してきている」

「東インドステーションからも、海賊の跳梁を阻止するには、わが国の海軍力は不足していると抗議がきている」

そして漁民の保護という任務もあります。

「北米ステーションからは、わが国のニューファンドランド漁場へアメリカとフランスが侵犯してきたことに苦情が寄せられている。漁獲時期にわが国の戦力を増強することが、わが国の権益を保護する唯一の手段のように思われる」

海軍は平時においても以下のような任務がある、

そのために艦が足らんぞ、というわけです。

  1. イギリス権益の防衛(在外居留民の生命と財産の保護、漁民、漁業権の保護)
  2. 海上貿易の保護(海賊および外国から商船を守る)
  3. 海洋犯罪への抑止と対処(特に海賊と奴隷貿易への対処)
  4. 自由貿易の軍事的強制(砲艦外交)

一瞥して分かる通り、これら海軍の任務は今日でも変わっていません。

海自がソマリア沖に派遣されるのも、

平時からアメリカ海軍がきな臭い海峡付近をうろうろして示威しているのも、

100年前から変わらない海軍の任務を果たすためです。

なお当時のイギリスは100隻以上の軍艦を常時海外ステーションに派遣していました。現在では各国の海軍と沿岸警備隊がやっている仕事をほとんど一国で受け持つのですから、それくらいの数は必要だったのです。

海洋コンスタラブリのための小軍艦

とはいえそれだけの大艦隊を大型艦で構成していては、国庫が干上がってしまいます。貿易からあがる利益より、コストの方が巨大になってしまうからです。

そこで海外ステーション派遣艦は、小型艦が主でした。

特にアジアの海ではどこの国も戦列艦などもっていないのだから、

イギリスが派遣するのは1000トン以下の小型艦で十分、用が足りたのです。

特に中国・日本ステーションでは、派遣艦隊の半数以上が200トン級以下の小砲艦でした。

現在の日本は汎用護衛艦をワークホースにしていますが、今後はより小型で能力と人手を省いた艦種を多数造ることも検討されるべきでしょう。汎用護衛艦は対空、対水上、対潜が一通りこなせる大型艦です。しかし今後、増えてくるであろう海洋秩序維持のための外洋派遣には時にオーバースペックです。

厳しい財政では予算増が望み薄なので、艦のスペックを犠牲にして数を確保する、という選択肢も検討せざるを得ないのではないでしょうか。

19世紀のイギリス海軍は、さらに思い切った艦隊削減によって予算を節約します。

国際協力

グラッドストーン内閣は全ての海外ステーションで艦隊を縮小します。

広域に艦隊を貼り付け続けるのではなく、

まとまった数の機動艦隊が事あるごとに駆けつける体制に移行したのです。

冷戦終結後の陸上自衛隊が貼り付け防御を諦め、

戦略機動能力を高めているのと似ています。

インド洋の秩序維持はインド海軍に、中国沿岸は中国海軍に任せる、といった

国際的分担によって、イギリス海軍の所要兵力を減らしました。

安上がり建艦計画

自由貿易論者の一派として有名なマンチェスター派は、

海軍のコスト削減についても発言しています。

1840年代末から、艦船と蒸気機関の建造を民間委託することで、安くあげよう、

とコブデンやブライトといった平和的自由貿易論者たちは主張しました。

建艦の民間委託を可能にしたのは、装甲艦時代の到来でした。

かつての主力だった木造の戦列艦では民間委託は困難でした。

木造の巨艦は乾燥木材を大量に備蓄せねばならないので、

大型の王立造船所でなければ難しかったのです。

しかし装甲艦ならば民間造船所でも造れるのでした。

貿易のために最小のコスト(海軍予算)を

これら一連の政策は、とにかく「海軍予算を安く!」という努力です。

ステーション配備艦艇の小型化から、

ステーション貼り付け方式の廃止(機動艦隊方式への以降)、

さらにはステーション自体の削減と、

建艦の民間委託。

拡大から維持の時代に入ったとき、

海軍は強盗ではなく警察となりました。

プロフィットセンターから、コストセンターへの変化です。

であるならば、グラッドストン内閣のチルダース海軍大臣が以下のように演説したのは当然でした。

「わが国の名声を維持し、わが国の商業を保護し、さらには艦隊が維持されねばならないその他の諸目的を遂行するのに必要な最低限の規模にまで、海外に配備された艦隊を漸次縮小していく」

さらに軍艦の高コストかが致命傷となり、

1904年からのフィッシャーの改革によって、

英国海軍は海外展開の時代を終えます。

各地のステーションが整理統合され、

それらの基地にいた旧式の小型艦は容赦なく処分されます。

そのかわりにドレッドノート級に代表される決戦兵力が、

英国本土の周辺海域に集中して配備されます。

自由主義的海軍政策

輸出財の経営者と経済学者たちは、いわば自由貿易マフィアを結成し、

ついに英国を重商主義から自由貿易主義に政策転換させます。

彼らの理論は海軍政策についてもどう言っているのでしょうか。

時の政府が貿易維持のための海軍拡張を主張していたのに対し、

自由貿易論者たちは海軍力の削減を強く主張しました。

コブデンの主張によれば、

貿易にとって必要なのは海外市場におけるイギリス商品の低廉性です。

軍備増強かえって足をひっぱる、と彼は主張しました。

なぜなら貿易路防衛のための軍拡は、

(増税によって?)イギリスの輸出競争力を低下させます。

また海外居留地に軍艦を配備しても、それは現地のイギリス商人を傲慢にし、

自由貿易相手国との関係にも悪影響をもたらすからです。

自由貿易論者にとって海軍とはやはりコストセンターであったのです。

「自由貿易原理の本来の意図を真に理解している者がいかに少ないことか。

ヨークシャーやランカシャーの製造業者たちは、インドや中国を、

武力によってのみ開放がなしうる企業活動の領域とみなしている」

平和的自由貿易論にとって、

イギリスを富ますものは武力による権益確保ではなく、

あくまで自由貿易でした。

そのため重商主義時代の好戦的な海軍戦略は、

かえってその足を引っ張っているとされました。

そこで自由主義的海軍政策(Liberal naval policy)が提言されます。

この政策は「自由船舶・自由貨物(Free Ships Free Goods)」を原則とします。

たとえ戦時中に、敵国の貨物を運んでいる船だとしても、

中立国の商船を捕獲せず、安全を保証するという原則です。

さらには全ての海上封鎖の禁止まで議論されます。

それ以前の海軍が、必要とあらば臨検、捕獲をためらわない、

まさしく海賊の子孫にふさわしい活動をしていました。

治安維持もするけど、時には自ら暴力も振るうという、

いわば地域をシメているヤクザのような役割でした。

それが自由主義的海軍政策においては、ヤクザから警察への転職を余儀なくされます。

この面においても、拡張的・好戦的な海軍のあり方が、

自由貿易レジーム下では単なるコストでしかなくなっていたことが、

海軍のあり方を変えたといえます。

植民地貿易からの利益の変化

17、18世紀、イギリス海軍は私掠船の延長でした。

セイロン、モーリシャス、ケープタウン、ドミニカらのスペイン・オランダの根拠地を荒らしまわることで、ライバルに多くの損害を与えていました。そして自らの貿易拠点を増やすことで本国に利益をもたらしました。

しかし19世紀になると植民地貿易の利益が減少し、しかも拡張余地がなくなります。

重化学工業の時代には、スパイスや金銀の価値は減少しました。

かつては美味しい襲撃対象だった地域はすべてイギリスのものになってしまい、もはや襲うところがありません。

むしろ英国海軍は守る側になりました。


「このことは、砲撃、封鎖または示威的な海上兵力の展開で敵の脆弱な場所に圧力をかけることによって、安上がりに目的を達成するイギリス流の戦争方法(British way in warfare)の『最高のターゲットは、ほとんどすべてイギリス自身になっていた』(Kennedy 1983 p53)ことを意味したのである。 p18 「ロイヤルネイヴィーとパクスブリタニカ)

貿易の種類の変化 


十七、十八世紀の貿易は主として本国と植民地との間に行われ、海軍の任務はこれを直接保護することにあった。しかし、自由貿易のもとでは相手は植民地とは限らず、むしろ外国との間の形式的には対等な貿易を基本とする。ここでは海軍の任務は自由な貿易を可能とする平和と、イギリスにとって望ましい秩序を維持することであって、平時における軍艦の派遣・行動は外交の重要な一環としてますます重要度を増した。(シーパワーの世界史2 p11)



もう少し整理し、まとめてみました。↓

http://d.hatena.ne.jp/zyesuta/20090508/1241763620