今年読んだ本の中で、もっとも感銘を受けた本を紹介します。
本書は、「国境なき医師団」に参加している看護婦の著者の、紛争地での体験談や半生を綴ったものです。
国境なき医師団は、国際NGOの中でも特に危険な地域に乗り込み、戦争や内戦によって医療を受けられない人々へ人道支援を行なっている団体です。
著者は、日本国内の看護学校を卒業し、看護婦として活躍されていた方ですが、豪州に留学を経て国境なき医師団に所属され、多くの紛争地で活動されたそうです。
本書の目次を見ただけで、その体験の凄まじさが察せられます。
目次
第1章 「イスラム国」の現場から モスル&ラッカ編
第2章 看護婦になる 日本&オーストラリア編
第3章 病院は戦場だった シリア前編
第4章 医療では戦争を止められない シリア後編
第5章 15万人が難民となった瞬間 南スーダン編
第6章 現場復帰と失恋と イエメン編
第7章 世界一巨大な監獄で考えたこと パレスチナ&イスラエル編
最終章 戦争に生きる子供たち
ISが猛威を振るっていた時、シリア内戦の初期、ニュースで時折名前を耳にする紛争地に乗り込んでいた著者の体験には、想像を絶するものがあります。
紛争地での医療
各章で印象に残った部分を紹介します。
イラクでは、イラク政府軍とISの戦闘により、市民の犠牲者が続々と著者の病院に運ばれてきました。
この日運ばれてきたのは50代の女性だった。貧血と栄養失調は顔色から察知できた。彼女は空爆で片足を失った。手術を終え、まだ麻酔の眠りについている彼女を見つめる・・・彼女が目を覚まし、さめざめと泣き始めた。しばらく泣いた後、私の顔を見て言った。
「死なせて」
夫と4人の子供を失い、彼女だけが生き残ったことに絶望していた。・・・仕事中は泣かないようにしているが、その日は彼女の手を握りながら泣いた。(第1章)
一時は猛威を振るったISも、徐々に勢いを失い、「首都」を称したラッカをイラク政府軍に包囲されます。政府軍はラッカを攻撃しますが、市内には人間の盾とされた市民たちが残されていました。
市民を待ち受ける運命は二つに一つだった。空爆か地雷か。ラッカ市内にとどまる限り、ISからの奪還作戦による空爆や砲撃を受ける危険がある。その危険から逃れるには、ISが張り巡らせた地雷原を通らなくてはならない。
私はラッカ脱出に成功したある男性の話を聞き、背筋が凍った。25歳の彼は、妻と、生まれたばかりの子供を抱えていた。生後7日目だ。奪還作戦が始まり、彼の子供は空爆の音が聞こえる中で生まれた。彼は妻と、産まれた赤ん坊を守る道を模索した。そして地雷原を渡ってラッカを脱出しようと決断した。
・・・産後7日目の母親は赤ん坊を抱え、彼の後ろについた。彼が赤ん坊を抱いてはならなかった。彼がもし地雷を踏んでしまった場合、爆破を受け止めるのは、彼一人でなければならないからだ。(第1章)
紛争地での医療活動
著者は、豊かな医療経験から、看護婦長として各地に派遣されています。特に手術室での経験が豊かであることから、本書でも手術関係の描写が多く、印象に残ります。ジャーナリストではなく、医療従事者として、現地に関わっている人ならではの記述だと思います。
緊急の患者が来る時、私はまず「どっち?」と聞く。「どっち?」というのは「銃創」か「爆創」か、どちらかという問いだ。このシータ病院に運ばれて来る患者の怪我の原因は、とにかくこのどちらかでしかなかった。銃創と爆創では治療の方向性が変わってくる。(第3章)
そのような状況では、当然、多くの人の死を目にすることになります。特に南スーダン内戦での描写には言葉を無くします。
陽が照りつける劣悪な環境のもと、うめき声が次第に静かになり、やがて生き絶えていった。・・・簡単に奪われる命、見向きもされない死。私たちと同じ人間なのになぜだろう。遺体を入れるバッグに、性別と推定年齢を書き、処理方法も分からないまま国連敷地内の隅の砂利の上に遺体を並べていった。(第5章)
MSFの特殊性
本書は著者の体験に重点をおいているため、著者が属す国境なき医師団(MSF)についてはあまり深くは触れられません。人道支援をしているNGOは多数ありますが、MSFは、その中でも極めて大胆な、敢えて失礼な言い方をするなら、過激な団体です。
もともと、紛争地への人道支援は赤十字国際委員会(ICRC)が古くから行なっていました。しかしICRCは紛争地での「中立」を保つため、当事国の同意がなければ、援助活動を行えませんでした。「そんなことを言っても、現地には助けを求めている人がいるじゃないか、国家主権など知るか」とばかり、国境という概念を乗り越えるべく設立されたのがMSFです。
MSFも、ICRCと同様に「中立」を理念の一つとして掲げています。しかし中立の解釈が異なります。ICRCは、紛争をしているどちらにも加担しないことを中立だとしています。
MSFは、中立とはそういうことではない、国家や紛争当事者とは無関係に、必要な医療行為を遂行することが中立だとしています。そのため、医療行為を邪魔する国を批判したり、無視して人道支援を強行したりします。
著者も、医療を提供するため、当事国の同意なしに、紛争地シリアに「潜入」しています。シリアの国家主権を無視し、国境を無視し、ただただ医療行為を遂行するのがMSFです。
MSFは中立の立場として早くからアサド政権に非政府組織(NGO)として国内での活動許可を申請していたが、受諾されなかった。そのため私たちは無許可で、反体制派の支配地域で活動するしかなかった。(第3章)
そこで著者は、様々なルートからシリア国境を超え、シリア国内の支援者の元へ潜入します。著者は何度かシリアに入国していますが、その度に違う潜入ルートを使うことで、ルートが露見して政府に妨害されることを避けています。
このような行為は、アサド政権からすれば「不法な団体が反体制派を支援している」と解釈され得るため、見つかれば攻撃を受けます。
ある日、シリア国内の別の場所で活動していたMSFは、拠点をネットニュースに報じられてしまい、その翌日、政府側の爆撃機から空爆された。情報はどこから漏れるか分からない。(第3章)
見つかれば攻撃される危険を承知で、隠れて病院を開設する。もちろんリスク管理はしているにしても、他のNGOが撤退する中でMSFだけが残って活動する描写があるなど、過酷な現場であっても、人道支援団体の中でも相対的に大きなのリスクを許容して活動していることがわかります。
MSFの憲章には「任務遂行にともなう危険および危難を引き受けることに同意する」と書かれています。
そのような国際人道支援の現場を垣間見られる本書は、とにかく感情を揺さぶれる本でした。Kindleでも読めますので、強くおすすめします。
また、本書でMSFに興味を持たれた方には、MSFのウェブサイトの右上「寄付をする」ボタンから、クレジットカード等を使って寄付が可能です。定期的に寄付する場合の最低金額は、1ヶ月1000円からとなっています。