みなさんは、学校で「戦争学」や「軍事学」を学んだことはありますか?
ハーバード大学の学生たちは学んでいます。
ハーバードの学生は軍事学も学ぶ
それも、極めて専門的でレベルが高い授業が行われています。例えば1960年代のハーバード大学講座案内書によれば、以下のような講座が開かれていたそうです。「」内が授業のタイトルです。(伊藤憲一著「国家と戦略」p212による)
「国防政策」 軍事戦略と外交政策に重点をおいて講義する。キッシンジャー教授による。
「陸軍の組織と国家安全保障」 全面戦争と限定戦争の諸問題を検討する。
「軍事史と基本的戦術概念」米国における戦略および軍事戦略の発展を概観する。
「海軍史」 制海権の影響を中心に海軍戦略の基本を講義する。
「戦争学の発展」 アレクサンダー大王から南北戦争までの主要な会戦で使われた兵器と戦術を検討する。
「戦略と戦術の基本」 歴史的実例にもとづいて戦略の一般的理解を促す。
こんな授業が大学で行われ、学部と大学院生によって受講されているのです。
もちろん全ての学生が軍事や戦略を学ぶわけではありませんが、一部とはいえ軍人でも何でもない学生がこんな軍事的知識を教養として身につけています。
日本の大学でケインズやアダム・スミス、ハイデガー、ルソーなどが教えられているのと同じように、クラウゼビッツや孫子が大学で教えられています。経済学や文学、歴史学と同じように、戦略学や軍事学が大学で研究され、大学生がそれを学んでいるのです。
アメリカのハーバード大学だけではなく、欧米の有名な大学では戦争学部、戦争研究学科、ないしは戦争学の講座を持っているところがほとんどだそうです。イギリスのロンドン大学やオックスフォード、ケンブリッジ、あるいはソルボンヌ、ボストン大学などはみなそうです。
なぜ海外では大学生に「戦争学」を教えるのか?
戦争を大学で教えている、というと何か恐ろしげな、軍国主義者を大量生産しているかのような偏見を持ってしまいそうですが、それは間違いです。
欧米の大学で戦争の研究が盛んになったのは、世界大戦を反省したからです。人類史上初の「世界大戦」を経験し、二度目の世界大戦でも主戦場となったヨーロッパ諸国は、なぜこんな悲惨な戦争が発生したのかを必死で解明しようとしました。二度と世界大戦を起こさないためです。平和を守るために、戦争を研究したのです。
これは、健康を守るために病気を研究するようなもので、道理に適っています。
健康を守るためには、病気を研究してその原因を探る必要があります。それによってワクチンを開発したり、予防接種を発明したりして、人類は病気を防ぎ健康を増進してきました。
戦争の研究も同じです。平和を守るためには戦争を詳しく調べ、原因をつきとめ、対策をたてる必要があります。そのために戦争を研究する学問が必要なのです。
海外諸国では、このように大学やシンクタンクで戦争を研究し、それを学生に教えたり、政治家にレクチャーしたりしています。だから多くの人が「戦争と平和の常識」を身に着けているといえるでしょう。
イギリスの戦略家リデルハートはこう言っています。「冷静な平和主義者であろうとするなら、新しい格言に基礎をおくべきである。それは”君が平和を望むなら、戦争を理解せよ”ということだ」
戦争を学ばない国、日本
それらとは全く逆に、国を挙げて戦争を研究しないことを決めている国もあります。日本です。
日本の大学で「戦争学」の講座を持っているところはありません。東京大学で枡添要一教授(当時)が「戦争学」の開講を提言したことがありますが、大学に拒否されたそうです。東大とハーバード大学とはまったく対称的な態度です。
他の一般大学を見ても、「平和学」「平和研究」「軍縮論」といった講座はあっても、「軍事学」「戦争研究」などの講座はどこにもありません。せいぜいが80年代以降に「安全保障論」という講座を設けている程度です。ハーバード大学やそのほかの海外有名校のように、さまざまな角度から深く軍事について学べる講座は決して設置していません。
これは戦後の平和主義によるものです。戦争を忌避するあまり、戦争を研究することさえ海外の常識を無視して拒否しています。
しかしこれは、病気になりたくないからといって病気の研究を一切止めてしまうようなものです。それでは薬も作れないし、どうすれば感染を防げるのかも分かりません。病気や衛生の常識のない人は、古代人のように迷信に頼ったり、怪しげな民間療法にハマってしまったりして、かえって病気を悪化させてしまいます。
いまの日本は戦争を恐れ、嫌がるあまり、戦争を研究することを拒否しています。戦争について何も考えないのが、平和のためにいいことだと思っているのです。そういう考え方から見れば、大学で「軍事学」や「軍事戦略」を研究し、教えるなんて、戦前の軍国主義を復活させる行為にみえるでしょう。
戦前の日本も、戦争を研究しなかったから無謀な戦争をした?
しかし、実は戦前の日本も、戦争を研究しなかったために戦争に突入してしまった面があります。戦前の日本でも、戦争に関する研究は軍だけが行うものとされていました。民間大学ではほとんど軍事の研究はせず、そのような講座も設けていませんでした。(例外が造兵学ぐらいのもの)したがって、一般国民は軍事、戦略などに無知でした。「長門と陸奥(戦艦)は日本の誇り」という歌は歌っていても、海軍戦略の何たるかとか、海軍の役目は何かとか、そういう知識は欠落していたと考えられます。
実際、山本七平氏によれば、終戦直前の状況でも一般国民の中には「そのうち日本海大海戦があって、日本海軍がアメリカをやっつける」と無邪気に信じていた人が大勢いたそうです。きちんとした軍事知識を民間に教える機関がなかったので、戦争と平和の常識が国民一般に欠けていました。その結果、まったくの迷信である「無敵皇軍」という幻想にとらわれ、とうてい勝てるわけもない戦いに国民一丸となって突入していってしまいました。
まさしく、リデルハートの言葉の真逆で「戦争を研究しない者は、冷静な平和主義者にはなれない。」のです。
補足(09/6/18)
コメントをたくさん頂いてますが、ちょっと今日は時間がないので、後ほど拝読させて頂きます。
伊藤憲一氏の著書の当該部分と出典についてご参考までに引用しておきます。
伊藤氏が参照した講座の出典は以下です。
Faculty of Arts and Sciences, 1962-1963 Cource of Instruction for Harvard and Radcliffe,(Official Register Harvard University, Vol.LIX,No17, August 20, 1962, published by the Univercity, Cambridge, Massachusetts) である。
本文中に引用した各講座の英語名と掲載頁は、それぞれつぎのとおり。"Defence Policy"(p212),"Army Organization and National Security"(p273),"Military History and Basic Tactical Concepts"(p273), "Naval History"(p283) "Evolution of the Art of War"(p285),"Basic Strategic and Tactics"(p285)*1
…これらの講座の大部分は、学部と大学院の双方の学生たちに開放されていて、どの講座も受講生の数は一般の講座の受講生の平均よりも多かったように記憶している*2
補足2(6/22)
コメント欄やブックマークコメントで多くの皆さんから貴重な補足を頂きました。
特にコメント欄の匿名希望さんからのご指摘がまとまっていて勉強になりますので、
こちらに引用させて頂きます。
匿名希望匿名希望 2009/06/18 01:22 「欧米の有名な大学では戦争学部、戦争研究学科、ないしは戦争学の講座を持っているところがほとんどだそうです」という通説は、少し疑ってかかった方がいいですよ。
伊藤氏の本を読んでないので確認は取れませんが、恐らく本文中で列挙されている科目はROTCのものではないかと。上でも指摘されてますが、ROTCの開講科目を通常の学部科目と見なすのはミスリーディングです。ROTCは日本の教職課程と同じように正規の教育課程とは別個の存在で、通常の一般教育科目や専攻科目と違って卒業単位にカウントされなかったはず。
(ちなみにハーバードのROTCはベトナム反戦運動の煽りで廃止され、今も軍の同性愛者政策への反発から復活していません。ROTC希望者はMITまで受けに行かなくてはならないそうです。)
John F. Kennedy School of Governmentのような専門職大学院まで行けば安全保障関連の授業はそれなりに揃っていますが、この手の大学院はもともと公共政策や国際問題の実務家・行政官を養成する目的で存在しているので、一般の学生に「戦争と平和の常識」を広く教授する、というイメージとはずれています。
この辺りの議論はかつて2ch軍事板のとあるスレッドで交わされてるので、一度ログを読まれてみるといいですよ。 http://mltr.ganriki.net/faq12d.html
なぜハーバード大学は「戦争学」を教えているのか? - リアリズムと防衛を学ぶ
とのことです。なるほど、なるほど。匿名希望さんありがとうございました。というわけで、当エントリー中であたかも広く一般の学生にまでその種の知識が伝授されている、というように書いたのは誤りと考えるべきでしょうね。
その他、多くの皆様にも補足を頂きまして、ありがとうございます。
以降このエントリーをご覧になった方はコメント欄、ブックメークコメント欄もぜひ併せてどうぞ。