自衛隊の普通科連隊がどんな風に仕事をしているかがイメージできるようになる本です。新着任の連隊長が、連隊を改革していく、という筋立てを中心にしています。
「普通科」と言うと、工業科や商業科に横並んで、高校選びでもしているように思います。
自衛隊の「普通科」といえばこれは「歩兵」のこと。小銃をもって戦い、土地を占有する機能をもつ、陸上部隊の根幹です。自衛隊の中でいわゆる「兵士」のイメージにもっとも近いのは、普通科の隊員でしょう。
歩兵の本領
この本を読むと、普通科連隊、そしてその隊員がどんな仕事をしているのか、どんなムードなのかが何となくわかります。例えば普通科の本質は、このように描写されています。
普通科部隊、歩兵部隊、インファントリー、なんと呼ばれていようとも、この職種に特に要求され、われわれみずからが磨いていかなければならないものは、兵士が一対一で決闘をするときの戦闘意思と、相手をしのぐ戦闘技術、武術がある。
こういうと、このハイテクの世の中で「遅れている」とか「時代錯誤だ」などという者がいるようだが、…何を言っているか!
そんなことを言う者には「戦闘というものがわかっているのか」と、問うてみたい。
戦闘の基本は、あくまでも「命をかけた緊要な土地の争奪」なのだ。この一番大切な部分を担当するのが普通科部隊なのだ。他の職種は、それを支援してくれているのだ。
…土地の争奪とは、見も知らぬ大の男同士が、数センチから数メートルしか離れていないところで、一対一で睨み合い、一瞬でもたじろいだ側が血塗れになって倒される。…そういったものなのだ。
(「陸上自衛隊普通科連隊の仕事」p40」)
このセリフは本書の中でとある中隊長の発言としてでてきます。戦略研究の面から言っても、極めて妥当な見解です。
戦略論の原点などを見ても、最終的に小銃をもった兵士を特定の場所に立たせることが、軍事戦略の最後の一手とされています。地球に重力があり、人間に身体がある以上、陸上空間を支配した者が、支配された者に意志を強要できるからです。
現代の戦場には、弾道ミサイルやサイバー攻撃、駆逐艦や戦闘機といった様々な戦力が投入されます。高い技術で作られた兵器がなければ、現代戦は戦えません。
しかし、それらの膨大多様なハイテク戦力は、究極的にはその場所に、小銃をかかえ泥まみれになった歩兵を送り込む、またはいつでも送り込み得る態勢を作るための、高価な支援に過ぎないとも言えます。
歩兵が戦うには
とはいえ、銃をもって戦う、というのも、ハイテク兵器を駆使するのに劣らず、複雑な技術が必要です。
大昔の歩兵は、横一列に並び、銃を前に向けて撃てれば十分でした。しかし現代の歩兵には習得すべきことがたくさんあり、長時間の段階的な訓練と教育が必要です。
秋の連隊訓練に参加するとなると、それ以前に中隊の、小隊の、班の、隊員各個の訓練を積み上げておかなければならない。
それも、中隊・連隊レベルの攻撃や防御のような戦術行動だけでなく、歩哨や監視哨勤務のこと、互いが移動しながらの通信網構成のこと、爆破技術のこと、戦車部隊との協働のこと、野砲や迫撃砲から射撃してもらう弾着と小隊の突撃開始を数秒のオーダーで一致させることなど、多くのことの積み上げの必要性を意味している。
(「陸上自衛隊普通科連隊の仕事」p55)
サッカーでいえば、ドリブルやシュートといった個人の基本練習から、複数でパスをまわしてシュートにつなげる練習、チーム規模での練習と進んでいきます。各段階において、いくらでも練習すべきことがあります。
自衛隊や外国の軍隊は、国と国との戦いに備えているのだから、サッカーでいえばオリンピックやワールドカップの代表選手のように、技術を磨き上げねばなりません。
人数でも装備でも、敵の方が優れている
自衛隊はその創設以来、仮想敵国に勝る兵力をもったことがありません。数ではもちろんのこと、装備品の質でもです。やっと冷戦末期になって装備を近代化が進み、質の面だけは相手と同水準に持ち込めたという程度です。特に陸上自衛隊は、島国という日本の特性上、海上・航空自衛隊よりも予算上の手当てが後回しにされてきたため、装備の劣勢が顕著です。
われわれが相手とする敵は、いわずとしれた「優勢な航空・砲迫火力に支援された、質・量ともにすぐれた機甲戦力」である。…残念ながら、これに対して、われの編成・装備は、いまだ質・量とも不十分だ。
たとえば、わが連隊を支援してくれる戦車の火砲が90ミリ砲であるのに比して、彼のは120ミリだ。射程は500メートルもわれの方が短い。
連隊にとって虎の子の対戦車兵器である106ミリ無反動砲にしたところで、射程は彼の半分しかないなど、泣きどころがいっぱいある。
(「陸上自衛隊普通科連隊の仕事」p133)
現場の努力で何とかする
兵器の量でも質でも負けているとなれば、あとはそれを使う人間の質、戦法の巧みさで何とか工夫するしかありません。よって「小が大を制するには…巧みさ以外にはないではないか」ということになります。
劣った兵器でも使い方に熟練する、少数の人数でも地形を徹底的に利用する、1人1人の能力を高めるといった努力を重ねねばなりません。そういった個人の職人芸、現場の工夫でもって、不利な状況に立ち向かわなければならないのです。
本書ではそういった細かい工夫、改善の努力、練習の積み重ねも描かれています。それに従事していた人の感想も、所々に添えられています。
汗と泥にまみれ、本番に強い中隊にしよう、簡単なことを間違いなくやろう、をモットーで、29人の男が心を一つにして、一発の発射弾に集中したことを…、また、あのときの一つ一つの動作を…忘れることはできない。
自分が勤務しているときに有事は到来しなかったが、もし到来していたとしても、あのときと同じように対応していただろう。
当時は夢中になっていたが、退職して客観的に振り返ってみると、あれが、自分たちの「有事即応」だったんだ、と自負している。
「陸上自衛隊普通科連隊の仕事」p88
本書はこんな感じの本で、陸上自衛隊の普通科についてイメージを持てるようになるでしょう。
ところどころ、ああ昭和だなあという感じの描写もあるし、性格的に合わない人は合わないだろうなあこの職場というような点もあるので、ご興味の向きはそのあたりも含めて読んでみると興味深いかもしれません。
陸上自衛隊普通科連隊の仕事―もののふ群像 (光人社NF文庫)
- 作者: 亀井浩太郎
- 出版社/メーカー: 潮書房光人社
- 発売日: 2013/01/31
- メディア: 文庫
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