北朝鮮の核実験とミサイル発射に伴って「敵基地攻撃能力」が議論されています。
賛成反対の両意見が盛り上がっています。ですが、そこには日本国憲法が認める自衛権について色々と誤解があるようです。そこで、
いったい、憲法はどこまで自衛と認めているのか?
北朝鮮のミサイル基地を攻撃したら侵略戦争なのか?
といった基本的な情報をこの記事でまとめてみます。
「敵基地攻撃論」と「憲法違反論」はどちらがが正しいか?
議論のきっかけは麻生総理が記者の質問に答えた以下の発言のようです。
麻生太郎首相は26日夕、北朝鮮のミサイル発射基地への先制攻撃を想定した敵基地攻撃能力について「一定の枠組みを決めた上で、法理上は攻撃できるということは昭和30年代からの話だ」と述べ、法的には可能との認識を示した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090526-00000192-jij-pol
この「先制攻撃」という言葉に多くの人がひっかかったようで、議論になっています。例えば
「いきなり”先制攻撃”とは話が飛びすぎではないの?」
「そんなことができるなんで憲法のどこに書いてあるんだ?」
「また麻生の失言」 「こちらから先に攻撃するなんてとんでもない」
といった懐疑的、批判的な見解が散見されます。他方、
「当然だ」「よくぞ言った」
という肯定的な意見も見られました。また、疑問もいくつか見られます。
matsuiism 日本国憲法や国際法との整合性を含めて、この「法理」に関して詳しく説明していただきたい。
はてなブックマーク - matsuiismのブックマーク - 2009年5月26日
seijigakuto 政治 国会議員がいうなら観測気球ですが、総理大臣が言うという事はこの見解は内閣法制局を通ったという事ですね/当時の解釈はどうなったのか興味があります 2009/05/27
はてなブックマーク - はてなブックマーク - 2009年5月27日
当然の疑問です。多くの人が敵基地攻撃と法律の整合を気になさると思います。
結論を言えば、今回、麻生総理が述べたような意味でならば、先制攻撃は合憲であり、法理的に可能です*1。です。
ですがそれを「先制攻撃」「敵基地攻撃」と表現するのは恐ろしく不適切で、議論の混乱を招いています。
また、この議論を「敵基地攻撃論」と一括することはあまりに乱暴です。敵基地攻撃には3種類もあるのに、それを区別せずに肯定否定を議論しても無意味なのです。
これらの点を確認して、「一定の枠組みを決めた上で、法理上は攻撃できる」とは一体どういうことか? そしてそれは憲法上、国際法上で妥当なのかをチェックしてみましょう。
おさらい…日本は国際法上で認められた自衛権を持っている
日本国憲法は国際紛争を解決するための武力の保持を禁止しています。ですが、自衛権は認めており、身を守るための防衛力であれば保持してOKと解釈されています。
国連憲章第二条4項は「武力による威嚇又は武力の行使(threat or use of force)」を禁じ、戦争の違法化を完成させました。同時に第51条で「武力攻撃(armed attack)」が発生した場合に、自衛権の行使を認めています。武力行使の禁止と自衛権の保持は両立するのです。
日本国憲法の武力行使禁止もまた、この文脈で解釈されます。憲法の武力行使禁止は、別に日本の独創ではなくて、不戦条約以来の国際潮流を踏まえたものです。その結実が国連憲章。よって憲法もまた国連憲章に則って解釈するのが正しい、というのが日本政府の考えです。いってみれば国連憲章が元ネタ、日本国憲法は二次創作なのだから、元ネタの延長線にあると見るのは自然なことです。
よって日本は国際法上で認められた自衛権を持っているといえます。侵略戦争は違憲だけど、自衛のための防衛戦争は合憲、ということですね。この解釈は1954年に大村防衛庁長官によって明確化されました。
次に問題となるのが「自衛の範囲」と「どの時点をもって敵から武力行使が発生したとみなすか」の2問題です。
北朝鮮のミサイル基地を攻撃するのは自衛の範囲内なのでしょうか?
「先制的自衛(preemptive self‐defense)」の敵地攻撃は「自衛」だと30年も前から言ってきた
日本国内にミサイルが撃ち込まれようとしているとき、その発射基地を攻撃するのは自衛の範囲です。それが明確化されたのは1956年2月29日の衆議院内閣委員会です。船田中防衛庁長官が鳩山一郎首相の答弁を代読して
「わが国に対し急迫不正の侵害が行われ、侵害の手段として誘導弾等による攻撃が行われた場合、
座して自滅を待つべしというのが、憲法の趣旨とするところだというふうには、どうしても考えられない。
攻撃を防御するのに、他に手段がないと認められる限り、
誘導弾等の基地をたたくことは自衛の範囲内に含まれ、可能であるというべき」
と述べています。
よって、例えば北朝鮮のミサイル攻撃が発生したとして、国土国民を守るためにミサイル基地を攻撃することは憲法で認められた自衛の範囲内と解釈されています。
次なる問題は、どの時点からが「武力行使の発生」と看做すことができ、自衛権の発動要件を満たせるかです。
ミサイルが発射され、日本に着弾して、国民が死傷するまで何もできないのでしょうか?
「武力行使の発生」は、ミサイルの発射を待たない
敵基地攻撃論への疑問の中には「先制攻撃」は駄目だ、という意見がよくみられます。ですが、それが先制的自衛のための攻撃を指すのならば、それは憲法と国際法で認められた自衛行動と解せます。
では具体的にミサイル開発、発射準備、発射、日本への着弾。いったいどの時点をもって「日本に対する武力行使が発生した」と看做せるのでしょう?
ミサイルが日本に着弾した後ならば、明らかに攻撃が発生したといえます。よって自衛の範囲内です。被害が発生した後、二発目、三発目のミサイルを防ぐために発射基地を叩くことを「反撃(カウンター・アタック/counter attack)」と言います。反撃は合憲と解されます。
では、ミサイル着弾はまだ待たなければいけないのでしょうか。相手がいかにもミサイルを撃とうとしているのを見過ごさなければならないのでしょうか? それについては明確な政府解釈があります。
1999年3月3日の衆議院安全保障委員会で野呂田防衛庁長官はこう述べました。
「武力攻撃が発生した場合とは、侵害の恐れがある時ではなく、わが国が現実に被害を受けた時でもなく、侵略国が武力攻撃に着手した時である」
ミサイルが日本に着弾して国民が死傷するのを待たなくても、「武力攻撃の発生」とみなせる、というのです。この答弁はその20年前、1970年3月に内閣法制局が示した解釈を踏まえています。法制局は、武力攻撃の発生とは
「まず武力攻撃のおそれがあると推量される時期ではない。
…また武力攻撃による現実の侵害があってから後ではない。
武力攻撃が始まった時である」
としています。(高辻内閣法制局長官の答弁)
つまり武力攻撃の発生とは「敵国がそれに着手した時点」です。よってこうまとめられます。
従って、他に手段がないと認められる限り、攻撃によって被害を被っていなくても、敵のミサイル基地をピンポイントで「先制攻撃」することは、法理的には自衛権の範囲というのが一貫した政府解釈だ
*2
敵がミサイルを発射する前に叩くのですから、見た目には日本の側から先に撃っているように見えます。ですが、あくまでも相手の攻撃着手を確認し、それへの対処として機先を制したものならば、合憲です。
これは剣道で言えば「起こりの技」にあたります。相手がこちらに打とうとして動作に入ったところ(起こり頭)で、すかさずその隙に乗じて面や小手を打ちます。先に着手したのは相手ですが、先に技が決まるのはこちらです。
日本が政府解釈で認めている先制攻撃は、相手の初期動作を捉えて先制する「起こり技」に当たるといえるでしょう。相手の攻撃着手を確認した後で、自らを守るための攻撃なのです。これを<「先制的自衛(preemptive self‐defense)」といいます。
このようなわけで、先制的自衛(preemptive self‐defense)と反撃については憲法で認められている、という解釈が採られています。これらはまとめて「先制攻撃」と一括されがちなので、今回のニュースのようにいかにも問題であるように騒がれることがあります。ですが従来からの政府の憲法解釈では認められているのです。
とはいえ、この政府の憲法解釈は、国際法違反ではないのでしょうか?
国際法上の自衛の解釈は三派に分かれるが、弾道ミサイルへの攻撃(先制的自衛)は概ねOK
国際法上の自衛権研究では、浅田正彦氏の「日本と自衛権 個別的自衛権を中心に」がまとまっています。2001年に日本国際法学会編からでた「日本と国際法の100年 第10巻 安全保障」に収録されているので、多くの図書館に入っているものと思います。
浅田論文によれば国際法上の自衛の解釈は三派に分かれています。
1:自衛権の行使に武力攻撃の発生を待つ必要はないとして、広く先制的自衛の権利をみとめる(バウエット、ウォルドック、マクドゥーガルら)
2:武力攻撃がなされた後では破壊的な結果となる恐れがあるので、憲章51条の「武力攻撃の発生」という要件を広くとらえ、「武力攻撃の目的をもつ軍事行動が開始された場合」には自衛権の発動が可能という解釈(田岡、シン、ディンシュタットら)
3:相手国の意図を完璧に知ることはできないし、攻撃の急迫性は主観的に判断され濫用の恐れがあるので、「武力攻撃が実際に行われた後」でなければ自衛とは認められない、という解釈(エイクハースト、ブラウンリー、ヘンキンら)
今の日本の議論をみると、敵基地攻撃肯定論は第二説に近く、否定論は第三説に近いのではないでしょうか? 日本は第二の学説に近いといえます。
しかし浅田氏によれば、日本の自衛の定義は第三説より自衛の定義が緩いとも言いがたいそうです。
第三の解釈は「武力攻撃の後」にのみ自衛権の行使は可能だと述べているのであって、ミサイルの「着弾の後」にのみ可能だとしている訳ではない。
… それどころか彼ら(第三説の論者)も、「着弾」まで待つことの問題性を意識し、それを何らかの形で解決しようとさえしているのである。
例えば武器使用に関して最も厳格な立場をとる学者の一人ブラウンリーも、「使用準備の整った長距離ミサイルが存在することによって、問題全体が極めて微妙なものになり、攻撃と急迫した攻撃の差は、この場合無視してもよかろう」とさえ述べている。(Brownlie,op.cit.supra n 15,p.368.See also Henken,op.cit.supra n.15, p.144.)
国際法の議論の中で最も抑制的な第三派であっても、「敵の攻撃の被害がでるまで必ずしも待つ必要はない」というのが共通見解だそうです。特に弾道ミサイルの場合は、「攻撃が発生した」と「攻撃が差し迫っているだけでまだ発生してない」を敢えて区別する必要はない、という主張があるというのです。
なお、第一派と第二派ならば、敵がミサイル発射に着手した時点でこれを破壊する先制を認めているのは言うまでもないことです。
拳銃の例で考えれば分かり易いかもしれません。グアムやハワイの射撃場へ行くことを想像してください。射撃場でまず教わることは「絶対に、銃口を他人に向けてはいけない」ということです。たとえおふざけのつもりであっても、銃に弾が入っていなかったとしても、銃口を他人に向けてはいけません。
もしあなたがアメリカで拳銃を所持して、しかし弾を装填せずに、お遊びのつもりで警官に銃口を向けたらどうなるでしょうか? 警官に正当防衛として射撃されても文句は言えないでしょう。本当に弾が入っていないか、本当に殺意がないかということは、発射されるまで分かりません。しかし発射まで待っていたら、警官は死んでしまいかねません。よって銃が発砲されるまで待つことは合理的ではなく、銃口を向けるなど射撃の動作にかかった時点で殺意アリと見なすのが自然なのです。
国際法上も同じく、第一、第二、第三派のいずれもが「攻撃着手の時点」で自衛権は発動し得るとしています。
日本の政府解釈である「弾道弾が撃たれようとしている場合、これを攻撃するのは自衛の範囲」という憲法解釈は、国際法の主流解釈のいずれとも整合している、といえるでしょう。
攻撃着手がない場合の先制攻撃(=予防攻撃)は違法
これまでの議論を裏返せば、「武力攻撃の発生」、つまり相手国の「武力攻撃への着手」が無い限り、疑わしいといってそれを攻撃するのは違法です。
これを「予防攻撃(preventive attack)」といいます。「現実に差し迫った脅威ではないが、放置すると、将来、受け入れがたい脅威をもたらす可能性のある相手に対し、その脅威が顕在化する前にこれを攻撃すること」と定義されます。これは侵略と区別できないことから、国際法違反とされています。*3
予防攻撃の代表例は、1981年にイスラエルが行ったオシラク原子力発電所の爆撃作戦です。
イスラエルはこれを、イスラエル攻撃を狙ったイラクの核兵器開発を防ぐための自衛だと主張しました。しかし安保理はこれを自衛の範囲内とは認めませんでした。イスラエルに常に同情的なアメリカでさえ、イスラエルの爆撃は先制的自衛の要件を満たしていないとして批判しました。自衛ではなく予防攻撃だと断定されたのです。
81年のイラクはイスラエルに核ミサイルを撃とうとしたのではなく、核兵器開発のために原子力発電所を建設しただけです。そこで抽出された核物質からいずれ核兵器が作られ、イスラエルに向けられる可能性は高かったでしょう。しかしだからといって81年の時点でイラクがに「武力行使に着手」したとは到底いえません。
日本の場合ならば、北朝鮮が核実験をしたり、ミサイルを開発したとしても、「それがいずれ日本に向けられるだろう」と考えて予防攻撃をかけるのは国際法違反です。国連憲章で自衛と認められないということは、憲章に従っていると考えられる日本国憲法にも違反しているということです。
敵基地攻撃論は3つに分けて論じない限り無意味
ここまでで見たように、弾道ミサイル発射基地に対する敵地攻撃は3つに区分せねばなりません。同じように北朝鮮のミサイル基地を攻撃するものだとしても、その実行時点によって3種類に分けられ、違法と合法の別ができます。
- 予防攻撃(preventive attack)…敵がミサイル発射に着手する前に攻撃/国際法違反/違憲
- 先制的自衛(preemptive self‐defense)…敵がミサイル発射に着手した時点で攻撃/ミサイルの場合ならば国際法と整合/合憲
- 反撃/反攻策源地攻撃(counter attack)…日本が攻撃の被害を受けた後に反撃/国際法に適合/合憲
この3つを区別せずしない議論は的を外します。
この区分で言えば、麻生発言は先制的自衛(preemptive self‐defense)と反撃を認めつつ、予防攻撃は認めていません。にも関わらず、あたかも日本から先制行動をとる予防攻撃であるかのように言って批判するのは、批判になっていません。
また、敵基地攻撃論を肯定する側であっても、いったいどの攻撃まで肯定するのかを明確にしなければ、侵略主義的だ予防攻撃だと誤解されても仕方が無い、といえるでしょう。
「先制攻撃」「敵基地攻撃能力」という言葉は、この議論に不適切だ
マスコミは麻生発言を「先制攻撃を想定した敵基地攻撃能力」と報じていますが、この報道の仕方はたいへんに不適切です。なぜなら「先制攻撃」という用語は、2009年現在、恐ろしく混乱しているからです。
これには以下の2つの理由があります。
- 「先制攻撃」は「先制行動」と混同されている
- 日本以外の国では、自衛のために反撃が含まれるのは当たり前で、あえて「敵基地攻撃」と言ったりしない
「先制攻撃」は通俗的に、「相手が攻撃してきていないのにこちらから攻めること」を指します。ふつうの人は”先制攻撃”と聞いて「相手の攻撃着手をみた後の自衛のための先制攻撃」という限定した意味なんて思い浮かばないでしょう。
この混乱をブッシュ政権が助長しました。「先制攻撃」の意味を拡張したからです(ブッシュドクトリン)。相手の攻撃着手を確認せずとも、潜在的な可能性があれば先制攻撃できると主張したのです。これは「予防攻撃」の概念を含んでおり、多くの批判をあびました。この主張を区別する場合「先制行動」というべきなのですが、これを指して先制攻撃と呼ばれることも多くあります。
よって2009年現在で「先制攻撃」と言うと「一般用語でいう先制攻撃≒侵略」、あるいはブッシュ政権がいう「ならずもの国家に対する先制行動≒予防攻撃」ととられてしまい、議論がはなはだ混乱します。
しかし麻生発言が言い、政府解釈が認めているのはあくまで「相手の攻撃着手を確認した後」の攻撃、および被害が出た後の反撃です。この場合は「先制的自衛(preemptive self‐defense)および反撃の能力」と言うべきです。
これを指して「先制攻撃を含む敵基地攻撃」なんて報道したマスメディアは言葉の使い方が不正確です。それが不正確な批判をひきおこして、議論を混乱させています。実際、ネット上や新聞で見られる敵地攻撃論批判は、政府のいう敵地攻撃を一般用語の先制攻撃と解釈した的外れ批判がかなりの数みられます。
海外から見れば、まさか反撃や先制的自衛の話をしているとは思われず、誤解を招く
また、この報道は海外から見れば異様に見えます。日本が「敵基地攻撃能力を、先制攻撃を持つべきか否か」なんて議論してると報道されれば、それがまさか普通の「反撃」や「先制的自衛(preemptive self‐defense)」のためのものだなんて思いません。だってそんなもの、持ってOKなのが当たり前ですから(先制的自衛については自衛と見なさない考えもありますが、しかしこの2つで必要となる能力はほとんど同じなので)。
だから海外からみれば、国際法を無視した「先制行動」や「予防攻撃」が検討されているのでは、と思ってしまいます。
この点について「海洋戦略研究」様が鋭く指摘しています。
政治家が、不戦条約、国連憲章第51条の戦争違法化の歴史に無頓着なまま、言葉足らずに「敵基地攻撃」などと語り、更にマスコミが、話題作りに、軍事用語に無頓着なまま「敵基地攻撃論」と発信したため、その前提となる条件も、仮定も吹っ飛び、「敵基地攻撃論」が一人歩きし始めた。
日本の特殊事情である自衛権=受身説の否定に過ぎない前提を無視して発信されたため、外国では自衛権=受身・攻撃は、当然であるため、日本の事情にお構いなく、自衛権抜きの敵基地攻撃論は、あたかも先制攻撃論として受け取られかねなかったのである。日本に対し好意的でない勢力は、早速、この日本との認識ギャップを利用して「敵基地攻撃論」を、無謀な日本の軍事勢力の侵略と攻撃し始めだした。
……「敵基地攻撃」などではなく、「国連憲章第51条に基づき自衛権を行使する」とだけ言っておけばいい。
敵基地攻撃論 ( 軍事 ) - 海洋戦略研究 - Yahoo!ブログ
卓見というべきでしょう。
肯定だろうが否定だろうが、敵基地攻撃論について論じる際に注意すべきこと
このような諸点を考えれば、「敵基地攻撃」「先制攻撃」と3種類を区別しないで議論したり、反撃や先制的自衛(preemptive self‐defense)が法と政府解釈で認められていることを無視して否定したりすることは、いたずらに議論を混乱させるだけです。
敵基地攻撃能力について論じる場合は、肯定なら肯定、否定なら否定で、
- 予防攻撃
- 先制的自衛(preemptive self‐defense)
- 反撃
のどれを肯定し、否定しているのか分けて考えるべきです。
また憲法や国際法との整合性については、上述のようなこれまでの政府解釈を踏まえた上でなすべきでしょう。マスコミが広めた「先制攻撃」という言葉のイメージだけで、憲法違反だとか国際法違反だとか批判しても的外れです。
以上、麻生発言にいう「法理的には可能」についてまとめてみました。執筆にあたっては「国際安全保障」第31巻4号と、「国際法と日本の100年 安全保障」に多くをよりました。
なお、以上は法理的な話です。兵器体系や自衛隊の現状などから考えて、実際的にどういう話になるかは、次回また改めて書きたいと思います。
追記(09年6月5日)
このエントリーに多くの方からご訪問、ご笑覧、はてブをたまわりました。ありがとうございました。
またその中で本記事の至らぬ点について多くの貴重な補足を頂いております。
頂戴した補足の中で主だった2点につき、下記にも記しておきます。
○本文中の「合憲」「違憲」なる断定について
法制局や政府見解をもってして「〜することは合憲」という書き方をしております。しかし言うまでも無く合憲か否かを最終的に判断するのは最高裁ですので、これは正確な書き方とは申せません。「合憲と現行の政府解釈においてはみなされている」と言うべきところです。
参考
北朝鮮のミサイルから日本を守る5つの方法 - リアリズムと防衛ブログ
敵基地攻撃能力だけでは弾道ミサイルを防ぐ事は出来ない : 週刊オブイェクト
「予防的先制攻撃」と「自衛的先制攻撃」の違いを理解していない小池百合子元防衛相 : 週刊オブイェクト