リアリズムと防衛を学ぶ

本の感想などを書いています。

真珠湾と原爆について思うこと

永井陽之助の著書の中に、こんな懐古の一節があります。アメリカでの体験談です。

ある一般市民の会で、たまたま私がヒロシマの原爆投下に言及したとき、間髪をいれず、「パール・ハーバーはどうした」という反撥がかえってきた。

この経験は、私一人だけのものではない。繊維産業から自動車にいたる日米経済摩擦でどれほどパール・ハーバーの語が米国の議員・ビジネス指導者の口からもれたことか。

(「歴史と戦略 (中公文庫 な 68-2)」p20)

卑怯な日本、非人道的な日本。その象徴がパール・ハーバーでした。奇襲攻撃を受けた側にとって、これは自然な記憶の仕方かもしれません。

多くの日本人にとって不可思議なことは、それが原爆投下と交換できることのように語られてきたことです。永井は、著書の中でこう続けています。

長崎への原爆投下の数日後、トルーマン大統領自身、友人にあてた私信で、「私ほど原爆投下で心を乱されたものはいない。しかし、私は真珠湾の奇襲や、戦時捕虜の殺害で同様に大きく心を乱されてきた。

日本人が理解するとおもわれる唯一の言葉は、かれらをやっつける例のもの(原爆のこと)しかない。けだものを扱うには、けだものとして遇するしかない。残念ながら、これは真実だ」と書いて、暗にヒロシマ・ナガサキにたいする原爆投下を、真珠湾の奇襲で正当化しようとしている。

(中略)

われわれがヒロシマ・ナガサキを永遠に忘れないように、かれらのパール・ハーバーを永遠に忘れない。アメリカ人の深層心理において、パール・ハーバーはヒロシマに匹敵する重みをもつ「象徴」となっている。(「歴史と戦略 (中公文庫 な 68-2)」p20-21)

軍事施設を攻撃目標とする奇襲先制攻撃と、民間人を主な攻撃目標とした大量破壊兵器の使用は、さまざまな観点からみて質の異なることです。多くの日本人からすると、パール・ハーバーを持ち出して原爆投下の人道に対するような論法は、受け入れがたいものでした。

とはいえ、そのような認識の相違は、半世紀に渡り言い合っても、決着がつくものではありません。人類が国境を越えてたやすく分かり合えるとすれば、戦争はとっくに根絶されているでしょう。

分かり合えない理由は山ほどあり、理屈をつけるなら、対立する両者に理屈がつくものだから、無理に白黒つけようとすれば、血みどろの殺し合いを永遠に続けるしかありません。

それでも分かり合える点があり得るとすれば、意見がことなる両者の間にも、それぞれ大事なものがあるということです。戦う目的、争う理由は違っても、戦争によって負った痛みは共通です。

日露戦争において日本が勝利を収めた際、乃木希典将軍はこう述べたそうです。

「わが海軍は大勝を得ました。しかしわれわれは、敵がその運命において大不幸を見たことを常に忘れてはなりますまい。また、われわれは、わが勝利の祝杯をあげる時、敵が苦悩の時期にあることを忘れないようにしたいものであります。われわれは、彼らが不当に強いられた動機で死についた立派な敵であることを認めてやらねばなりません。次にわれわれはわが軍の戦死した勇士達に敬意を表し、そして敵軍の戦死者に対する同情をもって杯を乾すことにしましょう

翻って現代、戦争には至らないまでも、国家間の対立は数多くあります。双方は確かに利害において、思想において相容れないとしても、他者なのだからそれはそれで当たり前です。なのに自分こそ正義、相手こそ悪のように言い合い、相手がそのように考えること自体を否定するようになります。

対立の過程で、相手を悪党にし、自分を善玉のように論じるのは、有効な戦術です。国際世論の同情を我が身に惹きつけ、批判を対立国に向ければ、有利に立てるという世論戦です。

しかし、注意すべきことは、そのような論争のための戦術に、自ら騙されないことです。国民が我が国こそ正義と思い、対立する国は悪と思えば、その間に妥協の余地がなくなります。

相手が道理の通じないけだものだと思えば、けだもののように扱ってしまうでしょう。その頃には、みんな忘れているのです。他者をけだもの扱いする者が、最も野蛮な者だということを。

そして決定的な衝突が起こってしまえば、それを和解にこぎ着けるには、今度は何十年が必要なのでしょうか。過去の悲劇を和解にこぎ着ける困難さを思えば、未来の悲劇を未然に防ぐために、現在を語るときの姿勢や言葉には、常に慎重でありたいものです。

 

参考 

歴史と戦略 (中公文庫 な 68-2)

歴史と戦略 (中公文庫 な 68-2)