久々に更新。
ゴラン高原にはピースキーパー達が展開しています。UNDOF(国連兵力引き離し監視団)です。彼らはイスラエルとシリアの中間地帯に陣取っています。
その目的は中東戦争が再度勃発するのを防ぐため。両軍の中間に陣取って、文字通り平和の盾となっています。その活動期間はすでに30年以上です。
UNDOFが展開を始めた1974年から現在まで、イスラエル・シリア間の武力衝突は再発することなく、平穏がたもたれています。国連事務総長報告では「同地域でのUNDOFのプレゼンスは重要であり、中東地域での包括和平が達成されるまでUNDOFの継続は必要不可欠」と述べられています。
このような平和維持のための任務を行っている軍人は「ピースキーパー」と呼ばれます。
ゴランの平和は日本の国益
このUNDOFに自衛隊も参加しています。1995年から、国連の派遣要請にもとづいて、輸送などの後方支援業務を中心に活動しています。
ゴラン高原は、大多数の日本人にとっては遠い場所です。この地に自衛隊が派遣されていることを知らない人も意外と多いのではないでしょうか。
ですが、UNDOFが展開している中東は、日本にとって非常に重要な地域です。ですので、この地域の安定化に協力することは日本の利益です。
この地域が安定していないと、日本は損をします。中東戦争が起こったとき、オイルショックがあって、
日本経済にも大変な影響を与えたことは有名です。
また、中東は世界的にも重要な地域なので、その安定化に協力することは日本の国際的発言力を高め、間接的に利益になります。
そのようなわけで、自衛隊ははるか遠いゴラン高原で今日も活動しているわけです。
「我々の文化を尊重してくれるのは日本人だけだ」
2004年にUNDOFの司令部要員として派遣された足立3佐(当時)は、派遣中の忘れがたいエピソードの一つとして、ある茶店での話を挙げています。
「シリア川の宿営地のすぐ近くによく立ち寄るお店があって、
そこに行くといつもお茶を出してくれるんです。
ラマダン中のある日もお茶をだしてくれたのですが
『ラマダン中だから今日はいいです』
と断ったんです。
すると相手はびっくりし、
『われわれの文化を尊重してくれるのは日本人だけだ』
と、非常に感激していました。
このときは、相手の国や文化や宗教を尊重しながら接するという当たり前のことが、本当に大切なことなんだなとあらためて感じたものです。」
”叫びの谷”
2003年にゴラン高原に派遣された近藤二佐(当時)のインタビューにも、非常に印象に残るエピソードがあったので、ここに紹介しておきます。
UNDOFはイスラエルとシリアの中間に、「兵力引き離し地域」を設けています。両国と地域をつないでいる通行用ゲートは、UNDOF隊員以外、通行が認められていません。
その付近に、停戦ラインをはさんで引き離されたドゥルーズ派という民族がいるそうです。彼らは金曜になると停戦ラインをはさんで、互いに大声で呼びかけあって連絡を取り合うといいます。だからその場所を”叫びの谷”といいます。
いずれ中東の緊張が真に緩和され、紛争の心配がなくなれば彼らも自由に行き来できるのですが、残念ながらその日はまだ当分先のことになりそうです。
停戦ライン上の花嫁
その叫びの谷をはさんで、一組の男女が結婚することになったことがありました。婚約は決まったのですが、しかし兵力引き離し地帯を往来することは原則禁止されています。そこで赤十字国際委員会が仲介に入り、両党自国の合意をとって、特別に花嫁が引き離し地帯を通過することが認められました。
ただし、一度通ったら戻ることはできない、というのが条件です。
日本隊はUNDOFの指示のもと、花嫁道具の輸送を手伝うことになりました。輸送隊の近藤二佐(当時)は、その時の印象をこう回顧しています。
「・・・当日は朝早くから花嫁を見送るため、親族や友人が集まって、最後の別れを惜しんでずと泣いている。それは、見ているわれわれも涙が出るようなシーンでした。いよいよ出発となり、わずか200メートル程度をラックで運ぶだけなんですが、これが非常に重たい任務となりました。ゲートで挙げた結婚式でも笑顔はぜんぜんなく、こんなにつらい現実があるのかと。最後に、花嫁がかすかに微笑んだのが、せめてもの救いでした」
写真引用・・防衛省ウェブサイト
インタビュー引用元・・SECURITARIAN 2006,01号