リアリズムと防衛ブログ

防衛ってそういうことだったのかブログ。国際関係論や安全保障論について、本の感想などを書いています。

読んだ本「歴史と戦略」永井陽之助著

歴史と戦略 (中公文庫 な 68-2)

 

先の記事でも引用しましたが、名著の文庫版が出たので再読しました。超おすすめです。

冷戦時代、日本の安全保障に関する議論は、著しい貧困状態にありました。防衛を論ずること=軍国主義というようなイメージの強い時代にあって、かつ国内法に関する法理的な議論が多くを占める状況では、戦略を論じる以前に語るべきこと、語れないことが共に多すぎたのでしょう。

しかしそんな時代の制約にあって、永井陽之助を始め、戦略家と言い得る少数の人物を持てたことは、日本の知的な豊かさを示すものです。

本書は、タイトルのとおり、歴史を参照しながら、戦略を論じる本です。第二次世界大戦、日露戦争、そして現在の出来事であったベトナム戦争らの例をひきつつ、抑止、情報、攻勢と防御、そして目的と手段と均衡といったトピックを論じています。

もとは「現代と戦略」という本で、その後半部分を再編して文庫化したものです。さらに元は昭和59年に文藝春秋で書かれた連載です。そのため、いま読み返せば、用いられている戦例が日本の近現代史に偏っており普遍的な分析になっておらず、また原著発簡当時には広く信じられていたものの、その後の研究の進展によって誤りと分かった歴史的事実を用いているといった問題もあります。

とはいえ、考察の鋭さと論じているトピックの適切性には、時代を超え得るものがあります。

永井は特に「意図と結果のギャップ」「目的と手段のバランス」を重ねて論じています。特に後者、戦略における手段と目的の関係の重要性については、リデル・ハートや高坂正堯も論じているところで、戦略の本質に関わる極めて重要なトピックです。本書の中で、永井が戦略の本質は「自己のもつ手段の限界に見合った次元に、政策目標の水準を下げる政治的英知」だと論じるくだりには、何度読み返しても新しい知見を得られます。

このような議論が古くならないのは、世界史上の指導者たちが似たような戦略的失敗を繰り返し、多くの悲劇を生んで、倦むところがないからです。戦史は「愚者の葬列」であって、数知れない失敗を繰り返してきた記録です。そこから学ぶということで、誤ちを繰り返す確率を下げることができるでしょう。

以下、メモしたところ。

井上成美の「新軍備計画論」について論じたところ。

井上の戦略論が、作戦レベル以下でも妥当であったかには疑問があるが、現代にあてはめれば別の読み方ができると思う。例えば現代の米国の議論では、中国のA2AD戦略への対抗として、第一列島島上の同盟諸国の地勢を活用し、対空・対艦ミサイルの配備や光ケーブル網の抗たん化により、米同盟国側のA2AD能力を高めるべきだという議論があるので、その中での日本の位置取りを考える際に井上の議論は参照されるべきかもしれない。

他方、スタンドオフ兵器等により米空母の接近を阻止し、グアムに痛撃を与え、米国の戦力投射能力を一時的に後退させる中国側の戦略は、作戦面では有効ではあっても、戦略的には真珠湾奇襲と同質の「挑発的攻勢」となってしまう危険があるともいえる。

やむをえず、対米戦争不可避となれば、それは「能力」の点での非対称性の前提にたって、日本の脆弱性をできるかぎりとりのぞき、継戦能力と抗戦意志をつよめ、米国の脆弱性をつき、的の抗戦意志と継戦能力の低下を狙うほかない。つまり、日本を「不敗の地位に置き」、「持久戦に耐え得る丈の準備を為し置く事」につきる。いいかえれば、戦略防御に徹し、ベトナム戦争で、北ベトナムがやったように、米国の戦争目的と意図のレベルを平時にとどめおくために、決して敵の抗戦意志をつよめ、資源動員をフルに発揮させるような、挑発的攻勢にでることなく、まもりに徹し、持久と待忍で敵側の抗戦意志と継戦能力の脆弱化(戦意の喪失)をねらうほかない。

その戦略的目的にとって最適の手段は、戦略防御(戦術的防御にあらず)と持久に徹した、いわば海上ゲリラ戦ともいうべき戦術の展開である。さいわい、太平洋に散財する天与の宝ともいうべき島々を、陸上航空基地、つまり不沈空母として、その徹底的な非脆弱化(要塞化)を急速にはかり、この基地航空兵力を海軍航空力の主力とすべきである(空母は脆弱)。(p47)

 戦争の制度化について端的にまとめたところ。

ウエストファリア会議以降、徐々に近代の民族国家が成熟し、国内社会に散在する党派の武装集団から暴力手段をうばい、国家がそれを独占するようになっていく。かくて国家が、唯一の正統な暴力装置(警察と軍隊)の独占者としてあらわれる。ここから「国家を主役とする戦争」がしだいに制度化されていった。

こうして18世紀と19世紀には、ヨーロッパ公法上、いわゆる「形式をもった戦争」が、まるで第三者(中立国)の立会者のもとで、一定のルールにもとづいておこなわれる紳士間の決闘のような戦争(日露戦争を想起せよ)が、あらわれるようになった。…

このような「戦争の制度化」によって、はじめて、「宗教戦争と内戦の二つに対立して、あらたにヨーロッパ公法上、純粋に国家が主役になる戦争があらわれた(カール・シュミット)のである。その意味で18世紀と19世紀は多くの点で異例の時代であった。(p159-160)

 レーニンのプロパガンダについて。

ボルシェヴィキの政治体験からレーニンが学んだ最大の教訓は、人民戦線ストラテジーの有効性であった。いわゆる自由主義者、社会民主主義者、理想主義者、平和主義者、ヒューマニストなど、ボルシェヴィキ以外の左翼的知識人、シンパ文化人が、いかに政治的に素朴で、お人好しで、だましやすい存在であるかということであったといっていい。かれらは、ボルシェヴィキのかかげる、平和、反戦、民主、人道、正義のスローガンに、コロリとまいるセンチメンタルな、間抜け、腰抜けであることを骨のずいまで学び取った。…この政治的リアリズムはやがてナチのシニズムとなって、より悪魔的な様相を濃くしていった。(P166-167)

第一次世界大戦開戦時の見通しの甘さについて。将軍たちがどの程度の見通しをもっていたかを延々と紹介している。オチが気が利いている。

第一次世界大戦の開戦時、サー・ジョン・フレンチは、1914年11月、戦闘はこれで終わったと主張し、1915年1月には、かれは戦争それ自体が6月までに終了するであろうと意見を公表している。2月には、ジョフルが7月までに戦争はかたづくと発表し、ヘイグも3月、ドイツ軍は7月末までに和平を求めてくると確信をかたっている。7月にはドイツ軍は翌年1月後までに抵抗不能になると断じ、まもなく、9月攻勢まえに、その予想期間を短縮し、冬の到着前に休戦が実現するだとうと予言している。英軍のキッチナーのみは唯一の例外で、開戦当初から、戦争は3年間継続するであろうと、悲観的な展望をかたっていた。それでも、本当は4年3ヶ月つづいた。(p182)

本書のうち、最も傾聴、再読、味識すべきところ。

戦略の本質とはなにか、と訊かれたら、私は躊躇なく、「自己のもつ手段の限界に見あった次元に、政策目標の水準をさげる政治的英知である」と答えたい。

古来、多くの愚行は、このことを忘れた結果である。この英知をくもらせる要因はあまたある。力のおごり、愛他的モラリズム、希望的観測、敵の過小評価、官僚機構の惰性、国内世論の重圧、官僚の出世欲、自己顕示欲、数え上げればキリがない。現代の三十年戦争とよばれたベトナム戦争のプロセスは、アメリカにとって目的と手段のバランス感覚を見うしない、手段の限界に見あったレベルにまで、達成目標の水準を徐々にさげるのに長い長い時間がかかった歴史であった。(p212-213)

 これは見識に富んだ意見だが、永井自身の議論(原著の前半部分)を見ると、「高すぎる政策目標に合わせて自己のもつ手段の限界を無制限に伸張させること」への警戒から、手段の向上をほとんど認めない、という立場に終始してしまい、本質である目的と手段の対話をかえって失っているとも思える。このことは、歴史において特定の時代の特定の国から得られた教訓を、別の時代に当てはめる際の類推の難しさを教えているように思う。

真珠湾と原爆について思うこと

永井陽之助の著書の中に、こんな懐古の一節があります。アメリカでの体験談です。

ある一般市民の会で、たまたま私がヒロシマの原爆投下に言及したとき、間髪をいれず、「パール・ハーバーはどうした」という反撥がかえってきた。

この経験は、私一人だけのものではない。繊維産業から自動車にいたる日米経済摩擦でどれほどパール・ハーバーの語が米国の議員・ビジネス指導者の口からもれたことか。

(「歴史と戦略 (中公文庫 な 68-2)」p20)

卑怯な日本、非人道的な日本。その象徴がパール・ハーバーでした。奇襲攻撃を受けた側にとって、これは自然な記憶の仕方かもしれません。

多くの日本人にとって不可思議なことは、それが原爆投下と交換できることのように語られてきたことです。永井は、著書の中でこう続けています。

長崎への原爆投下の数日後、トルーマン大統領自身、友人にあてた私信で、「私ほど原爆投下で心を乱されたものはいない。しかし、私は真珠湾の奇襲や、戦時捕虜の殺害で同様に大きく心を乱されてきた。

日本人が理解するとおもわれる唯一の言葉は、かれらをやっつける例のもの(原爆のこと)しかない。けだものを扱うには、けだものとして遇するしかない。残念ながら、これは真実だ」と書いて、暗にヒロシマ・ナガサキにたいする原爆投下を、真珠湾の奇襲で正当化しようとしている。

(中略)

われわれがヒロシマ・ナガサキを永遠に忘れないように、かれらのパール・ハーバーを永遠に忘れない。アメリカ人の深層心理において、パール・ハーバーはヒロシマに匹敵する重みをもつ「象徴」となっている。(「歴史と戦略 (中公文庫 な 68-2)」p20-21)

軍事施設を攻撃目標とする奇襲先制攻撃と、民間人を主な攻撃目標とした大量破壊兵器の使用は、さまざまな観点からみて質の異なることです。多くの日本人からすると、パール・ハーバーを持ち出して原爆投下の人道に対するような論法は、受け入れがたいものでした。

とはいえ、そのような認識の相違は、半世紀に渡り言い合っても、決着がつくものではありません。人類が国境を越えてたやすく分かり合えるとすれば、戦争はとっくに根絶されているでしょう。

分かり合えない理由は山ほどあり、理屈をつけるなら、対立する両者に理屈がつくものだから、無理に白黒つけようとすれば、血みどろの殺し合いを永遠に続けるしかありません。

それでも分かり合える点があり得るとすれば、意見がことなる両者の間にも、それぞれ大事なものがあるということです。戦う目的、争う理由は違っても、戦争によって負った痛みは共通です。

日露戦争において日本が勝利を収めた際、乃木希典将軍はこう述べたそうです。

「わが海軍は大勝を得ました。しかしわれわれは、敵がその運命において大不幸を見たことを常に忘れてはなりますまい。また、われわれは、わが勝利の祝杯をあげる時、敵が苦悩の時期にあることを忘れないようにしたいものであります。われわれは、彼らが不当に強いられた動機で死についた立派な敵であることを認めてやらねばなりません。次にわれわれはわが軍の戦死した勇士達に敬意を表し、そして敵軍の戦死者に対する同情をもって杯を乾すことにしましょう

翻って現代、戦争には至らないまでも、国家間の対立は数多くあります。双方は確かに利害において、思想において相容れないとしても、他者なのだからそれはそれで当たり前です。なのに自分こそ正義、相手こそ悪のように言い合い、相手がそのように考えること自体を否定するようになります。

対立の過程で、相手を悪党にし、自分を善玉のように論じるのは、有効な戦術です。国際世論の同情を我が身に惹きつけ、批判を対立国に向ければ、有利に立てるという世論戦です。

しかし、注意すべきことは、そのような論争のための戦術に、自ら騙されないことです。国民が我が国こそ正義と思い、対立する国は悪と思えば、その間に妥協の余地がなくなります。

相手が道理の通じないけだものだと思えば、けだもののように扱ってしまうでしょう。その頃には、みんな忘れているのです。他者をけだもの扱いする者が、最も野蛮な者だということを。

そして決定的な衝突が起こってしまえば、それを和解にこぎ着けるには、今度は何十年が必要なのでしょうか。過去の悲劇を和解にこぎ着ける困難さを思えば、未来の悲劇を未然に防ぐために、現在を語るときの姿勢や言葉には、常に慎重でありたいものです。

 

参考 

歴史と戦略 (中公文庫 な 68-2)

歴史と戦略 (中公文庫 な 68-2)

 

 

1944年のポーランドで日本人であることー 「また、桜の国で」須賀しのぶ著

また、桜の国で

 

久しぶりに面白い歴史小説を読んだので、感想を書きます。

この小説の舞台は、ポーランドの首都ワルシャワ。主人公たちが生きる時代は1939年から1944年。それだけ聞いて「あ、これは・・・」と思った方は、この記事を最後まで読むまでもなく、本書を買うべきです。

1939年といえば、第二次世界大戦が始まった年。1944年はノルマンディー上陸作戦の年。この小説はWW2のどまんなかを書いています。

そして舞台はポーランド。よりによって。第二次世界大戦中のポーランド。開戦直後にドイツ軍に蹂躙され、独ソ両国により分割。終戦前にはソ連軍に引き潰され、そのまま東側陣営に組み込まれる悲運の国です。

中で最大の悲運に見舞われた場所を一つあげるなら、それが首都ワルシャワです。44年、ソ連軍がドイツ軍を破って近づいてくると、ワルシャワで市民たちが蜂起しました。内から蜂起軍が、外からソ連軍が呼応してドイツ軍を追い払おうという算段です。しかし頼みのソ連軍は、その猛進に急ブレーキをかけ、停止。市民たちはドイツ軍と血みどろの戦いの末に敗北し、街は廃墟となります。

そんな、どう足掻いてもハッピーエンドにはなりそうもない場所と時代の話です。

差別はどう起こるか

戦争、差別、人種といった難しいテーマを、著者は端的な筆致で描いていきます。その例をひとつ挙げるなら、差別です。ドイツに占領されたポーランドでは、ナチス式の人種政策が敷かれます。昨日までポーランド人であった人々が、人種により分断されます。

その中で主人公がユダヤ人女性を手助けしたとき、ポーランド人の女性がこう言います。

「信じて、私たちは反ユダヤ主義者なんかじゃない。あの人たちだってポーランド人だって思っているの。でも、彼女を見た時、まっさきに思ったのは、なぜここにいるのってことだった」(p191)

彼女はユダヤ人女性をほんのすこし助けることで、自分たちが巻き込まれることを恐れ、それをまっさきに考えてしまったことを恥じています。

差別は、差別者が多数を占めたから起こるのではありません。少数の差別者が、少数の被差別者を迫害し始めたときに、残った多数の者が自己保身に走ったから起こるのです。

本書はこのように、さまざまな時代の風景を端的に描写していきます。説教臭くはなく、過度に強調もせず、淡々と。奇をてらった小説的な表現が不要なのは、事実の方が異常だからです。

異邦人たちのアイデンティティ

ユダヤ人たちが国家を持たない少数者であったように、この物語の主な登場人物たちもみな少数者です。国家、人種、そして民族主義が最も台頭した時代に、自分が何者であるかに確信を持てない人々です。

なおこの設定、この舞台で、主人公は日本人です。

1944年のワルシャワで、日本人が何をするのでしょう? なぜそんな時、そんな場所に立っているのでしょう?

主人公に言わせれば、その答えの一端は、自分は日本人だから、というもの。なぜそれが答えになるのかは、読み進むうちに分かるでしょう。

どう足掻いても悲劇にしかならなそうな設定で始まる物語の週末は、涼やかなものでした。

今年、一番お勧めしたい物語です。

 

また、桜の国で

また、桜の国で